キキコミタウンで扱うテーマは「コミュニティ」「まちづくり」「物語(創作)」

このブログでは結局なにを考えているのか?

ということを、定期的に書いて整理しているのですが、今日もそういう日にします。定期的にやってるけどうまく整理できたことはないので、リベンジという感覚でもあります。

でも定期的に初心に帰らなければブログ更新のためのブログ更新になってしまって、前進している感じが僕の中でしなくなってしまって気持ち悪い。

ロッククライミングしてるのに前後左右どこにも手足を伸ばさず、その場で懸垂を始めて満足しちゃうみたいな感覚に陥ることがあるのです。

そのためにも、何を目指して、どんなことを考えてブログを更新しているのかを確かめ、できれば読んでいただける方に微かにでも僕のことを知ってほしいと思っております。

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コミュニティのテーマについて

このブログの大きなテーマは「コミュニティ」「まちづくり」そして「物語(創作)」です。

僕の中でこのテーマにする話題を選んで記事にしていますが、いくつかの記事を読んでそれが伝わるかというと決してそうではありませんよね。

しかし僕の中でこのブログは雑記ブログではなくて、テーマを持ったものという感覚があります。

ではこの「まちづくり」「コミュニティ」「物語(創作)」の3テーマがどのように関連しているのか。

僕が一番強く感じていることは、「コミュニティ」ってコミュニケーションのかたまりなんだ、ということです。

ある人がなんとなく一つの場所に集まっているからその中の人を指してコミュニティと言うわけではない。

もしくはある枠があって、その中のメンバーだからといってそれをコミュニティと呼べるかと言えば、必ずしもそうじゃない。

コミュニケーションが機能していなければコミュニティはただの形でしかなく、機能しないコミュニティは崩壊する。

具体的なことを言えば、例えば「町」があります。町は間違いなくコミュニティの一つだと思うけれど、じゃあ町に人がいるというだけで町というコミュニティが維持できるかというとそうではないですよね。

もしくはもっと小さなコミュニティである「家族」もしくは「夫婦」と言ったコミュニティはどうでしょうか。

結婚をすることで社会的に認められたコミュニティをそれぞれが形成するわけですけれど、それだけでコミュニティが維持できるかと言えばそれはまた別問題のようです。

コミュニティの維持に必要なものはなんだ?

町で言えば、学校、快適な公共交通機関、病院、観光名所など必要そうなものを挙げればキリがないです。

結婚生活に必要なものは?家、子ども、セックス、共通の趣味などがそうでしょうか。

情緒の無いことを言えば町にしろ家族にしろ「お金」が一番の核になるのかもしれない。

だけど町にしろ夫婦関係にしろ、「お金」があれば問題なくコミュニティを維持できるか?と問われればそうじゃない。○○さえあればの○○に何を当てはめても、きっとコミュニティが崩壊するときは崩壊する。

なぜ夫婦は離婚し、カップルは別れるのか。それはきっと文明が崩壊する理由と同じだ

これまでの文明にも、問題はありつつも歴史を積み上げてきたものもあれば、そんなことで?というような理由で滅んできたものもあった。

その違いはなにかと言えば、そのコミュニティに健全なコミュニケーションはあったかどうかだった、というのが結論です。

問題をきちんと共有する態度があったか、問題を前にして思考停止に陥って感情的に推し進めるようなことはないか。つまり○○を乗り越えるということを行えるコミュニティだったかということ。

文明も人間関係も、コミュニケーションの不全が崩壊の原因となっている。

飲みに誘う上司と飲みを断る部下の間で何が起きているのか。ミームとスーパーミームの話

まちづくりのテーマについて

そんな結論を得た僕は、じゃあ「まちづくり」の場面で行うべきは名産品の開発でも観光名所の発掘でもなく、コミュニケーションだと思った。

正確に言えば名産品の開発や観光名所の発掘で目指すべきは、作り出したものを売ることよりも、その過程で芽生えるやりとりにこそ価値があると僕は思う。

成功/不成功の尺度が、これからどんどん経済的なものでは測れなるはずだ。

僕たちが得たいのは成果や成果物ではなく、問題に楽しく、情熱を持ってアプローチできるという自信や実感だろう。結果よりプロセスを重視する風潮が芽生えるに違いないと思いました。

そしてそれは対外的にアピールするものではなく、認めてもらうものでもない。その価値には値が付かず、自分たちが感じることであって、自分たちさえ感じられれば十分だと思った。

コミュニケーションの機能は成果ではなく経過によって強く感じられて、その場での満足感というかライブ感のようなものをこそ、僕らは強く求めるようになるだろう。

ライブ感と言えば、僕らの人生もそうだと思います。

僕らの人生の価値は何事を為したか、何をしたかで決まるものではないと思う、もちろんそういう評価もあろうと思いますが、何事かを為さなければ僕らの人生には意味がないのだろうか?何かをしなければなかったも同じなんろうかと言えば、そんなことはない。

僕らは常に今、生きていることにこそ価値があるべきで、それが人に認められないからと言って無為になるわけではない。

僕らはみんな今楽しいことが重要で、今苦しいことが重要なのだ。

コミュニケーションとは何か

ここから当ブログにおける第三のテーマである「物語(創作)」に話をつなげるため、より面倒臭い話になるのだけど、コミュニケーションの成功ってなんだろう?ということを一旦考えたいのです。

そもそもなぜ僕らはコミュニケーションを取るのか。

それは僕らが互いに理解不能だからだと思います。

話が伝わるとか、想いが伝わるというのは錯覚で、僕らはそれぞれ、まったく違う世界に住んでいる。微かにある共通の何か、ありあわせのものを利用して、不完全な世界の交換をする。

理解できる状態が正当で、当然とするのであれば、そもそも僕らにコミュニケーションは必要なく、理屈と原理だけでなんら問題なく人生を切り抜けることができる。

絶対に伝わりきらないからこそ僕らはコミュニケーションに力を割かなければならない。

だから相手に理解を求め、相手に伝達を求める意思にこそコミュニケーションの核はあるはずだ、と思う。

コミュニケーションも何かが伝わったとか理解できたという結果が重要なのではなく、伝わらないから伝えたい、分からないから知りたいという意思に火がくべられ続けていることが重要で、健全なコミュニケーションとは、逆説的な話だけど、「伝わらない、分からない」の積極的な肯定というべきものが必要だと思う。

物語(創作)というテーマについて

僕にとって、人と人のコミュニケーションを考えること、人生の意味を考えることは、何より小説を書くことに行きつきます。

「まちづくり」のことを考えることも、物語を考えるのと似ている。

ある枠組みで、理解と伝達の応酬がある。何かを伝えたいとか、何かを理解したいの気持ちを強く強く考えると、物語になる。それは人生的な意味でそうとも言えるし、小説という小さな創作の意味でもそうと言える。

人生は創造的で、創造は人生的であると僕は思う。

意味のないことに意味を与えながら納得して、とにかく力を注ぐことができるところに束の間の生を感じる。

僕は本気でコミュニケーションと向き合おうとすると小説を書く行為に至る。

僕にとってまちづくりを考えること、小説を書くことは「人と人の間」について考えることであり、自分について考えることであり、他人を考えることである。

たいていいつもこのあたりにくると意味が分からなくなるんだけど、論理を考えず書くのでそれこそそのまま伝わる人に伝わってほしいと思いながら書きます。

僕は果てしない「コミュニケーション」に憧れている。そういう過程を楽しみ、生を実感できる今のことを考えながら、人と人が関わる物語をつくるべく「まちづくり」なんてテーマを掲げ、いつも熱く没頭できる「創作」をしている。

創作は僕と誰かのコミュニケーションを促し、切実なコミュニケーションはコミュニティとなる。そういう町にあふれる物語は、誰に認められなくても、価値がなくても、生を孕み、熱くなると思う。

その熱さがコミュニティには必要で、熱くなるには本気になれるものが必要で、僕にとってそれは創作にいきつく。僕と同じような人が行きつくコミュニティ(まち)になれば良いと思う。

キキコミタウンで扱うテーマは「コミュニティ」「まちづくり」「物語(創作)」(完)

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