すぐやる人間

『文明はなぜ崩壊するのか』では、第4章にて

反対という名の思考停止

という話題を取り上げています。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

思考停止同士が議論したらどうなるか

僕たちは何かにつけて反対をします。

戦争反対、原子力発電所の再稼働反対、増税反対。

反対はするんだけど、じゃあ反対するとして、どうしたら良いと思う?という質問には答えられる人が少ないと言います。

戦争だとうが再稼働だろうが増税だろうが、何らかの問題の解決法に違いありません。

それに反対すると言うことは、もっと別の方法で解決をはかるべきだと主張するのが本当なのですが、そんな代替案がない状態でも、僕らはとにかく反対をする。

それは何故かと言うと、現状が変化することや未知のことに対する漠然とした恐怖があるかららしいです。

別のもっと良い解決法があるからではなく、嫌だから反対する。

「今日はラーメンでも食べに行こうか」なんて話をすると「えー、ラーメンー?」とか言って不満そうだから「じゃあ何食べたいの?」と言うと、「分かんない」って答える。

それは思考停止だ、と言うことでしょう。

もしくはこんな側面もあるでしょう。

例えば原子力発電所の再稼働反対の理由はちゃんとあるし、解決法も分かってる。

みんなもっと電気を使わなくすれば良いんだとか、再生可能エネルギーを使おうとか、発電と送電を分離して電力事業の自由化をはかり…とか。

だけどそれがけっこう難しい。
出来ればもちろん素晴らしい解決法だけど、適用するにはかなりの勇気とか覚悟が必要ですよね。

原子力発電所を再稼働しようって言うのは、言ってしまえばそうやって新たな解決法による新たなステージに行くことに漠然とした恐怖を感じる連中が手っ取り早く今までの方法でことなきを得ようとしてるとも取れます。手近な解決法・答えに飛びつくってやつです。

これも思考停止じゃないでしょうか。

もういいじゃん色々新しいことしようとしたら大変だしさー、絶対なんかの問題は起きるんだから、それなら今までの方法で、問題もある程度予想できるものの方が安心じゃんって感じ。

脳みそが衰えてる感は否めないですよね。

つまり、僕ら人間は問題に対してとりあえずノー!と言う思考停止組と、手近な解決法にとにかく頼ろうとする思考停止組の一騎打ちという状況が多く見られる訳です。

これじゃ解決しないに決まってますよね。

昔の人のイメージ

頑固おやじのイメージってあります。

新しいものが苦手で、古き良きものが大好きで、新しい方法とか馴染みのない習慣はとりあえず否定する。

電子書籍とかが盛んになってきた頃も、何となく受け入れられない人っていましたよね?

今もいるかもしれないし、僕も例えば気に入った本なんかは本棚にあった方が嬉しいからまだまだ紙の本の方に愛着があります。

だけど最近のワカモノでもありますから、情報を得るだけなら電子書籍でも別に良いとも思います。

一回しか読まないだろうなーって本はわざわざ紙の本買わないし、読んでつまらないヤツって捨てたいけど紙の塊をゴミ箱に捨てるって抵抗あるもんで一応取ってあったりして、そういうときは電子書籍便利だなって思います。データ削除するだけだし。

あと電子書籍の良いところは最悪灯りがなくても読めるところですね。
紙の本だと灯りの当たり具合とかが問題になることがあるけど、電子書籍は端末が光ってるから布団にもぐって読んだりできる。目には悪そうだけど。

新しいものも使ってみると別に悪いモンでなかったり、良いところも悪いところもそりゃあるけどそれはお互い様。

だけどとりあえず否定する人って言うのはやっぱりどこか感情的で、根拠が薄かったりしますよね。ただ何となく気に入らないだけ。

そういう人って頭が固いとか言われてしまうんですよね。

固いだけあって思考が停止しているのはやっぱり否めない。

すぐやる人間・なんでも肯定する人

言っても頑固おやじな面って誰でも持ってるし、新しいものに対して警戒心が強くなることは人間として自然なことだと思います。

みんな新しいモノの前では猿みたいになりますよね笑。手でちょんちょん触ってみたり、くるくる回してみたり。それは面白いと思う。

僕がむしろ嫌なのは、なんでも無暗に肯定する人です。

理解ある人間に見られたいのか、否定すると角が立つかもしれないのが嫌なのか分からないけれど、新しいものに対しては大した吟味もなくゴーサインを出す人っていると思うのです。

あくまで最近どことなく感じる人間一般の印象で、誰のことを言ってるとかじゃないけど、自然と肯定から始めましょう、とにかくやってみましょうみたいな風潮になってると思う。

とくに町おこしとかに関することは。

『文明はなぜ崩壊するのか』で僕が共感したのは、「反対という名の思考停止」よりも訳者のあとがきでのこの一文でした。

私はこの本を訳しながら、もう一つ手ごわいスーパーミームを追加したいと思った。それは「何もしないこと」を罪悪視する風潮だ。

やるべきことが明白なのに動かないのはただの怠慢だが、行動の中身を吟味もせず、「とりあえず何かやっとけ」という安易な方向に社会がなびき、「あえて何もしない」ことが反射的に断罪されてしまっている。

本書にはLust Say Noが思考停止をもたらし、社会の前進を妨げるとあるが、Just Do ITもまた、思考停止の合言葉になっているような気がしてならない。

「思い立ったら即行動」とか、「とにかくやってみる」という言葉が横行している気がする。

もちろん行動は伴わなければならないと思いますが、「やることに意味がある」とか、「やっているうちに分かってくることがある」、もしくは「やらないよりやった方が良い」ということを信じすぎて、考えることを放棄している人もいると思う。

とにかく何かやる、とにかく何か作る。

「とにかくやる」ことが目的になってしまって、それで何が解決できるのか、それでどんな可能性が生まれるのか、それで誰が幸せになるのかは考えない。

やってゴールだから、使い捨ての、ろくに吟味されない、完成度の低いアイデアばっかりが生まれては消えする。

特に町おこしや地域おこしはそんな風になんとなく行われていることが多いのではないかという印象。

すぐやる人間(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク