人間が人間だからこそ発展しないどころか、崩壊していく「関係」を研究していこうと思う

『文明崩壊』では、文明が崩壊する外因的な要素が中心に紹介されていたと思います。

文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

干ばつとか、疫病とか外交上の問題とか、そういうことが。

次に読んだのが レベッカ・コスタ著『文明はなぜ崩壊するのか』

文明はなぜ崩壊するのか

こちらは人間の思考様式や行動様式を中心に、崩壊について語られているものです。

だから、例えば

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ。

でも触れたところだけど、「イースター島民はなぜ生活に必要な森林を伐採し続けたのか」という、傍から見れば愚かに見える人間の行動とか考え方の不思議の方に着目した本なのです。

これは文明が崩壊する理由にまた一歩近づけそうだぞということで、これから何回かに分けて、何かしら書いていきます。

今日はその本の内容には入らずに、てかそもそもなんで「文明の崩壊」とかそういう話ばっかしてんの?ということを書こうと思います。

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生きるの楽しいなちくしょうってならないのはなぜ

基本的に、文明の崩壊も人間関係の崩壊も原理は一緒なのだと思っています。

2人の関係だろうが、10人くらいのサークルだろうが、30人くらいのクラスだろうが、100人くらいの団体だろうが、1億人くらいの国だろうが同じ。

1対1の関係が壊れるようなありふれた出来事が国のレベルで起きれば、歴史的には文明の崩壊という風に見られるだけなんだなと。

そもそも、僕がなぜこんなにしつこく文明とか文化とか七面倒くさそうな話を続けているかというと、何も文化人類学とか社会人類学の世界に足を踏み入れたいからではありません。

いわゆる「地域おこし」とか「町おこし」とか、呼び方はどうでも良いけれど、町と言うある程度の大きさのものを対象とした活動をするに当たり、なぜそういった活動がうまくいかないのかをよく知っておきたいからです。

まったく「町おこし」とかに興味ないって人も大勢いると思うし、むしろ「町おこし」とか「地域の活性化」とかって話題が嫌いでそういう類のニュース入ったらチャンネル替えるって人もいると思うんだけど、田舎をなんとかしようと活動している人とか田舎に興味がある人って意外にいっぱいいて、それぞれが創意工夫をこらし、何とかして自分とゆかりのある地域をよくしようと奮闘していますし、そういう活動が評価されていたりします。ニュースで報道されるよりも実体は活発だと思います。

興味ない人にすれば、ニュースを見れば「地方の活性化」、「地域創生」「田舎の魅力」とうんざりする内容だらけかもしれないけれど、レポートは不十分でも、少なくともニュース番組の一つの常連トピックになる程度には、全国的にブームを巻き起こしている現象と見ても良いということです。

逆に全く何もしてない地域なんかないだろというレベル。適当に見繕ってもかなりの人が日常的に地域の活性化に励んでいるし、田舎の魅力を発信し続けている。

なのに全然現状って変わんないの不思議だと思いませんか。

みんながみんなより良くしようとして活動していると言っても過言ではないのに、全体で見ればちっとも良くなっている感じがしない。

んん…例えば海外から日本を眺めてみたとして、「地域の活性化」とか「地方創生」って流れが大きくなってきてるって知ったとしても、「あージャパンも高齢化とか過疎化とかに苦労してんだなあ」くらいの印象しか持てないと思いませんか?

実際まだ全然不景気だし、ブラック企業はいっぱいあるし、週末は休みってよりもっと働くための息継ぎだし、田舎に若者は溢れていないし、子供は増えないし、人のいるとこといないとこの差が激しいし、何が「良い」状態なのかは分からないけど、少なくとも「日本は希望に満ち溢れています!生きるの楽しいなちくしょう」って雰囲気ではないですよね。ガラッと雰囲気が変わったって感じはない。

生きるの楽しい

『ピュ~と吹く!ジャガー』第四巻173pより

愚痴ぐち長ったらしいので息抜きです。ジャガーさん好きです。

さて、そりゃ各地域で頑張ってて、活気が生まれたり有名になったり町の幸福度みたいなものが増しているところ、熱いところってのはあると思うんだけど、僕が疑問に思うのは、これだけの人が「良くしよう」と思って生きてるのに、なんで良くならないところの方が多いの?ってこと。

町のために何かしよう!とする人が一定数になった途端、劇的に日本全域まっしぐらに「良く」なってもおかしくないじゃないですか。

国内で時差があるとか言葉が大きく違うとかでもないのに、なんでこんな小さな国一つちょっと良くなるくらいのことに苦労してんの?って疑問がすごいあるのです。

だから、根本から間違ってるんじゃないの?とか

実は良くなることを阻む何かがあるんじゃないの?とか

コミュニティが健全に機能しない理由があるんじゃないの?ということに対する興味が尽きないのです。

ブログの根本のテーマは変わってないつもり

いや、これらの疑問は、「なぜ文明は崩壊するのか」ってことを考え出してから形になってきたものだと思います。

もっとそれ以前に、町おこしみたいな活動がまったくうまくいかない気がするのは何でだろう?という疑問がありました。

もしくはそれこそニュースや新聞を見ていて、そういう報道から希望を感じないのは何故だろう、地域の活性化とか田舎の魅力とかつまんないってかむしろ気持ち悪いくらいに感じるばっかりなのは僕が間違っているのかなという不安もありました。

少なくとも否定はできないという程度の善性を押し付けられるばかりで、「良さ」のごり押しに辟易するばかりで、「良さ」そのものを疑わせない空気の気味悪さはなんだろう、いつ設定された「良さ」なんだろうという不満も。

「良いまち」を作らなければならないまちづくりの雰囲気が苦手

それらを解決しないことには、僕は根本的に色々なことに納得のいかないまま「まちおこしっぽい」ことをしてしまい、最高に良くても都合よく利用されるだけの存在になるのではないかと思うのです。

そしてそんな自分の姿を未来の僕は確実に軽蔑するのです。

なんでもっと考えなかったんだ、なんで先に芯を作らなかったんだ、理想を描かなかったんだという後悔をすることが目に見えます。

だから、あくまでもこのブログ全体のテーマは僕の住む町である人口1500人に満たない、消滅間近の朝日町に若者を増やすにはどうすればいいか、みんながもっと自由に住む場所を選ぶようになったとき、選ばれる町にするためにはどうすれば良いかを考えることなのですが、急がばまわれってことで、いろいろと考えているのです。

極小の視野と極大の視野を

文明はなぜ崩壊するのかという原因については、根本的に2人の人間関係の崩壊と、一つの国の崩壊は一緒なんじゃないかと思ってる、ということを冒頭付近で書きましたが、これはほぼ間違いのないことだと思います。

何故なら、どれだけコミュニティの規模を大きくしても、構成員を増やしても、内実人と人同士の営みであることは変わらないからです。

個人がいて、パートナー的な相手がいて、家庭があって、学校、職場、村、町、市、県、国と規模は大きくなっていって、だんだん「人感」がなくなってはいくものの、人同士のやり取りが日々繰り広げられているのだということは変わらないのです。

こう見ると一地域というのはちょうど中間程度の規模のコミュニティだということが分かります。

さらに町の中を見てみても、個人がいて、お隣がいて、サークルのような集まりがあり、NPOのような団体があって、行政があって、という風に、人間関係を構築する要素というのは常に入れ子状態、もしくは階層構造になっています。

で、大きくなればなるほど、コミュニティの維持は難しいのかというとそういう訳でもないですよね。

一人の人とでさえその関係を維持するのはものすごく難しいことは誰でも経験的に知っているはずです。

かつてはお互いすごく好き合っていたのにいつの間にか別れてしまったり、毎日のように遊んでいたのに大学を卒業してからは気付けばもう5年も会ってないとか、会ったとしても昔のようには面白くなくてどんどん疎遠に、なんて経験は誰もが持っているはずなのです。

反対に、これだけ景気が悪くても物騒でも誰も信用できなくても他人に興味がなくても成り立つ会社や街や国という大きな機械仕掛けのコミュニティの方が、維持するのは簡単なのかもしれません。

「町おこし」や「地域の活性化」の面白いところは、大きな視野に立ってみれば一地域の活動が国全体の流れに影響を与え、小さな視野で見れば、一人一人の人間の人生や生き方に関わりうる活動だということです。

国の問題を解決するポテンシャルもあれば、人ひとりを幸せにすることができる活動でもある、というかそういう風に連なった構造でなければ、と思います。

だって、国民の一人一人が楽しく幸せなら、その国全体が幸せで、満足度の高い、良い国だってことですからね。

だけど、「良さ」や「正しさ」や「幸せ」というものは統一できるものではありません。統一してしまうと夕方のニュースやワイドショーのような気味の悪い印象の国になるのだと思います。

だからこそ、それぞれが自分に合った生き方やしっくり来る場所を選べるようになることが大事なのではないでしょうか。

そんな未来が「総合的に見て幸せな国家の形」だとすれば、この町は誰に選ばれるのか、をよく考えなくてはならない。 国の規模で考えるには一人を考えなくては。

そして一人を考えることが国を考えることと同質でなければ、と思うのです。

人に興味があるから

基本的に僕は内向的で、底抜けの楽天家という訳ではないので、国の幸福とか人の幸福とかを考えるときもどちらかと言うとマイナスの発想から入り勝ちです。

だから、どうすれば人同士のコミュニケーションはうまく行くのかとか、成功した文明の共通点はなんだろうと考えるよりは、なんで人同士のコミュニケーションってうまくいかないんだろう?なんで文明って崩壊するんだろう、と考えることになります。

あ、あとみんなが自分の地域を良くしようと思っているのになかなか良くならないのはなぜかという疑問と同じで、例えば友達とか恋人とかとの関係も、多分誰も「悪くしよう」なんて思っていないはずなのに崩壊してしまうのはどうしてなんでしょうか。

大きな視野で見ても小さな視野で見ても同じ疑問が適応できるということは、やっぱり共通する何かがあると思うんだよな。

だから、文明が崩壊する仕組みと、地方が消滅する仕組み、個人同士の関係が崩壊する仕組みには、何か共通するものがあり、共通点があるのだとしたら、入れ物ではなく同じ構成員である「人間」に問題があるに違いない、と思うのです。

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ。

そして文明崩壊も地方消滅も個人同士の関係の破綻も、時代や国を越えて普遍的なことである以上、人が人であるが故に生じる不都合があるはず。人が人だからこそ、発展にブレーキがかかる。

『文明はなぜ崩壊するのか』にはそんなことが書いてあるのです。

人間だからうまくいかないんだよって部分を掘り下げて、納得したい。

人を理解しようとするというはすごく文化的な営みであって、それは創造のはじまりだし、多分僕にとってこういうことを今考えることは、今後必要なことなんだと思う。  

  人間が人間だからこそ発展しないどころか、崩壊していく「関係」を研究していこうと思う(完)

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