【田舎の人口少ない問題】もし人が少ない状態を正解にできたら

田舎には恐ろしく人がいないです。

単純に人口が少なく、どこもかしこも人が少ない。イベント、個人商店、平日のイオン、交通量も少なく、活気なんてものはついぞ見かけない。

人がいないのは今に始まったことではなく、だからこそ移住促進とか地方活性化とかってワードが一昔前から沸き起こったのだろうけど、その成果はいかほどなんだろう。

人がいないと仕事もなくなるし、新しく仕事をしようにもそれを求める人がいないから新しいものも生まれなかったり根付かなかったり。

衰退するから人がいなくなるのだけど、人がいないから衰退するとも言えて、負のスパイラルに陥っている。

こう考えると巻き返すのは不可能に思える。そもそも日本という国のレベルで人が足りない。言うなれば現役世代の不足が大問題で、少子高齢化がどうこうって問題はこのままでは解決する見込みもない。

田舎に人がいない、という問題を見つめるのは飽き飽きだな、と思ったので、今日は、むしろ「人が少ない」という状態を正解にするアプローチをしたらどうだろう?と思ったので、その辺をメモします。

先に言っておくけど具体的な解決策が見つかってるわけじゃないです。ただ、問題だと思っていたこと自体を疑ったらどうか、というだけのアイディアを置いておくだけです。

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人数設定がいつまでも大きいままだから田舎は寂しい説

田舎には人がいなくて寂しい、田舎に活気を作り出さなければ、大賑わいを作り出さなければ、という問題設定を覆すことを考えるのも一興だと思いませんか。

というのも、僕が極端に内向的な性格で、あまり大勢の人で賑わう場所が得意でないという事情もあるのですが、まちづくりという文脈においても、数が正義みたいなところがあって、それってどうなんだろう?と思うのです。

お祭りもイベントも町のスーパーも、人で賑わってる方が良い。それは間違いない。でもそれは、大勢の人が集まることを想定した場所だからこその話ですよね。

300人くらいいて欲しいところに50人くらいしか来ないから寂しいわけで、そもそも5人でフルメンバーみたいな状況をもっと作っても良いような気がする。

実際そうしてるイベントなどもあるのだろうから決して新しいアイディアとは呼べないと思うけれど、町で何かするって言ったら増やすこと、大きくすることがまるで当然の正義のように語られることがあって、僕は少し窮屈を感じる。

旧佐藤医院の人数設定の話

ちょっと自分のまちの話。

僕は自分の住む士別市朝日町というところで、コミュニティスペース「旧佐藤医院」を管理・運営しています。

僕はここをもっぱら読書や小説執筆の場として活用しているのですが、旧佐藤医院としてはスペースの用途は特に定めておらず、使いたい人が使いたいように使ってもらえる場所を提供しています。

もちろん建物を大事にしてほしい、建物が持つ雰囲気を尊重してほしいという願いはありますが、その範囲において、大勢で賑わうイベントを開いてくれても良いし、僕のように極個人的に使うのも良い、という具合です。

で、僕個人としては、旧佐藤医院は人が少ない状態こそが正解です。

読書や執筆をするにあたって、イベント時のように多くの人が出入りするのは落ち着かない。

かと言って、一人ぼっちでも辛い。けっこう広くて古い建物なので、暗くなると怖かったり、肌寒く感じたり。だから、一緒に執筆とか読書とか工作とか作業ができる人がもう二三人いたらすごく心地良いのになーと思うのです。

つまり、僕にとって心地よいのはそれくらい少数。少数しか利用していないコミュニティスペース=盛り上がってない場所、と捉えれらるかもしれないけれど、自分が満足するフルメンバーの人数で使えたらベストな使い方だと思うのです。

フルメンバーやフルキャストを決める。その人数だからこそ楽しい、って数を

もちろん、これは僕が個人的に利用する場合の話であって、イベント時もあまり人が来なくて良いと思っているわけではありません。

言いたいのは、多ければ多いほど良い、ではなくて、今回のフルメンバー、今回のフルキャストはこれくらい、という、使う人がもっとも居心地の良くなる設定作りを意識すれば、ちょっと考え方が変わるんじゃないだろうか、ということ。

これ、少人数でも大人数でもどちらでも構わないとか、最少催行人数は5人だけど上限は特に定めない、とかじゃなくて、三人なら三人がベスト、それ以下でもそれ以上でもダメ、みたいなちょっとシビアな空間づくりができたらいいんじゃないかな?ということです。

それは三人だからこそ、その三人がもっとも楽しめる設定になっている、みたいな空間であり、イベントであり、時間である。

そんな風に考えることって「まちづくり」ではあまりないような気がするのです。何というか、来る者拒まず、去るもの追わず、でもできるだけ多くの人に来て欲しいね、あでもあまり大勢の人に来られても手が回らないね、じゃあとりあえず友達に声かけて、その友達にも何人か連れてきてもらって、みたいな緩めの設定をするのが普通だと思うのです。

ゲームのように人数を設定するまちづくり

そこをもっとゴリゴリに人数設定する。トランプとかテレビゲームだとシビアに設定されていますよね。これは2人用、これは3人以上5人未満でやるもの、みたいな。ババ抜きは2人じゃ全然つまらないけど、15人いれば良いかっていうと違う。4,5人でやるのがベストって、あるじゃないですか。

将棋やチェスは2人でやるものだし、麻雀は4人でやるのが普通ですよね。

こんな風に、ゲームだと人数設定はけっこう大事にされてて、つまり、二人いれば将棋やチェスは盛り上がる設定になってる。ババ抜きやマージャンは4人で盛り上がるようになってる。このとき、少ないから寂しいなんて思わないのは、そういう設定の中にいるからじゃないか。

じゃあ町はどうだろう。町のイベントとか、空間もシビアな人数設定をして、その人数だからこそ盛り上がるみたいな状況を作り出すことができる気がするし、もっと視野を広げれば、人口1000人だから面白い町、みたいな状況も作れるんじゃないか。

 

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