「地方の活性化」というアンチエイジングな響き/病気の治療のようなまちおこし

まちおこしってなんか病気の治療みたいだなって思うことがあります。

それもこれも「観光客増加」とか「移住人口増加」とか「売り上げの増加」みたいな「指数」で地域の成長を表そうとする一部の価値観に寄ってみればの話だけど。

というか地元の新聞とかでそういう見出しを見たときのことだけど。

「良いまち」を作らなければならないまちおこしの雰囲気が苦手

とも重なるところだけど、僕個人で言えば、別にそれら指数的なことが増加しても僕の幸福度には影響ないし、ありていに言えばそういう「良さ」が限定される領域には抵抗があります。

病気の治療みたいだって言うのは、社会一般で言うところの「地域の活性化」が、人体で言うところの「血行促進」みたいに聞こえるからです。

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血行不良の国

政府が国の在り方を決めるのだとしたらそこが脳で、東京が経済の中心地だとしたら心臓でしょう。

その他比較的大きな都市は肝臓とか膵臓とか腎臓みたいな内臓で、地方になると重要度は下がって、指先とか爪とか、もしかしたら毛みたいなものなのかもしれません。

そう考えると、お金は全身を巡る血液みたいなものです。

血液は循環しなければならないし、全身に隈なく行き渡らなければなりません。

例え指の先でも、血液が滞り機能しなくなれば、それなりに支障が出るのです。

ましてや、主要な臓器以外にはほとんど血が巡っていないなんて状況になれば大事です。

てか今の日本がほとんどそんな状況なのでしょう。

血液は滞りがちで、隅々まで行き渡るどころか常に貧血気味、はっきり言って不健康そのもので、だからこそ「活性化」みたいなアンチエイジング的な発想になるのでしょう。

国が一個の人体のようなものだとしたら、地方もかなり大事

健康のために適度な運動をしましょう。

お風呂にゆっくり浸かりましょう。

お酒は適量なら薬ですが、過ぎると毒になります。

禁煙です。

ご存じのとおり、血行が悪いと様々な問題が体に発生します。

冷え性ってこともあれば、壊死なんてこともある。

国にとって地方は指の一本だったり爪の一枚だったりするかもしれないけれど、それでも僕らがそうであるように、どれだけ小さなパーツでも、とても大切なものなのです。

例えば指が一本使えなくなるだけでQOLは著しく低下しますからね。

国は一つの人体というほど有機的じゃない。1億以上の個が暮らしてる箱

しかしこれは、あくまで日本という国の規模でコミュニティを眺めたときの構造上の比喩であって、現実に即したイメージではありませんよね。

だって地方より都市の方が重要ということはないし、同じく都市で働いている人の方が地方で働いている人より大事な仕事をしているという訳ではないのですから。

特に最近では、急速なグローバル化に伴って、世の中はどんどんフラットになっていっています。

これは、特に経済活動に焦点を当てれば、住む場所の違いによる制約の差がどんどんなくなっているということであります。

地方は主要都市の思惑通りに動く従属的なパーツではなくて、あくまで価値としては同等で対等の個です。

つまり人体に例えるのであれば、主要都市も地方も、コミュニティとしての大きさの違いはあるものの、同じく完成した一人なのです。

東京で弁護士をしている先生も、地方の幼稚園でお絵かきをしている子供も同じく個であるように、存在としての優劣はありません。

国って必要なのかな

もはや、「国」という単位で社会を見ることそのものがナンセンスなように思います。

そんな規模のコミュニティでものを考えれば、もはや個人は消失して、システムでしかコミュニティの機能を把握できないようになってしまうのも当然でしょう。

コミュニティは小さい方が構成員の満足度は上がるんじゃないかというような話を

どのコミュニティにも「個性的な人」や「変わった人」がいるワケ。

で書いたのだけど、機械や指標やシステムでしか把握できない人の集まりを管理・維持する必要性ってそれほど大きいものなのだろうか。

国民の価値観が熟成の域に達し、個人の存在感が高まりつつある現代ではとくに、国という箱は窮屈と不自由しかもたらさないのではないかなと思います。

良い地域にしたければ、町を活性化させたければ、金の流れを作り出すべし!

という「国」を維持するための都合が、かえって個人の思考を圧迫し、軒並み「血圧高めのカラ元気」な地方を作り出してるんじゃないでしょうか。

「地方の活性化」というアンチエイジングな響き/病気の治療のようなまちおこし(完)

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