水平思考とサイロ思考

飲みに誘う上司と飲みを断る新入社員の間で何が起きているのか。ミームとスーパーミームの話

自分の頭で考えることができない/枠組みに依存する人間

で言ったことを一言でまとめると、「ときには水平思考」ってやつが必要だよってことかもしれません。

水平思考ってなんだろう。

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水平思考って?

水平思考ってなんか数年前に流行った気がします。

思い込みとか先入観に捉われずに多様なものの見方をすることで問題を解決しよう、という思考法です。

流行ったってのはこの水平思考を駆使して解く推理クイズ、かな。

僕もそのクイズ本の『札束を焼く強盗』ってヤツ持ってたんですけど、今探してもないんだよな。どこいったかな。

有名なので言ったら「ウミガメのスープ」なんて問題聞いたことないでしょうか?

あ下記リンクにまとめてありました。
 

 

 
いくつか問題を見てもらえば分かると思うけど、普通は問題見ただけでは解けないし、答えを聞いてもそんなん無理やりすぎない?とかどうとでも言えない?とか、分かる訳ないやろみたいなものもあったりして、人を選ぶクイズな気がします。

イエス、ノーで答えられる質問を繰り返して真相に辿り着くって趣向ですから質問のセンスがいるし、問題によってはすごい納得できるのもあるから面白いことは面白い。

それに現実だって、問題や謎があって、答えがあるって単純な構造ばかりとは限りません。鍛えておいて損はないのではないでしょうか。
 
あ、こんなサイトもありました。登録が必要みたいですが、興味ある方はどうぞ。

 
 

 
このブログで伝えたいのは水平思考の大切さよりも、水平思考があまりにもできないことで問題が解決できないこともあるよ、ということでした。

つまり思考停止のカテゴリーの一つに、「水平思考ができない」というものがあるということです。

だからどうこうではなくて、単純にそういうこともあるよねって話。

サイロ思考って?

水平思考の対極にある思考法として、サイロ思考という言葉があるそうです。

このサイロ思考という言葉は『文明はなぜ崩壊するのか』で初めて知ったのですが、水平の横に拡がるイメージに対してサイロ思考は縦に深く長く伸びる垂直のイメージだそうです。

サイロというのは穀物とかを保存する建物のこと。トップ画像のヤツです。横方向に視野や思考が及ばない様子が分かりますよね。

行き過ぎたサイロ思考は問題だって話にはみんな心当たりがあると思います。

例えば「お役所仕事」なんて言葉もありますが、これはまさに自分に割り当てられた仕事しかしないとか、マニュアル通りのことしかできず機転が利かない仕事ぶりを見ると言われるヤツだと思います。

「お役所しごと」で検索したらこんなん出てきました。

お役所仕事 – アンサイクロペディア

役所に限らず、どんな場面でもサイロ思考による問題は生まれます。

「現場に出てこない奴らは現場のことなんも分かってないんだ」とか、「自分の保身ばっかり考えて下に無理を押し付ける」とかってセリフから、どんな職場でも立場を越えたつながりの足りなさは垣間見えます。

連絡不足、問題の押し付け、会社とかなら構成員の正当な評価ができないという問題もあるでしょう(評価されるのは数字だけで、アシスト面で優秀な人は評価されないみたいな)。

どんな職場でもそんな話は聞きますし、バイトでだってそんな経験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。

それも例えば居酒屋とかの飲食店で、厨房とホールではお互い「なんも分かってねえ」って思ったりするのです。

部署が違うどころか同じ空間で働いてるのに、役割とか立場が違うだけでいざこざが生まれたり不理解が生まれたりする。

サイロ思考は自分に割り当てられた仕事や立場しか目に入らず考えられないことなので規模とか距離は関係ありません。

もっと身近なところで言うと、家庭内でもサイロ思考の弊害はあるでしょう。

これは男の領域、これは女の領域みたいな。

同じ家に住んでるのに食器や着替えがどこにしまってあるのか分からない旦那さんとか、せっかく集めた大切なコレクションを勝手に捨てちゃう奥さんとかがいて、お互いがお互いに「信じられない!」って思ってる。

僕らはいつまで「どうしようもない」のか

こないだも事件があったみたいだから思いついたように話題にするけど、貧困による生活苦で一家心中…なんて事件たまにありますよね。

これも傍からみたら「生活保護受けるとかやりようはあったじゃん」とか、「どうしてこうなる前に誰かに助けを求めなかったのか」とか「周りの人は何も気付かなかったのか」なんてコメントが必ずついてきます。

行政に言わせてみれば、「生活保護の対象者に該当するケースじゃなかった」とか「本人にその意思が見られなかった」とか言うそうです。

意地悪な言い方をすると、生活保護制度を適用する職員の仕事は「困窮している国民を救済する」ことではなく、「制度を適用し、申請を受理する」ことだからこんな責任転嫁みたいな言い方になるんですよね。

言われてないもん、書いてなかったもん、みたいな。

言われたことしかできないなら機械にやらせた方が良いわって話になるのですが、問題が問題なだけに冷静に考えれば自己判断がしにくいという状況も分かりますよね。

僕も同じ立場だったら同じような対応したんじゃないかなって思います。

それに困窮してる方も、国の救済措置を受けられなかったからって絶望もう終わりってなる必要は確かにないんですよね。

家も仕事もなきゃないで、学校も行けなきゃ行けないで他に道がない訳じゃないでしょう。

もちろん同じ立場だったら、やっぱり僕も絶望してしまったりしんどくなって自暴自棄になったりすると思います。

しかも後から多くの人が言うように、少しでもサインを出してくれたらとか、助けを求めてくれさえしたらという風にも思う。

そしてやっぱり、僕もそんなことはなかなかできないと思う。

どの立場の「どうしようもなかった」が分かる。どの立場でもないから分かる。

こんな田舎で、ライターとか言って騙しだましギリギリ稼ぎながらジジババと暮らしてると、自分でも「まとも」に暮らしてるとは思いません。幸せにくらしてはいるけど。

年収とかえらい乏しいけど別に人生詰んだとも思わないです。やりたいことは腐る程あるし、どちらかというと希望…とまではいかないかもだけど楽しみの方が多い。

そんな場所から眺めていると、やっぱり死を選ぶ前にやりようは色々あっただろうに…とか思う気持ちが一番強い。反射的に、「田舎を頼ってくれたら…」って思うこともある。

誰に後ろ指さされようが「まとも」じゃなかろうが幸せに生きることは可能で、今後はさらにどんどん「まとも」に生きる意味なんてなくなるだろうし、年収いくら以上ないと詰んでるとかって話も、そう思ってるならそうなんじゃない?ってことになる。

子育てにはいくら必要で、老後はこれだけないといけなくてとかってのがどんどんなくなっていく。「普通」とか「平凡な人生」とかも、良い意味でなくなって、それ何基準で言ってるの?みたいなことになる。

あらゆるボーダーが取り除かれて、名実共にグローバルになり、ここで生まれてこう暮らしてるからこの歳になったらこうなって、こう生きなきゃならないっていう大がかりな「サイロ思考」がなくなる。

完全にノーボーダーじゃないし、差とか違いがなくなる訳じゃないけど、サイロみたいな閉塞感のある構造じゃなくて、せいぜい膝丈くらいの柵で区切られるくらいになる。越えようよ思えば越えれるみたいな。

上のリンク先の問題を見たら分かるように、水平思考の前では「そんなんどうとでも言えるだろ!屁理屈だろ!」ってものがいっぱいあります。

とにかく辻褄があってれば正解。

人生だってそれでいいだろ、って思うんですよね。

人生における辻褄ってのは楽しく生きてるかどうかとかそんな適当なので良いんじゃないでしょうか。

分際とまちおこし

サイロ思考と親和性が高い言葉に「分際」っていうものがあると思います。

人にはそれぞれの「分」があって、はみ出してはいけない領域がある。

花見の席取りみたいな感じで、越えられない訳ないし足を踏み入れられない訳じゃないけど他所のシートに侵入するのは抵抗あるって感じ。その気になれば境界線を越えるのは簡単だし、そんなラインは錯覚にすぎないんだけど、僕らは訓練された犬みたいにそこを越えない。

分際を越えることに対して多分日本人は特に敏感で慎重で、「のび太のくせに生意気だぞ」じゃないけど、分を越えたことに対しては理不尽に罰せられる傾向にあるのだと思います。ホント犬みたいだけど。

「僭越ながら」みたいな挨拶の定型句もあるし、何かをするにはそれに相応しい分際がなければならないという共通の固定観念が僕らの社会にはたくさんあります。

「まちづくり」につなげて言えば、僕がこのブログを書き始めて、まちづくりに興味があるとか、人が訪れてくれる仕組みが作れたら良いと思うという話をすると、じゃあ役所に入るの?とか、とりあえず地域おこし協力隊に応募したら?みたいなことをよく言われました。

何かをするにはまずそれに相応しい分際を手に入れなくてはならないと思われることもあるのです。

資格とか免許が必要なことだったら分かるけど、世のなかにはまちづくりだろうが人助けだろうがそれを為すに相応しい分際があって、自分はここまでできて、ここからはできないというボーダーを自然に作ってしまいます。

それこそ、「まちづくり」がブームだから専門の部署をこさえようみたいな。「なんちゃら委員会」とか「なんちゃら隊」みたいなの作って、分際を得ようとする。そんでそれらしいことをとりあえずやったりする。

もしそういうところがあったらそれも「お役所仕事」って言われるのかも。

先に形を作るのは一つの手ではあるし長所もあるんだけど、名前(分際)を得るということは「それをするべき人」と「それ以外の人」を分けることでもあるというマイナス面もあるから偏っちゃマズイのです。

まちづくりがうまくいかなかったら「ここらの地域おこし協力隊は一体何をやってるんだ、いる意味あるのか」とか周りは平気で言えるし、重そうな買い物袋持って歩いてるおばあさんを見て「この町の福祉は全然充実してない!」とか言える。

こんなとき水平思考で考える…までもなく、お前が手伝えば済むんだけどな!って話なんだけど、役割を負ったサイロ的な構造の何かがあるおかげで僕らは簡単に責任転嫁ができてしまうし、問題の解決が出来なくなってしまう。

おばあさんにしてみればね、買い物袋が重いって「問題」が解決さえできれば、買い物代行サービスだろうが、バスの定期巡回だろうが、道行く人の親切だろうがあまり変わらないと思います。

ああ、でもそんなこと言ったらそのまま買い物袋ひったくられる事件が発生するから対策を取らなきゃ!「買い物見守り隊」を作ろう!みたいなアホっぽいことが起こるかもしれませんね。

こんな感じでサイロ思考も行き過ぎると滑稽だから、水平思考も忘れずにどうぞという話でした。

水平思考とサイロ思考(完)

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