田舎を逃げる場所にしたいのではなく異世界にしたい。

ここ数日、日本教とも言うべき思想・信仰について考えていました。

「異世界転生もの」が流行するのは日本が面倒臭すぎるからじゃないのか論

という記事をその流れで書いたのですが、なんかジワジワと「あ、これかもしれない」と思いました。

僕は異世界と作りたいのかもしれない。僕は異世界を作りたいのかもしれない?

かつて 僕は逃げる場所を作りたい。現実逃避を肯定する という記事を書いたのですが、なんとなく違うなあって思ってたんですよね。

っていうか記事のタイトルと中身が合ってない。中身は僕が言いたいことがある程度書いてあったのだけど、記事のタイトルを読んで、期待する内容とは全然違う。

よかったら確かめてみてほしい。端的にミスった。

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僕らはきっと「強くなれる場所」の方こそを求めている

「逃げる場所」とか、「現実逃避」というキーワードを見て、どんな印象を受けるでしょうか。

それは、どこかでうまくいかない人、窮屈を感じる人、認められない人が、隠れるための場所という感じがしないでしょうか。

傷つかなくて済む場所、頑張らなくても良い場所という印象を僕は受けます。

「逃げ場所」なんていうのははっきり言えば弱者に向けた発言に違いありません。

実際、僕は僕の弱いところを指して「逃げ場所」と言った言葉を使ったに違いない。

だけどこの記事では「弱いままで良い」ということを言いたいわけじゃなかった。

僕らはきっと「強くなれる場所」の方こそを求めているし、この町をどうしたい?と自分に問うたとき、もちろん、人が傷を舐め合うような場所よりは高め合える場所の方が良いと答える。

つまり異世界

そんなことを、異世界に関する記事を書いていて思いました。

「冴えない現実を抜け出して、ある日突然モテモテの俺つえーな世界」

異世界転生ものをそんなご都合主義と見なす人もいるけれど、本当は努力が実る場所、磨くべき力が分かる場所を求めてるんじゃないか。

心置きなく、遠慮も呵責もなく自分を高められる場所。

魔法と剣の世界ならば、きっとそこに暮らす人々の日常は僕らが知っている現実とは全然ちがって、現実とはちょっと違う磁場と空気で動いている。

現実とは違うけれど、自分にとって現実以上のリアリティを持った大目標・大テーマが君臨している場所。

つまり異世界。

僕はそういうものを地域に生み出したいのです。

僕は文と人の力を使って創造を大テーマとする場所を作りたい。架空や幻想を生み出すことが、僕が思い描く地域では大きな力を持っているような場所。

言葉足らずな気がするけれど、今日はここまでにする。

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