「まなべーる」は「学べーる」だよ。当時の「空気」を探すこと。

水曜は、自分の町の風土や歴史を勉強した上で、それを素材にした小説を作るまでをコンテンツにする日です。

5月以降は資料読みを続けつつ、ちょっと外に出て勉強していきます。

はじめに行ったのが、「まなべーる」という施設にある郷土資料館。

急に行って、昭和10年代の朝日町のこと調べてるんだけど何か資料ないですかとかってけっこう無茶なこと(※後述)言ったんだけど話聞いてくれたし色々な話してくれたし、嬉しかったというかホッとしました。

もっと他にすることあんじゃねえの?って思われるんじゃないかって思ってるし、興味本位で手を出すには無知すぎるってのも分かってるから。被害妄想だけど。

にしても、小さい頃は郷土資料館とか町の博物館とかつまんなそうなものなんでわざわざ作るんだろうって思ってたけど、いざ興味を抱き始めるとなきゃ困るよね。普通興味ない人の方がマジョリティって言うのが惜しいところです。

多分受け身のコンテンツとしてはつまんないけど、こちらから能動的に活用する場としては面白いってのが資料館みたいなところなんだろうな。

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※昭和10年代のことを聞くのがなぜ無茶なのか

北海道の歴史は浅いです。

もちろん地域差はあるけど、特に内陸にある僕の町で言えば、ほんの100年の間に栄枯盛衰…と言ったら大袈裟かもだけど、目まぐるしい発展があって、急速に縮んで間延びした衰退がある。

ここに不思議を感じるというか、釈然としなさを感じると話してくれたのが、「まなべーる」の郷土資料館にいるスタッフの方でした。

これは面白い。「100年」っていうのが私のテーマなのだと話してくれました。

歴史が浅く、本州とかと比べると伝統も歴史もゼロに等しい未開の地から始まる開拓の100年は、言ってしまえば「残すほどのことじゃないところ」から始まったのかもしれません。

んん、何言ってるのか不明だろうけど、「何かを残す」って作業は「何かが残ってるから」引き続けるものであって、意外に自分から始めたことって後先考えずとにかくやるのみ!みたいなところがあるんじゃないか。

だって残ってるものがなければ何を残せば良いかも分かんないだろうし、残す意味みたいなのが先に必要だと思う。

いやかなり適当なこと言ってるし、開拓史の資料はあるぞ馬鹿野郎って話だろうけど、とにかく朝日町という限定的な部分に関する資料で、10年代のものは「まなべーる」ではゼロに等しかったという話。

で、特に北海道の内陸のこの辺り、今も存在感が薄い道央以北の辺りのことだし、資料が少ないっていう必然が何かあったんだろうなってことです。それは薄々感じてたから、ずっと昔の資料を要求するのは若干無茶なことでした。

資料はないと言われて諦めるものじゃない

しかし言われてみれば、100年なんて今や本気出したら一代で全てが見られるスケールの年月です。

これは僕なりの釈然としなさだけど、この短い期間のことなのに、「自分の故郷の過去」を知りたいと思ったときに手に取れるものがほとんどないということは確かに不思議。

目の前にあると言っても過言ではないほどの距離感で存在するハズの何かが、いまいち手に取れないもどかしさ。

もちろん、資料を探すっていうことにもスキルが必要なはずで、知りたいことを探す力が僕にないから見つけられてないものもたくさんあるはずです。

じぶんの発見した問題に即して必要な情報をあつめよう、ということになったとき、まず第一の情報源は文字になってのこされた記録であろう。とにかく、これまで人類が達成してきた、たいていのことがらについて、誰かがそれを研究し、文字にしてのこしていてくれるのである。ほんとうに、どんなに特殊なことについても丹念にしらべた記録があるのだ。『取材学』31p

だから、この程度で資料がないと諦めるわけにはいきません。問題は、僕が欲してる情報って言うのが曖昧で、「当時の空気」とか、そういう類のものだというところ。なぜなら、僕は事実を知りたいのではなく、事実を基に架空の物語を作りたいから。

極端な話、本当にあったことには興味がなくて、本当にありそうなことに興味がある。

多分、当時の空気を知りたければここから調べれば良いってのもあるんだろう。

でも言ってしまえば、誰かに聞けば分かるだろうみたいな甘えがあったことは否めない。

網羅的に知る、疑問を持つ、深く問うというサイクルを繰り返して、よちよち歩きでたどり着かなきゃ届かない資料・情報ってのもあるのでしょう。いわば「当時の空気」なんてそのよちよち歩きの過程すべてを混ぜ合わせて眺めるようなものなんじゃないか。

聞き手としての強打者になるため勉強しろ

とにかく、郷土資料館に行っても10年代、戦時中の北海道朝日町について豊富な情報を得られたという訳ではありませんでした。

でもすごい時間割いてくれたし、高齢者の方に昔の思い出とか聞き書きしたときの資料を印刷してくれました。

聞き書き 資料2

やっぱ空気とか知りたいなら当時生きていた人に話を聞くのが一番です。でもだからこそ聞くための知識が欲しいんだよな。話聞くのが一番早いのは事実でも、それが常に最善手という訳ではないもんな。人の話を聞くって全然受け身の作業じゃないもの。

なんか、唐突に野球の比喩でアレだけど、例えばボーっとバッタボックスに突っ立ってるだけじゃピッチャーがゆるいストレートしか投げてくれないのと一緒です。コースついたり変化球投げる意味ないもんね。

強打者だからこそ(打ち返すスキルがあるからこそ)外角ギリギリ投げてくれるし、フォークとか見せてくれるんですよね。聞き手は「もう投げるところがない!」って思うような打者じゃなければ。

聞いて、調べて、聞いて、調べてですね。

聞けばこの聞き書きの話し手の方は祖母と同級だと言います。

なんか改めて、「ばあちゃんって貴重な資料だな笑」って思いながら帰りました。

あと、じいちゃんにもっと話聞いとくんだったちくしょー、とかそんなことを。

「まなべーる」は「学べーる」だよ。当時の「空気」を探すこと。(完)

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