剣淵の夜①絵本の里けんぶち/文明と文化~文化を創るということ

ひょんなことで知り合ったある学生さんI君がこんなことをしてる方で
地域土着型サークル『いなかっぺ』

彼が剣淵や和寒にも興味があると聞きつけた僕は実際には全然ここらの人間ではないけれどもわりと朝日町からも近いって理由で「ここ地元だぜ」って顔をしながら、しかも無責任に「この辺なら案内できるかも」って感じでお近づきになったワケです。

で、実際に三人の学生さんがこちらの方まで遊びに来てくれました。

来るってなったは良いけどなんせ僕は別に地元の人間ではないのでぶぶっちゃけ案内なんてできません笑。

地域のコアな部分が見たいという切実な要望に応える術がないのでもうほんとすぐに剣淵町の友人にヘルプ要請しました。

すると教育委員会に勤めている友人はそういうことならと快く尽力してくれたのです。

剣淵と言えば「絵本の里」としてよく知られているかと思います。

友人の計らいで、絵本の里を作ろう会の初代会長である「高橋毅さん」という方に絵本の里誕生秘話をお話してもらえる機会に恵まれました。

この記事は主にそのときの話しです。と言っても誕生秘話を繰り返すのではなく、僕が高橋さんのお話を聞いてどんなことを考えたかということがメインね。

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文化と文明の字を解く

僕も剣淵町の絵本の里が作られる経緯やきっかけには非常に興味があったので、この巡り合いや尽力してくれた友人とそのご家族、そして高橋さんには感謝の念が絶えません。

今回得たものを無駄にしないためにも、こうして記録を取っておかなければ。そして経験をこねくり回して自分のものにしなければ。

さて、ではまず、文化や文明というものは一体何なのかというところから考えていこうと思います。

絵本の里をつくる、文化をつくる。
それがどのような意味を持つのか。
なぜ絵本なのか。

つまり高橋さんのしてくれたお話を理解するためにをはまずここから自分なりに考えなくてはなりません。けっこう壮大な話だったからね。

 ♦

文化や文明という言葉はもちろん誰でも知ってるし、何となく説明はできると思います。国や土地の文化とかって言うし、インダス文明とかってありますし、普段から使う言葉ですよね。

あえて原始的な解釈をすると、文化というのは文字へと変化させるという意味で「文化」なのかなと思います。

文字へと変化させるっていうのは、共通認識を作るということ。

文字化する。だから文化。

では文明はどうでしょう。

文を明らかにすると読んでも良いし、明らかな文と読んでも良い。

つまり、文明とはもう既に明らかな、誰にでも読める文字として知れ渡っている部分を言うのでしょう。文字情報として皆が共有できるものであり、文字が分かれば誰でも理解できること。

文字を見比べてみると、文化は、文になる以前の状態だということが分かります。

どうにかして文にしよう。つまりどうにかして皆に伝えようとする過程であり、生みの時間を担うものが文化である。

高橋さんがおっしゃるには、人間のこれまでの歴史を仮に一年のスケールに縮尺するとすれば、我々が認識できる部分、歴史や記録といった部分が残っているのは、ほんの年末の一日分くらいでしかないそうです。

正確なことは調べてみなければ分かりませんが、確かにいわゆる人間の文明が出来上がったのは地球と人類の歴史の上では極最近の話しでしょう。

我々人間は、歴史の大半を文字を使うことなく生きてきたということです。

人類の歴史

しかし!文字のない時代にも親から子へ連綿と引き継がれたものはあります。情報があり、教訓があり、心のふれあいがあった。伝えようとしたものがあったのです。

何かを伝えようとするあれやこれやを文化と呼ぶとすれば、私たち人間は文明以前の文化の時代の方が長かったということになりますよね。どうにかして伝えようとあの手この手を使っていた時代の方が。

文化領域が重要な例あれこれ

ここで一旦分かりやすく例を出しましょう。

例えば愛情を伝えるとき、文字があれば「好き」とか「愛してる」、「大事」という文字を使えば意味は伝わります。

しかし文字がない時代、その代わりにきっと、頭を撫でたり、抱きしめたりする。もちろん声(言葉)も使ったでしょう。

人間は後者の時間の方が長かったし、僕たちにとってはそっちの方が自然なのです。だってそうでしょう。子供と接するときに文字(意味)だけで愛を伝える親なんて普通はいません。

高橋さんは「これは宇宙の法則(※)と言っても良いくらいに自然なことだ」というようなことを言いました。

我々人類、(いや哺乳類かもしれない)は、とにかく宇宙的なスケールで見れば、文明以前の伝達法や感受性を刺激する部分に深く感じ入り、重きを置くようにできている。

どうにかして伝えようという文化的なことにね。

単純にそういう時代の方が長かったから。

そっちの方が自然だったから。

※宇宙の法則と言えば精神的すぎてオカルティックで理解が難しいかもしれないけれど、宇宙の構造と頭の中の構造は似ているなんて話しを聞いたことはないでしょうか。言葉の拡がりと宇宙の拡がりは確かにすごく似ていると思います。

この話は長くなるのでまた今度改めて書きます。

書いた!→「宇宙の拡がりと文明の拡がり/宇宙と頭の中は似ているという話。剣淵の夜、補足譚。

ここでは、高橋さんが仰ったのは宗教的でもオカルト的でもスピリチュアルな話でもないようだということをメモしておきたい。

僕たちは文字を獲得することで、愛を伝えることに労力を必要としなくなりました。文明を得ることで暮らしが楽になったのです。

僕たちは、文明を利用することに疑問を抱きません。明文化されたものを共有することに戸惑いはありません。

高橋さんは言います。

「絵本は読むものじゃない。読んで聞かせるものなんだ」
つまり労力をかけるものなのだということです。

「考えてみて。例えば絵本のお話しを100個記憶するのは難しい。だけど、歌なら、100曲くらい覚えて歌えるようになるんじゃないか」

文字を持たない民族の間などでは、神話や民族に伝わる物語を口伝で伝えました。

膨大な量の物語をまるまる暗記して伝える人がいて、それは口伝という方法で継承していくもの。実際に文字を使わず、それらは文字が生まれるまでずっと口で伝えられてきました。

何が言いたいのかと言うと、文明の利器である文字はそれだけでは僕たちをあまり刺激するものではないということです。

言葉という情報に、声色、間、雰囲気、リズム、抑揚、表情、呼吸、目線、動作などなど、あらゆる工夫をしてやっと伝わることだし、むしろ言葉以外の部分の方が僕たちにはダイレクトに頭に刻まれる。

これは実際のコミュニケーションでも同じです。

コミュニケーションの90%は非言語によるコミュニケーション(※)だと言われています。言葉よりもその他の情報の方に僕たちは頼っているし記憶に留めているのです。

いつもという訳ではありません。
ウィキペディア「アルバート・メラビアン」の項目を参照ください。

繰り返しになりますが…

僕たちはどうにかして伝えようとすること、あの手この手を使ってコミュニケートした時間、つまり「文化」の領域の方を心に強く刻むように出来ている。

では、絵本を読んで聞かせるという行為が文化的でなくて一体なんでしょう。

子供にとって何が幸せって、あれやこれやと工夫してどうにかして伝えようと時間をかけてくれた誰かがいたということでしょう。

今は文明の時代だもの。絵本に書いてあることも、そのお話の意味もそこに書いてあるのだから分かるものは分かる。文字情報を受け取ることができればそれで十分。

だけどそれは「愛」と書いた紙を眺めているだけで、意味は分かるけどその何たるかは分からないかもしれない。

伝えるって本当はとても手間のかかることです。でもその手間を惜しまずに、工夫を凝らして何かを伝えようとしてくれた誰かがいるということは幸せでしょう。

もちろん絵本じゃなくても良いけど、絵本は幼少時代にはとても大事な大人と子供を繋ぐアイテムなのです。

文化を創る

町作りや町おこしと言えば、普通は文明的なものを優先に考えると思います。

いくら売れたとか、何人集まったとか、どれだけの人にSNSでシェアされたとか、新聞に載っただとか。

それは分かりやすいです。明確で伝わりやすく便利です。

そんな文明的な世の中で、絵本を使って町おこしをするという剣淵の当時の発想は特殊だったに違いありません。

絵本?なにそれ意味あるの?

どうやってお金にするの?

それで人集まるの?

町おこしになるの?

きっと誰もが思うでしょう。

しかし文化を育む土台というものは、人類史的に見ても、宇宙的に見ても、言語学的もしくは心理学的に見てもとても重要です。

だって頭と心全部を使って、時間をかけてコミュニケーションを取れる人が、この文明に偏りすぎた世の中では必要だもん。

皆さんは忙しい時間がないって人の話しを適当に聞いていないでしょうか。

とにかく結論を早く出そうとする傾向にはないでしょうか。
要するにこうでしょって口先だけの理解をしていないでしょうか。
他人を理解しようとすることに凄まじい労力を感じてはいないでしょうか。もしくは他人のことを簡単に理解できると思っていないでしょうか。

そんな世知辛い世の中を作ったのは、きっと人類が文明の利器に頼りすぎたからです。

愛という文字があるのだから、愛を伝えるにはその一文字を伝えれば良い。直接会う必要はないし、もちろん顔をあわせる必要もない。

直接会って、笑顔を見せたり抱きしめたりするなんて時間の無駄。みんな忙しいんだよ。あんたにかまってる時間はないんだよ。

剣淵は違ったぞ。

友人はわざわざ仕事の休みをとって僕らに付き合ってくれました。

のみならず夜泊まれるように自分の家を提供してくれた。

家に行けばジンギスカンを用意してくれていた。おにぎりが何個も握ってありました。

ほぼ初対面同士だったけど、あんたどういう人なの?何を考えてるの?って理解しようとしてくれる人が、そこにはたくさんいました。

時間をかけて理解しようとすること、理解してもらうための時間を与えられること。あの手この手を使ってコミュニケートしてくれること。

それは子供に限らず、どんな人にとっても心地よく幸せです。

そのための落ち着ける場所、他人とコミュニケーションする時間、他人のことを理解できる人。そういうものを育む土台をつくることが、文化を創るということなのかなと思います。

もっとも、そんな高邁な意思があったかどうかは分かりません。

てか高橋さん曰く絵本の里を作ろう会のモチベーションのほとんどはすすきのでも剣淵の名前が知れ渡るようになりたい!絵本?女性人気出るんじゃね?というスケベ心だったと言います笑。

まあね。分かる分かる笑。だけどそりゃ謙遜(?)でしょう高橋さん、って僕は思いました。言うのも野暮だけど講談話の一幕でしかないはずです。

だって剣淵の夜は素晴らしかったもの。

動機やきっかけは色々あると思うけど、絵本の里は文明に偏りすぎた現代においてはとても稀有で貴重で文化的な土台です。時間がある、場所がある、そして人がいる。他人のために時間を惜しまない人がいる町です。

羨ましい。朝日町もこんな風になったら良いのにってすごく思いました。

しかし友人は言います。

今剣淵はそういう文化的な部分を大事に出来てるだろうか。
もっと絵本の里としてできることがあるんじゃないか。

絵本の里けんぶちも、まだまだ完成ではないのかもしれません。

しかし彼のような人がいるから、けんぶちの未来は明るいのです。

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