111年!地域に愛され続けた町のお医者さんの閉院と、残されたお薬の話し。

士別市にある、寺田医院というまちの小さなお医者さんが、本日(2014/12/26)の診察を最後に閉院となるそうです。

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僕は小さい頃から喉や気管支が弱くて、風邪は咳にはじまり咳に終る…というかその咳がなかなか止まらず、咳が出始めるといつもとても苦しい思いをします。

同じような体質の方になら分かってもらえると思うけど、咳って夜中に酷くなるから寝る頃が一番怖くて、なかなか止まらないと不安になるわ苛立ってくるわで気持ちが全然落ち着きません。

立て続けに出てくる咳で呼吸困難状態になって、いい加減腹筋も痛いから思い切りのよい咳も出来なくなって、布団を抱いて丸まりながら、心細い気持ちで、少し体を起こし、眠れるまで一点を見つめて過ごします。

そうなる前に病院行けばいいのに…って思われるかもしれないけど、確かにその通りなんだけど、僕が毎度毎度なんの学習もせず、性懲りもなく、風邪をひく度に咳を甘くみてしまうのは、絶対に寺田医院があったからだと思う。

♦♦♦

ひらひらのカーテンの向こうにはパパ先生とママ先生がそれぞれの机を挟んで横並びに座っています。

パパ先生ママ先生って言ってたけど僕にとっては小さいころからおじいちゃんおばあちゃんのお二人です。

幼いながらその呼び方にはガンガンに違和感は感じてたけど、昔からパパ先生はパパ先生だし、ママ先生はママ先生なのです。遅れて生まれて来た僕が合わせなければいけません。

その呼び方でも分かると思うけど、二人に会うと安心して、おかしな話だけど、診察を受ける前から「あ、もう大丈夫だ」って感じます。

咳をしながら先生の前に座ると「咳かい。喉見せて」って言われる。
大抵いつも、最初は怖く見える。

口を開けると、「あ、これは痛いわ」って言われて何故か得意な気持ちになる。

「なかなか喉見せるの上手だ」とか言わたこともあって、そのときはまんざらでもない気持ちに。あとで鏡を見て確認した。

パパ先生もママ先生も打診をしてくれる。指先でトントンと背中とか胸のあたりを叩くやつ。

音で異変を判断する技術だなんて昔の僕は知らないから、昔は打診を最後の仕上げ的な、もしくは咳を止めるツボを叩く技みたいなものなんだと思ってた。すごく気持ち良くて、呼吸が通る気がするから。

パパ先生の方が力が強くてよく効く気がしてた。

他の病院ではしてくれないから不思議に思ったこともあるけど、勝手に、まだトントンする程ひどくないんだなって納得してた。

血液検査をするときは、「ドラキュラするよ」ってママ先生は言った。
大きくなってから行くと普通に「血の検査するよ」って言ったから、僕も大人になったんだなって思ったのを覚えてる。

「レントゲン撮るからちょっとそこで待ってて」って言われて、すぐ横にあるレントゲン室の前にあるイスで待つ。

相変わらずゴンゴンと激しい咳をしてるとパパ先生がイスに背中預けながら僕を眺めて

「ひどい咳だ」って言う。

ママ先生も「うん、ひどい咳だ」って言う。

それもう診断じゃないしょ…ただの感想でしょって思うとなんか面白くてつい息をひゅっと吸ってしまって咳が止まらない。

「あんまりタバコ吸う人の近く行くんじゃないよ」ってママ先生が言ったから、僕はずっとタバコのにおいが嫌いだ。

点滴もよく打ってもらいました。

小さい頃は点滴が怖くて、針を刺されまいとひたすら暴れたこともあった。

それを看護婦さん3人がかりくらいで抑えられるっていう今思えば贅沢な迷惑なことをしたのも覚えてる。

絶対みんな、「こいつに点滴必要ないだろ」って思ってたと思う。

あと、診察スペースの、ここもカーテンで仕切っただけの隣のスペースでは、僕はいつも吸入をします。水差しみたいな形の小さなガラスを手に持って、先端から出てくる薬っぽい蒸気を吸うのです。

ママ先生の机はすぐ隣だから診察している声はけっこう聞こえます。

おばあちゃんらしき患者さんが、「最近は耳も悪くなって…先生は眼も耳も良いのかい」なんて世間話みたいな話も。

「聴診器使うモンが耳悪くてどうする」って言ったママ先生かっこよかった。

ほんとそうだよねって思ったけど、気合いでどうにかなるの!?ともすごい思っておかしかった。

ほんと、咳が止まらない。

♦♦♦

最後に診察を受けたとき、パパ先生はまだお元気でした。

しばらくしんどい風邪にかからないうちに、亡くなったって聞いて、もうあのカーテンをくぐってもパパ先生とママ先生が並んでいる姿は見られないのかと思うと寂しくて仕方ありませんでした。

そして先日、ついに閉院するって聞いて、そうか、もうどれだけ咳が辛くても「寺田さんに診てもらえばいいや」は通用しないんだと気付いてしまった。

長い間お疲れ様でしたと言うのが正しいのだろうけど、わがままを言えばずっとやっていて欲しい。

時間を止めて、できればパパ先生がお元気だった頃に時間を戻して、ずっと二人で患者さんを診て欲しい。

ママ先生は患者さんとお話をするのが好きだって言ってたって道北日報の記事に書いてあったけど、患者さんだってきっとそれは同じことです。

だから、みんなつい甘えてしまうんだと思います。弱ったところを見せたくなる先生なのです。

大抵のおじいちゃんおばあちゃんより年上で、小さな子にはいつまでもママ先生パパ先生で。

僕にしても、辛くなったら寺田さんに診てもらおうっていうのも甘えであって、「これは痛いね」って言われると何故かちょっと嬉しくて、タバコのにおいが嫌いなのもママ先生の言葉があったからで。

寺田医院は、体が辛いときに会いたくなるお医者さん、不安なことがあると話しを聞いてほしくなるお医者さんです。

そうでなければ111年もの間愛され続け、頼りにされ続けることなんかきっとできない。

病気は治ればいいかもしれません。薬があれば良いし、腕や知識があれば良い。

だけどそれ以上に地域の人が愛したのは、お二人のキャラクター、人柄、お言葉です。

先生にしてみれば不本意な話かもしれないけれど、寺田医院があったから安心して具合も悪くなれたって人がいっぱいいるに違いありません。

寺田さんないならもう具合悪くなっても仕方ないじゃんって、むしろ元気な人が増えるかもしれない。

111年続いた寺田医院の閉院が患者さん達に抱かせた大きな大きな喪失感は、きっとそういうタイプのお薬なのです。

朝昼晩、食前食後おかまいなく思い出せる寺田医院でのエピソードや先生の言葉を僕らはそれぞれ処方されていて、思い出しては刺さる喪失感が、僕らの身を引き締めてくれます。

ママ先生は「生きているうちは医者を続けるのが当たり前だ」というお父様の教えを守りここまで来たそうです。

生きているうちどころか、寺田医院に関わった人たち全員がいなくなるまで、先生たちは腕利きの、まちのお医者さんです。

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