剣淵の夜②/多様な人々と田舎の夜の話し

剣淵町を訪れた学生さんは三人。

剣淵の夜①その前の記事のようなことが頭にあった僕はこの三人の三様っぷりが面白かったです。

前回の剣淵の夜①では、文化と文明そして文化を創るということの重要さについて考えました。

今回は剣淵まで来てくれた学生さん達の人柄を引き合いにだしつつ、これからの田舎の役割について言及していこうと思います。

学生さん達を簡単に紹介します。

まず今回の道北ツアーの発起人であるI君。賢く伝達能力に優れた方です。

次に剣淵に訪れるメンバーの中では紅一点な存在だったHさん。感受性に優れた視野の広い方です。

道北の旅では最年長、と言っても23歳のS君は成り行きを見守るタフな観察者タイプの方。わりと空気読みです。

まあたった一日の付き合いだし、かなり恣意的なキャラクター付をしてしまっていることは否めません。

しかし悪いけど記事の材料とするためなので我慢してもらおうと思う。

そしてS君、空気読んだ結果なのかどうか分からないけど、夜にやった人生ゲームで君に負わされた3万$の負債のことは忘れない。S君は任意の人間から3万$受け取れるコマで負債だらけだった僕を選ぶような人間でした!

だからというワケではないけど今回はもう記事に出てきません。笑

今回はI君とHさんの対照的な人柄を材料にさせてもらおうと思います。

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文明的な人間

さて、それでは本文に入ります。

I君が賢いというのはまあ北大の学生さんだってことからも分かることなのですが、北大にも頭悪い人はいっぱいいるでしょう。それより何より彼のお話を聞いているとそのことが分かります。

けっこう早口なのです。

明らかに思考が速くて、言葉を発する時間がもどかしそう。だからって噛むわけじゃないしよく伝わるように話せるんだからすごい。

初対面の人相手でも全然ひるむことなく自分の考えを話すことができるってホントすごいと思う。

そんな彼はとても文明的な人間なのだなと思います。

文明的というのは、自分の中で思考がはっきりしていて、目指すものが決まっていて、実際に形にして触れられる形で人と共有することができるということ。

明らかな文となった何か、人に見せられる何かを持っている人間で、方針がクリアだから今回のような一連の旅の企画と行動もサッとできるのでしょう。分かりやすいから人も集まるしね。

剣淵は絵本の里で知られる町です。

文化を創ろうとした町です。

文化とは何かというと、それはなんとかして伝えようとする過程。
文字と化する。だから文化。だと僕は思います。

なんとも言えない色々をなんとかして伝えようとすることが文化。

そう考えると絵や写真などの芸術も同じですよね。

文明が人の見える形ではっきりしたモノなのだとしたら、そこに至るまでのあれこれにスポットを当てたのが文化なのかなと僕は思います。

I君の考えていることは素晴らしいです。

間違ってたら困るからさらっとしか書かないけど、田舎とのマッチング、学生が地域に関わる余地を見つける、地域との関わりの中で生じる化学反応が地域の課題を解決することもあろうし、新しい何かを生み出すきっかけにもなる、何より自分達が楽しい!などなど。

それは確固としたものなのかもしれないけれど、剣淵の夜、ジンギスカンを食べながらお酒を飲みながらしたお話の数々は、とても文化的な営みだったと思います。

初対面でそれぞれがお互いに一体何者なのか分かんねえっていう状態で、相手の話しに耳を傾けたり、話を聞いてもらったりというコミュニケーションが取れたのは、剣淵という土壌にとってもすごく価値のある時間だったと思う。

僕はほんのりと、ああ、人々が求めているのは他ならぬこの時間なのではないか、この文化的で心も頭も満たされる満足感を探しているのではないかと感じました。

文化的な人間

さて、対照的というかI君が文明的な人間だとしたら文化的な人間だったのがHさんでした。

感受性が豊かで、すごく色々なものを受信するアンテナを持っているように見えました。

それがどうして文化的な人間ということになるの?と言えば、そうでなければ漠然とでも未知があるということに目を向けられないからです。

目に見えるものは大事ですが、目に見えない領域(自分の内側でも自分の視野以外の事柄でも)について模索する過程はとても文化的だと僕は思う。

分かりにくいかもしれないから考えてみて欲しいのだけど、例えば地球が中心に世界は回っていて、太陽が昇り星が巡りという日常に疑いを持たない人がいたとしたら、その人は宇宙が無限に広がっているとか、地球が中心じゃないかもしれないとか、あの星は近くで見ると太陽より大きいかもしれないということに発想が及ぶだろうか。

もしそうだとしたら自分が住んでいる地球はどんなところだろうかとか、本当は何を中心に回っているのだろうかなんて考えないのではないか。

これかえって分かりにくくなるヤツかもしれない!

でも、あえてこのまま続けさせてもらうとすれば、宇宙の広さ、文明が生まれる以前の時代、言葉に出来ない領域。

そういうものに思いを馳せるアンテナを持っていなければ、現在の自分の立ち位置や状況なんて考えられない。

そしてどうにかして自分の内側の説明できない部分やもっと広い世界のことを理解しようとする行為はやっぱりすごく文化的なものだと思う。

少なくとも剣淵での夜、Hさんはそんな思考を巡らせていたと思います。

実際、I君ほど確固とした目的があって剣淵まで来た訳じゃないでしょう。

でも何となく惹かれて、実際に足を運んだんでしょ?しかも何らかの成果を得て帰れたのですよね。

それって受信能力が優れた人にしかできない芸当ですよ。ただ、だからこそたまには無理にでもアンテナの受信を切って、整理する時間が必要なのかもしれません。

もし、そんな贅沢な時間が剣淵の夜にあったのだとしたら、Hさんにとってももちろん剣淵にとってもすごく意味があったのではないでしょうか。

ちなみに、「生きづらい世の中だとゴムの壁/剣淵の夜、前夜」(冒頭にリンクを貼ったその前の記事と同じものです)と繋がるんだけど、Hさんのしてくれたお話は僕にとってもとても貴重なものでした。

文化を受け入れる土台

剣淵は絵本の里です。

文化を創りだした町です。

その土台は関わる人を文化的にさせます。

絶対に混乱するから何度も書くけど、ここで言う文化的というのは、どうにかして伝えようとかどうにかして理解しようというあの手この手を使って人とコミュニケートしようとする営みのことです。

人間にとってはまだまだ言葉になっていない領域の方が断然広大で、奥が深く、心に近く、頭のほとんどを占めています。

だからと言って文明的なことが劣っているという訳ではありません。

文明的なI君より文化的なHさんの方が優れているという訳ではありません。

ただ、文化的な営みなくして文明はないということを言いたかったのです。

I君のお話はとても文明的です。分かりやすく、魅力的で、力強く、価値があると思います。

だけど剣淵の夜、みんながI君の話しに耳を澄ませたのは、アイディアや行動に価値があること以上に、I君が良い人で、楽しそうに話す姿や人の話しを真剣に聞こうとする姿があったから。

つまり理解しようとか、伝えようという文化的な土台が整っているからこそ、文明的なアイデアが魅力的になるし、伝わるし、形になるのです。

I君には伝える能力があったし、剣淵には聞く準備があったということ。

もちろん剣淵だけ特有のという訳ではありません。そういう子たちとお話をするくらいの時間、場所を提供するくらいのこと、簡単にできるよという市町村は全国にたくさんあるに違いありません。

だけど、本来簡単にできるそんなことが、文明に寄りかかり気味の現代ではとても難しくなっているのだと思います。

忙しく、時間がなく、人と人との間には隔たりがある。

厚いゴムの壁のような隔たりです。

目に見えるもの、共有できるもの、つまり共通認識という檻の中で、まだ形になっていない部分や言葉にできない部分や未知の部分に目を向ける気なんかサラサラなく、疑いなく、明らかな日々を生きている。

地球が中心になって回っていることを疑わず、太陽が昇ることに何も感じない。

地球の方が回ってるかもしれない!
星の隙間に何かあるかもしれない!

は?太陽が地球の周りをまわってるんだよ、星の隙間には何もないよ。見たら分かるしょ。

文明の前には、疑問すら伝わらないことがままあります。

地球の方が回ってるかもしれない!
星の隙間に何かあるかもしれない!

どういうこと?何それ怖い、でも面白い!

文化的な土台というのは、こういうことだと思います。

未来があるのはどっち?孤独でないのはどっち?

それじゃあ、田舎に求められる役割はやっぱり文化的なものを受け入れる土台なのではないか。人が創造的になれる時間と場所と他人の未知の領域を受け入れられる人の存在なのではないか。

ああ、朝日町もそんな風になれないだろうか。

併せて読むと分かりやすいかも!↓
宇宙の拡がりと文明の拡がり/宇宙と頭の中は似ているという話。剣淵の夜、補足譚。

余談

余談ですが、剣淵の夜にはこれからお笑い芸人を目指す友人も来ていました。

お笑いは文化だ。

間違いありません。

正真正銘の日本の文化でもありますし、笑いという言葉にできない領域を模索するすごく文化的な活動です。

だって、笑えるのって人間だけだって言うじゃないか。

そりゃ難しいよ。未だお笑いのセオリーはないし、正解はないし、一度笑えたからと言って次に笑える訳でもない。5万人が笑ったからと言って目当ての一人が笑うかどうかは分からない。

笑いという明文化できない領域を、あの手この手を使って伝えるのですから、文化の王道かもしれません。

売れるとかテレビ出るとかそういうことも大事かもしれないけどさ、それは文明的に見ればという話し。

ここ最近の価値観でしかない。

お笑い芸人が一人もいない時代から、テレビもネットもない時代から、僕たち人間は笑っていたのです。

それくらい根が深いモンスターみたいなものを相手にする道を選んだのですから、大変だと思うし、そちらの道に惹かれたのだとしたらそれなりの器があるということなんだと思う。

有名になりたいとかちやほやされたいっていう願望もがっつりあるかもしれないけど、きっと素朴に人が好きなんだろうお前は。

僕はお前がいると楽しい。

国民みんながお前と知り合いになれば良いのにと思う。

テレビならそれができるのでしょ?

ああ、楽しみな話だ。

剣淵の夜②/多様な人々と田舎の夜の話し(完)

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