原始的な情報社会から、現代的な創造社会へ

情報社会と言われて久しい。

昔ながらのテレビや新聞はもちろんですが、ネット上では個人・団体様々なメディアが競って情報を流し続ける毎日。

かくいう僕も毎日のようにこうして愚にもつかない情報を垂れ流している訳ですから、膨大な情報のほんの埃みたいな一部分ではあるのです。

この記事今読んでくれてる人ありがとう!探し出してくれてありがとう!

僕なんか埃みたいなものなのに。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

情報はしんしんと降り積もる雪のよう

埃じゃあんまりなので、もう少し綺麗な比喩を考えたいと思います。

僕が住む北海道は雪国なので、情報はまるでしんしんと降り積もる雪のようだというのはどうでしょうか。

そうすれば、僕の発する情報だって、雪の結晶の一つと言える訳です。

もし僕の発する情報が雪の結晶の一つであるのなら、探し出してくれてありがとうという卑屈な態度を一変させ、よく見つけたね、くらいのことは言えるのではないでしょうか。

さて、北海道ではえらい量の雪が降ります。

まるでこの社会に溢れる情報のように大量の雪が降ります。

実際、雪は情報のようです。

降った直後が一番新鮮で、降り積もるに従って下の層は見えなくなっていく。

僕ら雪国に暮らす人間は、日々この雪に翻弄されながら生きているのです。

ちょうど人々が日々降り積もる膨大な量の情報に翻弄されながら生きているように。

原始的な情報社会から現代的な創造社会へ

僕らは日々情報に踊らされています。

犬が喜び庭駆けまわるように、猫がこたつで丸くなるように、僕らは情報に触れては反射的に行動を変える原始的な動物です。

情報社会に生きる僕らはそれが当たり前なのかもしれませんが、これからは創造社会がやってくると言います。

創造社会というのはどういうものかと言うと、簡単に言えば「自分で作る」ことが主流になる社会です。情報に対して自分が主体的に使う立場にいるので、かつてと比べると現代的。

そう聞けば、これから来るというよりはもう来てるという感じですよね。

手作りと聞いたとき、多くは物質的なものを思い浮かべるかもしれません。様々なツールの台頭により、いままでは専門の人が作っていたものも自分で簡単に作れるようになった。

例えば家なんか大工さんが作るのが当たり前だったけど、今では自作する人も増えているのだとか。

この裏にも情報があります。「家を作るというノウハウ」が情報としてあるから、専門でなくても少なくとも自分の満足いくものは作れるようになった。

もっと小さく例えば「料理」だってレシピという情報がある、「現代的なコミュニティ」や「恋人」と言ったような概念的なモノの作り方だって情報がある。そういうのにアクセスするのが今はすごく容易。

ツールらしいことに話を戻すと、例えば「3Dプリンタ」は物質社会の常識を覆すだろうし、noteのような「SNSサービス」やブログなどは出版の常識を覆すかもしれない、「現代的なコミュニティ」ができればまちづくりの常識も変わるでしょう。

これらは技術自体もさることながら、なによりハウツーを司る「情報」がその運用の下支えをしています。だからこそ、情報社会の次は創造社会だと言うわけで、作る方法があるからこそ、自分たちで作るという発想にもなるのです。

何を創造するかっていうと最終的には人生だろう

創造社会が作るものは多岐に渡ります。

作れないものはないと言ってもよいでしょう。

作れないものはないと言って、僕らが僕らの人生で一番力を入れて作るべきは何か。

それは人によって違うと言いたいところですが、だから、「人生」そのものなのではないでしょうか。

僕らは一人ひとり、必要な情報をもとにしながら、自分の人生を作っていく。

一人ひとり違う、言わば手作りの人生です。

自分の人生に必要なものを注意深く選び、自分自身を作っていく。

選んだ情報の総体が自分の人生になるという訳です。これまでもそうだったはず。

僕らは情報に触れては、生き方だって選んできたはずです。

もしかしたらこれまでは、多少主体性を欠いたものだったかもしれない。

雪を見た犬がみんなはしゃぐように、雪を見た猫がみんなこたつで丸まるように、僕らはそのとき一番新鮮な情報に踊らされて、みんな同じような行動をとったかもしれません。

しかし、これからは一層主体的に、自分で必要な情報を選んで、つまり情報を道具的に扱って、好きなものを「作る」時代です。

雪だるまを作る感じで

例えば雪が降ると、僕らは雪だるまを作ります。

あれが情報を選び、形作る作業に似ているかもしれません。

大量にある雪の中から、必要なものを選んで、自分の好きな形にする。

雪だるまじゃなくてもいいです。カマクラでも、雪像でも、凍らして氷像にしても良い。

とにかく雪ってやつは扱いやすい水のようなものですから、どんな形にも加工できます。

自分の創造力をいかんなく発揮できる材料なのです。

現代の情報は、だからそういう形をしているのだ、使われるのを待っているのだと僕は思います。

情報は膨大だし、容赦なく押し寄せるし、とても人間の手に負えない自然のような姿をしているかもしれません。

しかしその実、主体的に扱おうと努力すれば必要な量は限られているし、かなり自分の思い通りの創作ができる材料になる。

成熟した情報社会だからこそ、僕ら一人ひとりの創造力が試されるのです。

原始的な情報社会から、現代的な創造社会へ(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク