今、ここにしか価値はない。/今のために今やるを死ぬまでやる

与えられる価値はたかが知れているという感覚

という記事で書いたことは、いろいろごちゃごちゃ言ってはいるけどタイトルに書いてあることに尽きます。

与えられる価値や用意された価値はたかが知れている。お買い物で得られる価値は、もちろん値付けされただけの価値があるし安定しているから素晴らしいけど、約束された価値だけを求めるのはあまりにも人生が消費者的すぎるのではないかと思います。

例えば僕らは安心して快適に休むためにホテルを予約します。ある休日を充実したものとするためテーマパークや劇場のチケットを購入します。この時点で基本的に価値は約束されているから、「あー来週の今頃はディズニーランドかあ」って感じで幸せになれる。

ほんと誤解してほしくないけど、これは素晴らしいことで、否定している訳ではありません。

でも、すべてがこの調子で人生を生きるのはやっぱり少し浅ましい、と僕は思う。

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対価を差し出せば幸せな未来が訪れると信じてしまう

思えば僕らは、常に先のことを考えています。

大人になればなるほど、少し先のために今を生きるようになる。

大学に通うのは(というか大学を辞めないのはかも)数年後の就職のことを思ってだろうし、仕事を続けるのは数年後の結婚を考えてかもしれない。

20代で30代のことを、30代で40代のことを、50代で老後のことを、老後は孫ができてからのこと、そろそろ潮時かってときにも自分がいなくなった後のことを考える。

未来の約束された価値のために今対価を支払うという発想が、僕らの人生には根付いている。

対価というのはお金に限りません。この苦痛、この退屈、この不安。

そういうものを対価として差し出すから、幸せな未来が待っていると思い込んでしまう。

それより、対価を支払わなければ未来の幸せはないと考えて辛くなってしまう方が問題かもしれません。

僕らはいつ幸せになるために今を生きているのか

このブログでは、かつて

モモを読む/現代の必読書『モモ』に学ぶ、自分だけの時間の見つめ方

という記事を書いていて、このブログでは珍しくぜひ読んでいただきたい記事なのですが、ここで言ってることは簡単に言えば「先を見過ぎて今を見失うんじゃない」ということです。

そうすると人はすぐに忙しくなったり、不安になったり、退屈になったり、疲れたりしちゃうんだって話。

だって、今頑張ってるのに未来に何も返ってこなかったら?

今こんなに我慢してるのに、その見返りが何もなかったら?

そう考えると怖くなるし、とても無駄なことをしている気になる。お金払ったのに商品が届かないみたいなこと、あっていいはずがない、消費者的には。

すると今にピントが合わなくなって、不幸せだと感じるようになる。

僕らはどうしても、いつかの成功のために今を生きる傾向があります。

いつか自分が払った分の対価に見合う価値を受け取る日が来ると信じて生きている。

でもどうしてこうやって、「先のことは分からない」という自明のことに目を瞑るのか。

僕らは一体いつ幸せになるために今を生きているのか。

ブログは無限に書き続けられる

例えばこうしてブログを書くのも、おそらく傍から見ればいつかのための行為に見えるかもしれません。

「まちづくり」とか「コミュニティ」とか「創造」みたいなことを主なテーマにしてるし、自分の町を軸にした作りになってるから、このブログをきっかけに僕の町を知る人がいたら良いとか、会いに来てくれる人いたら良いとかとは思うのは間違いないけど、そんな成果を目指して、そんな目標のためにこんなの書いてる訳じゃありません。

ブログなんか書くやつは自己顕示欲が強いに決まっていて、これで有名になろうとか、金稼いでやろうとか考える薄気味の悪いヤツなんだって思う人もいるかもしれないし、確かにお小遣いになると嬉しいけど、ブログで稼ぐ程度のお金を得たいなら、仕事するまでもない、日々の無駄遣いをなくした方が絶対効率良いです。あくまで僕のブログみたいなのではだけど。

確かに色々な副効用のようなものはあるかもしれないけど、僕がブログを書き続ける最大の理由は、こうして何かを書いているこの時間が楽しいからです。他者を意識しつつ気楽に書けるっていう特性も良い。

マジで自分のパソコンの中にだけの文章にしてしまうと(それも膨大にある)やっぱりちょっと虚しいですから。

文章書くって、こんな気楽なものでもけっこうしんどい作業だしうまくいかないことの方が多いけど、リフレッシュするための走る人がいるように、音楽を聴く人がいるように、僕は何か書くのです。だから記事は無限に書くことができるような気がします。

つまり、このブログの記事がネット上に飛び出て結果どうなろうと、究極的にはどうでも良いです。誰かの役に立つこともあるかもしれないし、暇つぶしくらいにはなるかもしれないし、多少お金にもなるかもしれない。

それは嬉しいし価値のあることは間違いのないことだけど、そういう、かけた労力や苦悩に見合った見返りがなきゃ意味がないようなことをしているつもりはありません。

書く時間そのものが有価値なのです。じゃなきゃ朝の5時過ぎに書かないですこんなの。

閃光少女ー今のために今やるを死ぬまでやる

今、ここにしか価値はない。

そう言うといかにもな感じに聞こえてしまうかもしれないし、見返りにあたる部分をないがしろにしているように聞こえるかもしれないけど、やっぱりこれは本当のことだと思います。

もしくは見返り部分があまりにも少ないブログだからこその負け惜しみなのかもしれませんが、それでも今ムズムズするから今掻く必要がある訳で、今ムズムズするから今書く必要があるのです。

あらかじめ痒くならないように肌掻きむしっておくとか馬鹿みたいですよね。でも僕らは未来を強く意識できるからこそ、疑いなくそういうことをしてしまう生き物ですよね。

痒いときに掻かなきゃ気持ちよくないよねって話です。

思いつきで変な比喩を使ってしまったけど、「今のために今やるを死ぬまでやる」しかないのです。

あ、あといつかもどこかの記事で貼った記憶あるけど、東京事変の『閃光少女』が好き。異常な表現力ですよね。たった3分のこれ聴いたらこの記事読む必要なしだもんな。その上美しさまで兼ね備えてるんだから。

ところで、「今のために今やるを死ぬまでやる」って言われたら普通にしんどそうじゃないでしょうか。死ぬまで?え、何年あるのって絶望しちゃうんじゃないでしょうか。毎日頑張るとか無理だよーって。

でもほら、僕らそうやって「未来」を見せられるとやたら辛く感じてしまう。言葉があるから、「あと50年」とかって未来がやたらリアルに感じられてへこむのです。

この話はモモを読む/現代の必読書『モモ』に学ぶ、自分だけの時間の見つめ方で書いたことだからしつこいようだけど時間ある方はぜひ読んで欲しい。

それで先に策を講じようとするから、結果今代償を払っとこうみたいな発想になって、それが辛いから、「今」を繰り返すのがしんどそうに感じる。

でもこうしてブログ書くみたいに書いてる間は夢中で後先考えないという状態なら、気づいたらいつの間にか300記事になってたよー500記事になってたよーみたいな感じとまったく同じノリで80歳なりになって、気づいたら死んでるんじゃないかな。

今、ここにしか価値はない。/今のために今やるを死ぬまでやる(完)

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