きれいごとを書きなぐれ!ブログ文章を楽な気持ちで書くための抽象論

僕はよく、このブログできれいごとを書きます。

お金はそんなに必要じゃないとか、人が大事だとか、やりがいがどうとか、幸せがなんちゃらとか物語が~とかそういう話しです。

前回の「自分の中の隠れた動機を隠しておくのも面倒だから。」の内容もきれいごとと言えばきれいごとです。

きれいごとって程じゃなくても、口では言うけどさ…って食傷気味の内容だったり、それで済めば誰も苦労しねえよって話も書くでしょう。

だけどそれは僕の心がキレイだからそう書くのではなく、書くという作業をしなければ感情が簡単にくすみ塗れてうやむやになるから書くのです。

デトックスというやつです。

本日は、「書くことでデトックスする」という概念を詳らかにするとともに、色々悩んでしまって文章を書くのが苦痛だという人の気持ちが少し楽になるかもしれない記事を書きます。

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いわゆるカタルシスか

口に出すとすっきりするとか、悩みを打ち明けた途端に何故か心が楽になるとかって言ういわゆる「カタルシス」って概念がありますが、ここでお話したいのはそれとは違うことです。

第一カタルシスを目論むのだったら鬱憤ばかり悪口ばかりになってしまいそう。それに共感してくれる人がいて、なんかスッキリしたって気持ちになっても、何だか不毛な感じがします。

そういう鬱憤とか悪口とかは友達と言いあってれば良いことだし、何より悩んで書くものではないかなと。

文章の持ち腐れです。

あ、そういえばカタルシスって始めて聞いたとき「語る死す」って脳内変換した記憶があります。あながち間違ってなさそうだけど全然違いますね笑

なぜ書くのが辛いのか

文章が苦手という人はすごく多いけど、そういう人って多分すごく良い人なんだろうなって思います。

もしくは素直な人、潔癖な人、誠実な人。

なぜってスパッと答えるのは難しいけど、まず、普通は心とか頭の中ってこんな感じだと思うんですよね。↓

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え、なにこれ。笑

なーんか、思ってたんとちゃうって感じだけど、思考とか気持ちを上手に表現したらこんな感じなのだと思うのですよ。ついでに、ちょっとピンぼけの記事トップ画像みたいなね。

つまり、色んな理屈とか感情の糸ががんじがらめになってなんとなく全体の形を成しているような。

でもそれをそのまま伝えようとしたらどうしても、こう、この写真みたいに汚い感じになってしまったり、みすぼらしい感じになってしまったりするものでしょう。

で、「新しいことを考え出す人の時代って言われはじめてもう10年近く経つんですね」でちらっと書いたけど、言葉って順番に並べなきゃいけないってルールがあります。

赤いリンゴは一目見たら分かるけど、言葉で伝えるには「赤い」の後に「リンゴ」を並べてやっと伝わる。この時間差が言葉の不便なところです。

だから感情や思考も言葉にするならちゃんと並べなきゃいけない。

糸を解きほぐす作業がまずは必要なのですね。

で、写真をよく見てくれたら分かると思うんだけど、パッと見黒いけど白い糸も混ざってます。

一本一本見ていくと、まったく正反対の、矛盾する思考や感情があるってこと。心とか頭の中ってそういうもんだろって話です。「赤い青りんご」みたいなものが当たり前にある世界です。

文章を書くときって普通は自分の気持ちや感情をどうにか伝えたい!と考えるものだし、こう書いたら嘘になるよなとか、本当はこんなことを言いたいんじゃないんだよなとか、こんなこと書いたら読んだ人は嫌な気持ちになるかなとか色々考えてしまいます。

でもそれは、あまりにも言葉を信頼しすぎていて、自分の気持ちや思考を伝えるに足る便利な道具だと思っているということではないでしょうか。

文章が苦手、書きたいけど書けないという人は、素直で誠実な人なんだと思います。

結果的に嘘になってしまったり、真実とは言い切れない部分に悩んで筆が止まってしまうのですから。

感情や思考が豊かな人にとって、言葉はあまりにも役不足なのです。

でも言葉の力を信じてる、書きたい!

同じ人間だし言葉数とか知能にはそれほど差がある訳がないのに、文章を書くのが苦手って言う人はけっこういるようです。

でもそれは劣っているというより、言葉が発達している故に、言葉の力を信じているが故に起こる錯覚なんじゃないかなと思う訳です。

僕だってこのブログ程度の文章しか書けないけど、別にそれほど苦じゃないってところに注目すると苦手意識は低い方なのかなと思います。

じゃあなんで僕は文章を書くのが苦じゃないのかというと、言葉や文章に対して素直じゃないし、誠実ではないからです。

君は景色/田舎への移住を呼びかけるわけ」に書いたような意識を持っているので、基本的に自分の言葉は誰にも通じていないという諦めがあります。

文章は書いたときではなく誰かが読んだ瞬間に生まれるもので、かつそれは読み手のフィルターを通して再構成されるものです。

人は見たいものを見たいように見るものだと言いますから、文章も例外ではありません。

だから文章にできることは自分の気持ちや考えを伝えるのではなく、他人の気持ちや考えと寄り添うことなのです。

って頭では分かっていてもなかなか出来るものではありませんよね。僕だって気持ち的には書くのは苦ではないというだけで、出来ている訳ではありません。

でも、こう考えると、文章を書くのが楽になるかもってのはあります。

文章を書くのは、思考や感情のごたごたから一本だけ選んで抜き取る作業なんだって考えること。

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こんな感じで。これは本当にこの黒いやつに混ざってた糸です。

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こんな黄色い糸も混ざってました。

残された方はどんどん黒くなるけど、取り出した糸(理屈や思考)はキレイなものです。

汚い感情とか割り切れないモヤモヤはそりゃ残るけど、別に人に見せる程のものじゃなくないですか?言う程大きな暗黒でもないし。

どうせ苦労してほぐして抜き取るなら、キレイな糸の方が良いし分かりやすいでしょう。だから僕はブログできれいごとを書きなぐるのです。

こんなこと書いて笑われないかなとか、頭悪いって思われないかなとかってそりゃ思うけど、そういう感情や迷いも黒い方なんですよね。

だから書いてるうちに生まれるそういう感情もまとめてポイです。

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でもこういうこともあると思うんですよね。

白い部分を見せようとしたけどなんか黒いのついてくるみたいな。

でもボヤボヤな感じよりはアクセントになっていいかもしれない。どうしても気に入らないなら切って捨てればいいし。

えと、文章です。文章の話しをしています。例えが主になると分かりやすいようで分かりにくいですよね笑

ブログの良いところ

ブログの良いところは、そうやって一本一本抜き取っては見せるってことに向いてるって部分だと思います。

絡まった糸を、抜き取っては見せ抜き取っては見せって出来る。

そうやって糸を並べる作業が出来るから、全体として見るとだんだん書き手そのものを表現する媒体となる。矛盾もあるし屁理屈もあるけど、よっぽど血眼になってみないと気付かれないでしょ笑

あらゆる割り切れない感情や汚い感情、矛盾する論理と真実をほどいてならべて、それを材料に綺麗な刺繍やらパッチワークやらを作れるのがきっと小説家とかってレベルの人なのでしょう。

黒地にさし色が入ってる文章だとキレイでしょうね。

力量がある人なら目当ての理屈を抜き取って残った有象無象も大事に取っておき活用するのだと思いますが、僕はそんな自信ないのでまとめてくずかごに入れる感じです。

だから書くとデトックスになるし、自分の中にわずかに混ざってる鮮やかな色の論理だけに注目できるというわけ。

嘘とか欺瞞とか見栄とか話してない部分ってのは盛大にあるけど、それ全部表現できなきゃダメってことはないです。

全部出しきったところで、いずれにせよ読む人が読みたいところを読みたい風に読むんだから、結局一面しか見せられなかったりもする。

最初の写真のぐちゃぐちゃのやつだって裏面は見えない。それだったら鮮やかな赤い糸一本を見せた方が楽だし誤解も少ないだろう。

まとめ的な有象無象

言葉を紡ぐって言うけれど、文章ってそんな0から1を作るような作業じゃなくて、綿から糸を作るような作業じゃなくて、せいぜいが絡まった糸から使えそうなヤツを引っ張り出す程度の作業だと思います。

つまり、使う部分より捨てる部分の方が圧倒的に多いってこと。

捨てきれない、全部伝えたい、分かって欲しいという気持ちは確かにあります。言葉の力を信じれば信じる程、ついつい詰め込んでしまいます。

だけど言葉や文章はそんなに便利なものではありません。

どれだけシンプルにしても伝わらないし、誤解ばっかりだし、理解するのに時間がかかって、まともに見てもらえません。どんなに立派な内容でも読み手に興味がなければ存在がなくなります。

でもだからこそ、伝わったときの威力が凄まじいのです。

どうせ一本ずつ抜き取るならキレイな方を見せようぜ、そこに共感してくれる人探そうぜってことで、とりあえず自分がきれいだと思うことを書け、きれいごとを書きなぐれ、という精神でブログを楽しく書いています。

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