僕らは会話が一つ減ると致命的だ/無駄な会話の効用

食べるものは少しくらい減っても問題ないけど、会話が一つ減ると致命的だよなって思います。

昔からそう思っていたけど、最近は特にそう思う。

「コミュニティ」について考えることが多いこのブログですが、コミュニティの核であるコミュニケーションが減ることで人間が受けるダメージを考えてみたいと思います。

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話相手がいるって大事だって話。例え相手が猫でも。

身近なところから考えてみる。

僕は今、祖母と二人で暮らしています。

去年の今頃祖父が死んで、入れ替わるように家で猫(モモ♀)を飼い始めたから、二人と一匹暮らしです。

モモにはすごく感謝していて、僕が忙しかったり出かけてていないときでも、祖母は何だかんだこいつを話し相手にしていて、寂しい気持ちなんて全然なさそう。二人と一匹とは言いましたが三人で暮らしてるという感じ。

「今仮にこの家から出ていくとして、孫よりモモいなくなった方がキツイだろ」と言うと、肯定はしないまでも、決して否定はしないばあちゃん。気持ちは分かる。

だけどもしこの家に僕もいなくて、モモも来ていなかったら、じいちゃんが死んで一人ぼっちになっていたばあちゃんは誰とも話さない日なんてのもできたかもしれない。選択の余地なく寂しい思いをしたかもしれない(一人でも平気そうな人ではあるけど)。

もしそうなったらたちまちボケていたかもしれないな、なんてたまに本気で思う。話相手がいるって大事なんじゃないか。それが猫でも。猫に救われるくらい、コミュニケーションというのは人間にとって大事。

肉体より精神を満たすものの方が、なくなると困る

畑には食べきれないくらいの野菜があって、今はトマトに追われ、ミートソースにしたりトマトジュースにしたりして無理やり処理してる。このあとはカボチャ地獄が待っていて、それからマメの時代に入る。

加えてじいちゃんの一周忌を終えたばかりで、お供えのお菓子が大量にあったけど、それもこつこつ減らしている。

冷蔵庫が2,3日空になっても僕らの生活はあまり変わらないどころかむしろちょっと健康になるんじゃなかろうかと思う。

仮に今月お米が買えないってことになっても、これからは節約のため一日一食にしようと決めても、多分僕らは全然問題なく生きていける。

僕もばあちゃんもそんなにカロリー使う生活してないし。

田舎だからとか畑があるからとかそんなんじゃなくて、多分この時代に生きる僕らの水準で言えば、そんなにきっちり食事を摂らなくてもカロリーが足りなくて困るということはそうそうないと思う。

だけど今急にモモがいなくなったらどうなる。祖母はもちろんだけど、多分僕もボケる。

だって僕も毎日モモと話してるし、ばあちゃんとの会話だってモモが中心みたいなところがあるから。食べ物が多少減っても大丈夫だけど、モモがいなくなったら死ぬ。少なくとも精神的には死ぬ。

猫に話しかけるような無駄な行為

多少本筋から逸れてる感じがあるけど、僕が言いたいのはやっぱり、「僕ら食べ物が多少減っても大丈夫だけど、会話が一つ減るのは致命的だ」ということです。

肉体を維持するのはどっちかというと簡単なんだろうと思う。維持という話なら、ダイエットにお金をかけるような時代なんだから。

健康な精神を維持する方がよっぽど難しい。

精神の維持に必要なのが、例えば会話なんだろうなと思うのです。

忙しい人が多い時代だから、安定した生活と引き換えに知らず知らず会話をないがしろにしているという方は多いのではないでしょうか。

仕事だから仕方ないし、生活のためだから仕方ないかもしれないけど、それが会話のひとつを犠牲にするほどのものなのか、と考えたとき、僕はいつでも「いや会話の方が大事だ」と判断する勇気を持っているだろうか。

会話ならしてる、という場合でも、それがおざなりだったり、目的のための手続きではいけないと思う。

猫に話しかけるような、生きる上では無駄で無意味な行為を、いつまでも大事にできるだろうか。

無駄な会話の効用

実際的なコミュニケーションでも、あのときこう言わなかった、ということが原因で人間関係が崩壊することがあります。もちろん「ああ言った」が原因で崩壊することもあるけど。

言い忘れてた、言ったと思った、言わなくても良いと思った。

あいつ結婚したらしいよ。

え、俺全然聞いてないけど。

そんな小さなことで関係がギクシャクしてしまうこともある。

こういうことはここに書こうと思う程度には分かってるけど、僕も言い忘れたり、言ったと思ってたり、言わなくても良いと思ったりして、会話をスキップすることがたくさんあります。

もっと複雑に、言うわけにいかなかったとか、言葉にすると不都合があったとか、言い方を考えていたとか、色々なケースがあって、一概に会話がないことが悪だとは言えません。

コミュニケーションは難しいし、人とやるものだから失敗が多いのは当たり前です。

だから気を遣わなくちゃいけなくて、自省しながら鍛えていかなくちゃいけないんだろうけど、ここで言いたいのはそんな実利的な会話のことじゃなくて、社会を上手に生き抜くための方法論でもなくて、なんならそういうのが半端に上手くできちゃうから上っ面の手続き的な会話になっちゃって、不要な会話が切り捨てられるようになるんだろう。

ばあちゃんの何回か聞いたおんなじ話を聞いたり、猫を本気で叱ったり、そういう時間が精神を保っていて、それが無くなってしまうのは仕事が一つ潰れるよりも致命的なんじゃないか。

僕らは会話が一つ減ると致命的だ/無駄な会話の効用(完)

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