わがままで繊細な僕らに必要な、主観が溢れる情報について

地球って奇跡的な環境だよなって、なんかネイチャー系のドキュメンタリーだかを見ていたときに考えたことがあります。

あ、うそ。

映画ドラえもん『のび太の創生日記』を見たときだったかもしれません。

いつだったか詳しいことは忘れたけど、とにかくこの地球は、うまいこと僕ら生物が生きられる温度とか湿度とか気圧とかが保たれてるんだもんなー、すごいよなーって思ったことがある。

いやそういう条件だから僕らのような生物が発展していったんだろとか、「適者生存」って言葉知ってる?とか言う人もいるかもしれないけど、いずれにせよ僕らの今の命は、奇跡的なバランスの上に成り立っている。

だって僕らが耐えられる気圧の変化の幅は小さいし、同じように気温だって精々0を基準に+-30度くらいまでしか耐えられないでしょう。快適な環境という条件ならば、幅はもっと狭くなる。

それで今何を考えているかと言うと、僕らにとって快適な環境、生きられる環境ってすごく限られているけど、それって地球環境だけの話じゃなく、社会的な環境にも当てはまるよなってこと。

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僕らは調度良い環境が好き。いや調度良くないと生きられない。

例えば、毎日なんも考えんとゆっくりしたいわーとかみんな考えると思うけど、その環境に耐え続けるのは難しいと思いませんか。

一生楽して暮らしたいとか言うけど、実際本当に一生楽して暮らすのは難しいと思う。

その楽っていうのが「金銭的に困りたくない」みたいな具体的な一点を指して言うなら別だけど、しばしば僕らが言う「楽」は、すべての負担や責任から解放された状態だったりしますよね。

仕事で怒られることもない、朝早く起きなきゃいけないとかもない、詰まんない勉強とかテストとかもする必要ない。毎日好きなことして、好きなように生きて、この上ない自由を満喫したい。ノープレッシャーが理想。

でも実際この状態キツイと思います。低気圧で頭痛が来るみたいなもんで、低血圧で体が動かないみたいなもんで、全身がグダグダになって重たくなり、思考も鈍くなり、表情も薄くなる。どんよーりして何だか楽しくない。

適度なプレッシャーが絶対に欲しくなります。

失敗して怒られるとかでなくても何人かの人には期待をしてもらいたいし、もっと言えば尊敬されたりしたい。自分の存在価値みたいなものを誰かに保障してもらいたい。それって実際は重みやプレッシャーだったりするけど、どちらかと言えば良いプレッシャーですよね。

こういうのを指して、「自分のアイデンティティを保つための『おもり』」だと表現した誰かがいた気がする。

あと近いものとしてはストレス。ストレスはいつも嫌われがちですが、医学的にも僕らにはある程度のストレスが必要らしいです。

僕らが快適に生きるには、あくまで調度良い温度や圧力が必要だということですね。

理想の温度と数度違うだけでぶちギレそうになる僕ら

言うなればこの時代、自分の快適な生活環境ってか人生プランを整えるためにしなきゃならないのは、どのくらいの収入が期待できるかとか、福利厚生はどうなってるかとか、その地域の公的サポートはどうなってるかより、もっと個別具体的な社会環境の精査なのかもしれません。

んん、数値化やリスト化しにくい環境条件とでも言えばいいでしょうか。そういう意味ではグルメ情報サイトでお店の雰囲気を「ワイワイ」とか「しっとり」とかで表現してあったりするのが近いかもしれません。

平均予算とか、営業時間とかもそりゃ大事だけど、決め手となる要素としてムードとかの情報の方が大事だろうと。

お店選びの場合だと「ここ男同士で行って浮かないかなあ?」とか、「デートで使って白けた感じにならないなあ?」って情報の方が大事じゃないですか。

「仕事」でも「住む場所」でもそうだと思うって話です。言っちゃえば人生全部そうだろうと。「結婚相手」とか。なんか、数値化できる条件だけで決めると「思ってたんとちゃう」ってなっちゃうよなあって思う。

で、「思ってたんとちゃう」ってのはマジで思ってたより気温が5度くらい低いってくらいの思ってたんとちゃうさ加減なワケです。長袖持ってねえよ馬鹿野郎、先に言えよ!ってキレてもおかしくないくらいの「違う!」なのです。

命とまでは言わないまでも体調に関わるくらいの影響はある。体調に関わるくらいの「違う!」は傍から見れば些細なことに見えますが、本人にとっては多大なストレスになる。

そういうのあるでしょ。オフィスのエアコンの設定温度が思ってたよりたった3度低いだけでめっちゃムカつくでしょう。同じく思ってたより3度高い設定になってるだけで「はあ?」ってなる人もいる。

これだけ重要なのに、田舎とくれば「人が温かくてみんないきいき」とか言っとけば良いんじゃないってところがあるんじゃないか。まあ適温です、って言ってるみたいな。その辺は適当で大丈夫ってところがあるんじゃないか。

暑がり寒がりとか、高血圧低血圧とかがいるようにこの辺りにも個人差があって、社会的な環境の中でもどの程度が丁度良いのかは人によって全然違うし、その違うってのは遠目に見れば大した違いでなくても、しばしば本人にとって文字通り「全然違う」になる。

だから、そういう個別具体的なフィット感を満たす情報に対する需要がこれからもっと高まるんだろうし、主観で見て、主観を基に表現する個人ブロガーとかは重宝されると思う。

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生きる場所も生き方も選べる時代だからこそ、客観的な事実より主観バリバリの情報の方が役に立つし個性を持った個人としての誰かにとっては信頼できるだろってことです。

わがままボディな僕らはもっとわがままに人生を選んで良い。そのための情報を。

僕ら主観的な感覚の好みがけっこう厳格にあって、正直なことを言えばめちゃくちゃわがままだと思います。

でもしょうがない。

僕ら快適に生きられる範囲ってかなり狭くて、ちょっと気温が上がり下がりするだけで文句を言い、体調を崩し、ちょっと気圧が上がり下がりするだけで頭痛くなったりして寝込んじゃうような、もともとが弱々しい生き物なんだから。

地球の位置があとほんの少し太陽に近かったら、多分僕らは生きていない。本来が繊細でわがままボディな上に、それを保てる奇跡的なバランスの上に生きているのだから、そんな宇宙レベルの環境の、さらに下の階層である社会環境にだって相当のバランスが求められると思います。

プレッシャーや期待、温かさや厳しさ、気安さや気難しさ、自由や不自由のバランス。

どれぐらい思い通りに動けて、どれくらい他人の指示通りに動けば良いかのバランス。

男女比、年齢層のバランス、人工と自然のバランス。

言葉でしか伝わらないけど言葉にしようとすれば数千字を要すること、写真でしか伝わらないこと、気配、エピソード、その他もろもろ。

仕事、住む場所、一緒にいる人、つまり人生は、多分そういうので決めた方が快適に暮らせると思うから、そういうのを決められる手がかりや情報がもっとあると良いと思う。

そしてさらに欲を言えば、そういう情報が増えることで、自分の主観的な好みを突き詰めた結果、(お金稼げないとかで)現実的に生きられないみたいな人がいなくなったら良いんだけど。

情熱と個性と蹄鉄屋

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