僕たちには架空の人物が必要だと思う。
すごい嫉妬するから。という話をします。
僕は嫉妬する。
面白い小説を読んだとき、面白い記事を読んだときはものすごいことになる。書き手に対する嫉妬感情が芽生える。面白ければ面白いほど嫉妬の炎は最大出力になる。
特に小説に関する嫉妬はすごい。凹んですぐには書きだせないほど嫉妬することもある。自分が書いたものすべてを否定されるような感覚に陥ることがある。とても次は書けないと思う。
なぜこんなに嫉妬するのか。
嫉妬は自分が心から欲しているものが分かるから嫉妬しないことが必ずしも正しいわけではないけれど、情けなく気持ち悪い感情なので必死で隠すものの、嫉妬感情から眼を逸らそうと思えば思うほど苦しくなる。
僕はこんな感じなんだけど、これを読んでくれる方はどうだろうか。
嫉妬に苦しめられながら思うのは、架空の人物には嫉妬しない不思議。
ハーレムマンガの主人公には嫉妬しない不思議
例えば単純に、女の子にモテモテの友達がいたら嫉妬すると思う。
お金持ちだったりなんだり、嫉妬する要素というのは他人の中に溢れている。
自分には足りないものが多すぎるし、持っているものの有難さについて冷静に考えるのは難しい、というか浮かれたままでいることが難しい。
持っているものは当たり前になって、持ってないものばかりが欲しくてたまらなくなる。
ところが架空の人物がいくらモテてもお金持ちでも全然嫉妬の対象になりません。
ハーレムものってジャンルがあると思うけど、例えばハーレムマンガの主人公に本気で嫉妬する人がいるだろうか。
そりゃ作り物に嫉妬しないでしょ、という意見はごもっともなんだけど、それより不思議なのが、ハーレムマンガの主人公がモテると嬉しいみたいな感情になることです。
二次元の女の子は実在しないのだから、二次元の世界で誰がモテようが関係ない。自分が手に入れられそうなものを持っている人に対して僕らは嫉妬するのだから、そもそも誰も手に入れられないものに嫉妬するなんてありえない。
いやほんとそうなんですよね。架空というだけで嫉妬はできない。
嫉妬はできないのに、感情移入して応援できるのはなぜだろう?って思いませんか。
物語ってそういうものなんだろうか。主人公は限りなく自分ごとになって、主人公が喜べば嬉しいし、苦境に立たされれば苦しい。
主人公が苦しんで楽しくなるとか、楽しんでムカつくということがないのはなぜだ。
他人の幸福を本気で自分ごとのように嬉しく思う相手は、架空の人物だけなんじゃないか
主人公の感情がダイレクトに自分の感情になる原理はここであまり深く考えないけど、僕はそれが不思議でしょうがないんです。
まあとにかくそういうもんなんだとしたら、僕ら素直に人の喜んでる姿とか、楽しんでる姿を喜べる状況って、その架空の物語の人物に対してだけなんじゃないかと思う。
大事なので言い回しを変えて繰り返します。
僕らが他人の幸福を本気で自分ごとのように嬉しく思う相手は、架空の人物だけなんじゃないか。
現実でも友達が幸せそうだったり楽しそうだったら嬉しいという感情はあると思います。
大切な友達だから、自分のことのように嬉しいってこと、確かにあると思う。
これ僕だけだったらマジで嫌なんだけど、そういう身近な人の喜びが自分の喜びっていう感覚はあったとしても、それは、ちょっと自分の理想とズレているから起こる感情であって、ぴったり自分が手に入れたいものを他人が手に入れたらいくら親しい友人でも嫉妬するんじゃないかと思う。
例えば、友達に恋人が出来たら嬉しい。幸せそうにしてたら嬉しい。その感情自体は否定しない。
だけどその恋人が、まさに自分の好きな人だったりしたら(もしくはすごく自分のタイプだったら)、素直に喜べるか。
理性じゃなく、人間としてどうこうじゃなく、ハーレムマンガの主人公がヒロインと良い感じになるシーンを見るときに感じる喜びがダイレクトに自分の喜びになるか。
僕はならない。自分が手に入れたいものを他人が手に入れるのはしんどい。憎いとまでいかなくても、心のどこかでうまくいかなければ良いのにという感情があることは否定できない。
世の中が平和なのはそれぞれの欲望が少しずつズレているからで、
ちょっと話はそれるけど、多様性の重要性ってこういうところにもあると思う。
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小説やマンガ、映画、ドラマが大好きなのは、他人の感情とゼロ距離でいられるときだけ自分が醜くならずに済むからなのでは
嫉妬感情とどう付き合って良いのか、というのは、きっと大きなテーマだ。
しかし嫉妬を消すってのもどうだろう。嫉妬は必ずしも悪いものじゃない。
強いエネルギーになるし、自分を見つめなおすきっかけになる。
ただ、嫉妬感情に振り回されて粗さがしをしてしまったり、心の中でさえ因縁をつけるようになったら、嫉妬の使い方が間違ってるかもしれなくて、自分が嫌になってしまいますよね。
素直に僕も頑張るぞとか、教えてほしいとかそういう風に持っていけたら良いけど、プライドや高い望みがあるからこそ嫉妬するだけに、プライドや高い望みがあるからこそそこまで聖人になれない。
あの人とは違うやり方で、違う方針でやるのだ、なぜなら自分はあの人みたいになりたいわけじゃないし、あの人が喜ぶようなことでは喜ばないのだって言い聞かせて、自分の道を歩むことになることも多いと思う。
嫉妬感情から逃れるために、そもそもの目標を見つめなおして、軌道修正してってこともあると思う。
それで結局何者にもなれなくて、自己嫌悪に陥って、やり遂げた誰かに嫉妬しての繰り返し。
小説やマンガ、映画、ドラマが大好きなのは、他人の感情とゼロ距離でいられるときだけ自分が醜くならずに済むからなのではとふと思いました。
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