暇つぶしだけが人生だ

このまま時代が進めば、人が働く意味はほとんどなくなると言います。

確かに、あらゆることが機械に置き換えられるのであれば、人が長時間やらなきゃいけない仕事なんていずれなくなる。

機械に代替不可能な仕事はなんだ?

人間だからできる仕事はなんだ?

食いっぱぐれないためにはどうすれば良いんだ?

そう考える人もいるかもしれないけど、マジでこの先文明が発展し続ければ、食いっぱぐれるなんて心配も不要になる。

あらゆる労働が機械に奪われればそれにかかるコストもいずれ下がるし、そこにエネルギー問題の解決なんて日が来たら、僕らが今当然かかると思っているコストのほとんどはかからなくなるということで、普通に生きる分にはそれほど生活水準を下げることなく、とにかく生きることだけはできるようになる。

だって単純に自動で野菜作り続けてくれる機械(エネルギーコストはかからない)があれば野菜は安くなりますもんね。

「ただ普通に人間らしく生きる」というハードルが激下がりする。

だから別に誰も彼もが「生活のために苦しい仕事をする」必要なんてなくなる。働きたくない人は極力働かないで過ごせば良い。正社員じゃなきゃ生活安定しない、なんて今だけなのかもしれない。

その代わり、生まれるのは壮大なヒマな時間です。

やべーどうしよう。たぶんこの調子ならあと50年は生きなきゃいけないけどめちゃくちゃヒマだ!ってことになる。働く?でも意味ないよなー機械が全部やってるしなー。お金もそんななくて良いしなー。あーでも生きてるって感じが欲しいな、誰かに褒められたいな。

これが文明が発展しきった先にある人類の大問題だと思うから、ヒマを潰すことが最大の仕事になる。「なんかつまんねえ良い事ないかな」から「あーこれ面白い、興味深い」を生み出す作業。承認欲求を満たすことが最大の関心事になる。

つまり創作。僕らは生み出さなければ気が済まなくなる。

人間がやる必要があると信じる仕事をコツコツ頑張る人もいるでしょう。芸術に打ち込む人もいるでしょう。学問を究める人もいるだろうし、スポーツを極める人もいるかもしれない。

でもいずれも根本の動機が「ヒマだからやる」にあるわけで、そして承認欲求がその次にある訳で、決して生活のためにやってる訳じゃないから、みんながみんな、全力で遊ぶようになる。

まるで親に褒められたい子どもがそうするように、老若男女誰もが一心不乱に何かに取り組むようになる。中には他者の承認を必要としない人もいるかもだけど、そういう人こそ狂ったように目の前の課題に打ち込む。

どんだけヒマでも「生み出す」とかはしんどいわーって人もいるかもしれません。でも承認を求める人、褒められたい人が少なからずいるので、誰かが作ったものを楽しむのも立派な仕事になります。

ヒマすぎるから何か作ろうと考える人もいれば、ヒマだからなんか面白いものないかなーって考える人もいるってこと。

ついでにあの人が勧めるものは全部面白い!みたいなことになれば、鑑賞者としての承認欲求が満たされたりもして、キュレーションにのめり込む人も増えるでしょう。あ、ヒマだったら子どもも増えるかもしれない。

動機の根本がすべて「ヒマだから」なので、世界中が道楽で溢れる。というかすべての営みが道楽じみる。

ここまで極端だと嫌な予感しかしないですよね。何かをするモチベーションを維持する上で、「まともに(真面目に、義務を負って)生きたい」という欲求や「欠乏感」は必要不可欠だと思うから、最悪無くても死にゃしないもので溢れた世の中はあえて「まともさ」を犠牲にしたり、「欠乏を生むための破壊」をしたりするようになるんじゃないか。創造的破壊ってやつか。

アートデストロイヤーとかマシーンデストロイヤーとかモラルデストロイヤーみたいな、正義を謳ったデストロイ勢力が世の中に跋扈するようになって、終いにゃ正義の名の元に人を殺すようになって、当然、それに対抗する勢力も生まれる。

こんなに豊かになったのにまだ人類は争いあってるのかよー的な虚無感を抱いた青年は半ば斜に構えて世の中を眺めていたけど、幼馴染の女の子がデストロイされたことを期に否応なく当事者になってしまう。

青年は選択を迫られる。

デストロイ勢力を壊滅するか、大きな欠乏感を抱いたまま生を実感して生きるか。

デストロイ勢力の壊滅を目的とすればやってることがデストロイ勢力と同じだし、欠乏感を受けいれた自分に納得すればデストロイ勢力の正義を認めたことになってしまう。

弁証論的思考の結果、やはりこの事態を解決するには「創造」で対抗するしかないことに気付く。

青年はうまいこと医学とか化学とか極めた連中やら、陰陽道、神道を極めた連中やら、工学技術を極めた連中やらなんか色々を集める。

彼らの技術や知恵を結集すれば、人を生き返らせる方法が幾通りもあることが分かった。まだそれぞれの分野でいくつか課題はあるけれど、それが実現可能である状況を作り出すことができれば、人の死に意味はなくなる。

幼馴染を生き返らせる。

それができれば、デストロイヤー達の破壊に意味はなくなり、それは結果的にさらなる人類の発展に寄与した形になるのでやはりデストロイ勢力の創造的破壊を肯定した形になるし、青年の決断は皮肉にも人類がギリギリ持っていたモラルを破壊する行為だったけれど、賞賛と承認、そして何より幼馴染への弛まぬ愛情を得た青年は満足してヒマになりました。

すげえB級SF感だ。

勢いで書いているうちに何の話をしたかったのか完全に忘れた。

ゴールを見失った。

最初に書きたかったのは、今後もっと仕事は暇つぶしめいてくるんだろうねということでした。

現状で既に、別に人が生きる上ではあってもなくても良い仕事の方が多いと僕は思う。

してもしなくても良い、あってもなくても良い、だけどやったらちょっと良いよね、あったらちょっと良いよねってことに携わっている人の方が多いような気がする。

だからもう既に多くの人がヒマなんだろう。

だったら潔く「暇つぶし」を至上目的として働いた方が楽なんじゃないか。

「義務感」とか「使命感」とか「必要とされてる感じ」みたいな、大雑把に括れば「正義」と呼ばれるものが人生には必要なのかもしれないけど、それが不確かなものである限り、やはりそのこだわりはただの好みでしかなく、生きる上で絶対に必要なものというわけじゃない。

「生きる上で絶対に必要なものというわけではないけど、無いよりはあった方が良いよね」とは言うものの、それは社会に必要な訳ではなく、あくまで個人に必要なのだと思う。

つまり自己満足のために必要で、他の誰のためでもなく、自分の人生に張り合いを持たせるための正義なのだとしたら、やっぱり暇つぶしのスパイスみたいなもんなんじゃないか。

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