WEB上で小説を書く人が、とにかく数を書かなければならない理由

僕の好きな作家の一人に、シオドア・スタージョンがいるのだけど、この人は「スタージョンの法則」ってものを生み出した人としても有名です。

wikipediaで見てみると

「どんなものも、その90%はカス(crud)である」

これがスタージョンが放った格言として説明されています。

あと、似たようなものにパレードの法則がある。

やはりWikipediaの説明をそのまんま拝借すると

経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論。80:20の法則、ばらつきの法則とも呼ばれる

なのだそうです。

この法則を見ても、何か素晴らしいものを作ろうとする僕たちは、時間をかけてゴミを作り出すことを恐れずに、淡々と作り続ける必要があることが分かる。

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だからと言ってゴミを生み出すつもりで作るのは違う

だけど、例えば僕のようにWEB上で小説を書く人は、書くだけでなく公開するというハードルもあります。

ハードルというか、公開が容易になったからこそ、「俺が書いたこれはゴミなのかどうか」に対して神経質になってしまうことが多い。

90%はゴミで仕方ないと思いつつも、人様に見せる以上、ゴミと自覚するようなものを上げるわけに行かないという葛藤です。

作るものの90%はゴミで仕方ない。これは法則なので、仕方ない。受け入れなきゃならない。でもゴミを生み出すつもりで作るのは違うし、ゴミと分かるものを人に見せるのも違う。

落としどころとしては、結果的にゴミであっても、今の自分にとっては全力で、例えひいき目に見てゴミだとしても、愛する我が子であるという点ははみだしちゃいけない。というようなところだとおもいます。

そこをはみ出すと、見せる相手に非常に失礼を働くことになるし、適当なものはゴミにもならない。この考え方は、好みの問題ではあるけれど。

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noteのはじめかたの見解

僕が短編小説を公開しているnoteでは、もっとも大事なこと(noteのはじめかた)というようなnote制作チームの見解が示されています。

もっとも大事なことは

・創作を楽しみ続けること

・ずっと発表し続けること

きれいごとでもなんでもないし、いっちばん難しいことだからもっとも大事なことなんだと思う。スタージョンの法則やパレードの法則と合わせて創作の質について考えても、これが真理だと分かる。

名文や超大作を仕上げようとして、手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に世に出しましょう。

ゴミを出すつもりで作るのは違う、とは言え、気軽さというのもとても大事ですよね。

立派じゃなくても良いし、必ずしも多くに賞賛されるものである必要もない。

だけど自分の中にある宝石と出会うまで創作の旅を続けるためには、やっぱり気楽さと共存するプライドが必要だと僕は思う。

S極に気軽さ、N極にプライドを置いて糸を張る。上手に適切なテンションを保ち、切れず弛まずピンと張る。

そうしてピンと張った糸を弾くと良い感じの音がなって、場合によっては遠くまで届くかもしれない。手ごたえがあるので楽しい。

そういうコンディション作りができると、創作は楽しいし、続けられる。感覚としてnoteは、そういう調整がしやすいプラットフォームだと思う。

品質保証されたゴミと、正真正銘のゴミ

こんなこともかんがえました。

もし、どんなものも90%はゴミということが法則と言えるほど神様に定められた真理なのだとしたら、たとえプロが書く小説(小説に限らずあらゆるモノも)だって、90%はゴミと言えるはずです。

プロの作家になるまでに90%のゴミを排出し続けたのかもしれないけれど、きっとそういった数字は狙って操作できないので(パレードの法則はばらつきの法則とも呼ばれるくらいだし)デビュー後にゴミは書かないなんてことはできないはず。

しかしプロの作家がすごいのは、そういう法則を乗り越え、商業出版に耐えうる品質の小説を、年に一冊とか二冊とか三冊とかっていうペースで出し続けること。

編集者がついて、厳しい校正があって、どこに出しても恥ずかしくないってレベルまで引き上げられて生み出されるから、仮に、全作品を俯瞰してみたときには、そして本人的にあとでゴミだと気付くものだとしても、かなり品質が保証されたゴミが生まれるわけです。

例えば僕はnoteで小説を書いてるから、編集者なんていない、というかそれは僕だし、校正もされないというかそれも僕だし、品質の点で言えば間違いなく正真正銘のゴミが生まれる確率が高いです。

プロと僕らには大きな差がある。作ってきた量の差だけでなく、プロはプロの世界で評価され続けてきたという環境の差がある。

WEB上で小説を書く人はとにかく数を晒せるのがアドバンテージ

このいかんともしがたい差を乗り越えるのも、やはり数だ、と僕は思う。

WEBは自分の判断で、好きなだけ晒すことができるところがアドバンテージだ。

その判断は個人の自由だけど、ゴミ箱につっこむ必要も消去する必要もなく、WEB上に放り投げることができる。

多くの人の目に触れて、評価されたりなんのレスポンスも得られなかったりしながらも、気楽さとプライドのネジを小まめに締め直し、作り続けていく。

これは楽しい。とても内向的で、それでいてWEB的な、無駄にも徒労にもならない作業だと思う。

続けて、続けて、90%のゴミの山を越えるのも楽しくなれば、いつか自分にとってこれだこれだと思える宝石のようなものに出会えると思う。

そして、その宝石一個は、これまでのゴミの山全部まるっと正真正銘、誰に何と言われようと宝の山なんだって心から思えるようになるほどのものだと思う。

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