和の本質ってなんだろう/和と癒しの空間にある負の感性について

面白いなと思った文章や、まちづくりに活かせそうだなと思った文章はメモする習慣があるのですが、『美しい日本のすまい』という和風住宅の佇まいを紹介する本にこんな文章がありました。

ちょっと長いけど、「和風の本質」についての文章の一部です。

将来の和風空間を考える上で、和風の本質とは何であるかを考えねばならない。

「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」のように、和風の本質は負の感性(沈黙)である。負の感性の本質は影と陰影といえる。陰影とは味わい深い空間のことを意味する。

(中略)

和の空間とは谷崎純一郎のいう陰翳礼賛の空間である。そこには仏壇があり、床の間があり、縁側からつづく庭があって、初めて癒しの空間となる。

しかし、心を癒すのは庭だけではない。庭に代わる絵画、彫刻、インテリアデザインが芸術的であれば、庭がなくても心は癒されるのである。

現代の住宅の和室やほとんどのマンションの和室は、仏壇も床の間もなく、何の美学も精神性も尊厳もないコンクリートの四角い箱の中に畳を敷いただけの、単なる物理的空間でしかなく、こんなものは和室とはいえない。

将来の和風とは、現代のもしくは未来の材料を用いたとしても、和風の美学、哲学、思想さえあれば、時代に捉われない和風の情緒性のある美しい空間をつくることができるだろう。

美しい日本のすまい―和風住宅総集編

前半が駆け足で、後半が怒りすら感じる熱い文章です。

言ってること分かる気がしますよね。

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負の面は無いに越したことない僕らは和を捨てたのか

和風の本質は「負の感性」にある、と書いてありました。

ところが現代に生きる僕らは、なんとなく潔癖なところがあって、負の感性をそのままにしておけないところがあるのではないでしょうか。

悩みや不安や失敗は無い状態が正しいという認識が一般的だと思うし、負の感性を神経質なまでに避ける傾向があるんじゃないか。

それもただ隠すとか黙るとかではなく、負の部分を正に転じるというやり方で影を封じる傾向にある。

そして文明的な現代では、それが簡単にできてしまう。

ライフハック系の記事は人気だし、あらゆる悩みは検索をかければ対処法が載っている。悩みはインスタントに解決できて、あらゆる自分を肯定し、正当化し、誰の目に触れても恥ずかしくない自分を演出できる。

これは負を正に転じる方法、影を日向に引きずり出す方法だと思います。

僕らは負の感性を否定することで、和風の本質を捨ててしまったのでしょうか。

沈黙し、秘する美学

以上のように考えれば、この文明社会において、「和」の精神性が失われつつあるという話にも一理あるのではないでしょうか。

僕らはしばしば光の当たる部分の奥に見え隠れする陰影の部分にまで光を当ててしまうことがある。

失敗から学ぶとか、悩みは財産になるとか、不安は行動の原動力になるとか、そういう風に、マイナスのものをマイナスのものとして見ない精神性は、(少し飛躍しているかもしれませんが)窮屈さやプレッシャーの源となってしまうこともあるのではないでしょうか。

なぜなら、和風の本質とは「負の感性(沈黙)」にあり、和の空間というのは「癒しの空間」だからです。

もちろん、マイナスの感情を原動力に頑張ったり、マイナス面をプラスに転じる精神性は大事だと思います。

ただ、それを秘する精神、つまり「沈黙」の部分は失われてしまっているというのはあるのではないかと思うのです。

だからと言って、そういうマイナス面は黙って克服しろというふうに暴言を吐きたいわけでもありません。

ただ、自分のちょっと日の当たらない部分、ちょっと肌寒くて、残念な部分も、そのまま認めてそっとしといてあげる精神性も大事なんじゃないか。

そしてそれを他人にも許してあげる精神性が生み出す佇まいが、相手を構えさず、リラックスさせることに繋がるのではないか。つまり、秘することで映えるものもあるということ。

奥ゆかしい人になりたいの

日本語らしい言葉の中に「奥ゆかしい」というものがあります。

この通り、僕らは隠されたものや沈黙したものに並々ならない「美」を感じる感性を持っているはずです。

「ゆかし」というのは「見たい・聞きたい・知りたい」という欲望を表す古語で、「奥ゆかし」というのは「奥の方が気になって仕方ない」というような意味です。

逆に言えば、晒されてしまえば興ざめだって精神があって、表に見える部分と影になっている部分の対比を楽しむ心がある。

もちろんこれは日本独特の精神性というわけではなく、ある程度人間に共通する美学や哲学の一つなのだろうけど、日本は特に「負の感性」と言ったものにフェチズムに近い嗜好を持っているのかなと思います。

この「奥ゆかしい」という言葉も最近使われなくなって来た気がしますが、だからこそ、たまに和風に思いを馳せたりして、一息入れることができると良いなと思います。

また、人と話をするとき、人を招くとき、例えばまちづくりという文脈でも、意識したら良いところかもしれないなと思いました。

和の本質ってなんだろう/和と癒しの空間にある負の感性について(完)

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