地域と仮想通貨と僕らの選択可能な未来について。

とても長い記事をダーッと書きます。書きすぎです。たまに発作的にやることです。

いつかの記事にも書いたけど、僕は「日常の中の非日常より、非日常の中の日常」を作りたいと思ってやみません。僕が今やってることすべての最終目標はこれ。

この「日常の中の非日常じゃなくて、非日常の中の日常」は、ラーメンズのコント『アトムより』にあるセリフです。この記事とは関係ないけど、興味ある方は見てみてください。

彼らのコントを端的に表現する一文のようで、あーそれだよそれ、僕が求めてたのはって思った言葉で。

彼らが作るコントの登場人物は、僕らが知っている日常の中でちょっとおかしな行動をとるのが面白いのではなく、僕らにとって非日常的な世界で「普通に」生きている人が面白い場合が多いです。

僕は文芸を軸に据えた「まちづくり」を考えていますが、そのコンセプトに求める理想は、ちょっと現実を忘れられる場所ではなく、「ここではこれが普通なんだ」が常に非日常的であって、作り物めいているような環境です。そして内側にいる人たちにとってはごくごく当たり前である環境。

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昨今のRPGとクエストは現実に応用できないか

僕は基本的にゲームの世界に憧れ続け、毒されています。幼少期をFF4とロマサガ3で過ごした僕にとって、この世界は親みたいなもの。現実もゲームのようになれば良いと思っています。

僕のゲームの原体験?は上記のタイトルですが、現実もゲームのようにと言うのは、たとえば、昨今のRPGにヒントがあるのではないでしょうか。

現在でRPGと言うと、メインストーリー(最大の目標)が一本背骨のように通っていて、行く先々で「クエスト」と呼ばれる課題をクリアして報酬を受け取るというものが多いのでは、と思います。

クエストは基本的にやるもやらないも自由だったりして(少なくともすべてやる必要はない)、一直線にメインストーリーをクリアしても良いし、もちろんクエストをやりこんでも良い。

クエストで得た報酬を旅の資金にしたりなんだりしながら、また自分のレベルを上げながら、メインストーリーを進めていきます。

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クエスト制度を現実に

このシステムが実際に地域にあると良いなと思うのです。

こないだニュースで、東京のある定食屋で一定時間お手伝いをすることで食事の無料券を受け取れて、それを自分で使うことも可能だし、誰かが利用できるよう定食屋のボードに貼っておいても良いというシステムを行っているとやっていました。

この発想がある意味「普通」になれば良いなと思うのです。やったことに対して報酬が受け取れる。

行く先々で「クエスト」が用意されていて、望めば放浪という生き方も無理じゃないというような。

そういえばワーキングホリデーでオーストラリアにいたときは、宿の清掃などを手伝うかわりに宿代をタダにしてもらうみたいな方法もあると聞いたことがある。僕はやったことないけど。

そうでなくてもウーフーと呼ばれる方法では、農場の仕事を手伝うかわりに部屋を用意してくれて場所によっては食事も出て…みたいなところがけっこうあって、僕半年間くらいそうやって過ごしてました。

物々交換のようなものですが、そういう手段があるっていうのは良いなと思いました。

やってもやらなくても良い仕事という前提

いやでも、そんな落ち着かない生活はいつまでも送れないし、単発の仕事を受注してそれでまともに生きるってなったらそれただのフリーランスやんって話ですよね。

後でお話しますが、この「現実」を乗り越えなきゃならないと思う。現実というのは、「責任のある仕事」と「生き方」の交換というものにある閉塞感です。

マグロが泳ぎ続けなければならないように、上で言ったようなことだと動き続け、稼ぎ続け、成功し続けなければならない。そのためにはその人が信用に足る人物である必要があるし、ある意味普通よりもシビアなサバイバル能力、コミュニケーション能力、業務遂行能力が期待される。

わざわざ「ゲーム」と言ってるのは、ここを意識的に乗り越え、行為と人格(人生)を切り離す工夫が必要だと思うからです。

我々が知っている現実の中で、ここまで書いたこと(で生きること)は非現実的であります。

この非現実を現実に、つまり日常に落とすにはどうしたらよいかということを考えます。

どうでもよさを守れ

語弊があるかもしれないけれど、ここで言う仕事(クエスト)というのは僕らにとってどうでも良いことであります。ゲームのように、どうでも良いけどやると面白いことであります。

ゲームのクエストというのはメインストーリーに対する「手段」や「ちょっとした作業」に他なりません。そもそもやってもやらなくても良い。

しかしそれをやるのは面白いし、真剣にこなすに足るし、できたらそれなりの得をする。だからわざわざやる。

考えてみれば、昨今の仕事のほとんども既にこれなのではないかと思うのです。本当にやる必要があることなんて、どれだけあるでしょうか。

ゲームではこの仕事に対してどっちでも良いっていう割り切りが実現できているけれど、現実ではそうはいきません。仕事と人生は直結していて、仕事の失敗はダイレクトに人生の躓きとなります。仕事をしないこと(人の役に立っていないこと)は基本的に許されません。

ここを乗り越えなければと思うのです。仕事(やったこと)と人格を切り離す。少なくとも、切り離して生きることも可能にする。そしてここを乗り越える力というのは、ゲームの力、言い換えれば創作力なのではないかと考えます。

結論を言えば、いっそ分かりやすく別に価値も何もないことをやれば良いんじゃないの、というのが僕の頭の中にいつもあります。

最初から最後まで無駄を前提にしたストーリー

ここで考えたいのが、「日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常」ということについてです。

極端な話、すべてが虚構で良いと思うのです。

具体的な話をします。

例えば、僕が夢見る文芸の町では何が起こるか。

この地域には「事件A」が存在します。それは未解決の事件であります。

これは嘘です。そんな事件があったことも、そんな事件があったらしいと思えるような微かな資料も全部嘘で、作り物。創作です。

しかし地域はこの「事件A」を解決するというクエストを発注します。とても無駄です。

受注した人は「事件A」を解決するよう努力するわけですが、そもそもない事件ですので、その事件が解決したか否かの判定は「それらしさ」にあります。

論理力、説得力、文章力などを駆使して、そもそもない事件の解決をはかるわけです。これには水平思考が求められます。

水平思考とサイロ思考/辻褄が合っていれば正解!の水平思考

もっとも辻褄が合うこと、矛盾しないこと。そして何より、面白いこと。これが重要です。

技術があれば動画を撮影したり写真をでっちあげたりしても良いです。もともと無いものに対して、どんな答えを出そうが勝手です。ただし面白い必要があります。面白さにはいくつものバリエーションがあります。

答えは人によって違うかもしれないけれど、それらしさがあればどれも正解になります。反対に、仮に解決に至らなかったとしても誰も困りません。そもそもないんですから。残念だったぜ、で済む話。

辻褄があっていれば正解。これは我々の人生にも同じことが言えると思います。

重要なことっぽいですが、文字を大きくして太字にするくらいにして、話が逸れるので先を急ぎます。

クエストの発注者は、いくつかのシナリオを用意しても良いです。というかある程度想定することになります。

ヒントとなる文字資料をどこかに隠しておいても良いし、決定的な証拠とも言える写真を作っても良いです。このとき探索能力や取材能力も求められるかもしれません。読解力が必要なケースも。その人の能力によって、作り出される物語は違います。

そういう思わせぶりなものを用意するのがこの地域にある仕事です。(非日常の中の日常)

受注者は自分で発見したそれらからあるストーリーをでっちあげ、何らかの形に残します。それが面白く、辻褄があったらクエスト達成。報酬が受け取れます。

クエストとの関わり方にも個人差があります。孤高のプレイヤーになることも可能ですし、何人かのパーティで行動してもけっこうです。もちろんパートナーと二人でという方法もあるでしょう。どんな方法でも辻褄があっていれば正解なので、人数が多ければ有利というわけでもありません。

ここ重要です!自分の人生を攻略する上で、外交的で社交的である方が有利という常識?にも刃向かいたいところ。

正解はそれぞれと言いつつ、成功のルート、成功者の性質が偏るようでは不十分のように思います。それぞれの性質に合わせた正解を導きだすことで生きてこそ、僕らは自分の人生をプレイする意味が出てくるのではないでしょうか(たまに自分らしくないことをするのも一興だが)。

発想として「リアル脱出ゲーム」のようなものはすでにありますが、よりエンターテインメント性を落とし、ある種地味な創作を目的とします。

エンターテインメント性を落とすという意味は、地域は(てか僕は)、これまでのように大勢の人に楽しんでもらうためのサービスを作るのではなく、あらゆる能力を駆使して、ご自分のストーリーを作り上げてもらうことに喜びを感じます。

つまり、大勢が極少数の人間を楽しませるという構図になる。そしてその極少数の創造は、大勢にとっての価値となる。

創作物を受け取るのではなく、作り出す体験を供給するのが地域の仕事です。

何より(僕が)面白いのは、こういったチャレンジの達成が記録に残ることで、そこには「事件A」に対する回答という性質のミステリー小説が自然に生まれる仕組みとなることです。これは公開し、誰でも読めるようになります。

現実世界にコンテンツを生み出す仕組みを作り出すのが、僕のブログ作成の目標の一つです。

実践に際して。仮想通貨は使える?

そんなことできるの?

分かりません。全然わかりません。

まず報酬のやり取りは、「円」では難しいかもしれません。

仮想通貨ならばどうでしょうか。僕は仮想通貨には疎くてバカみたいなことを言うかもしれませんが、仮想通貨が正しく流通すれば、この夢も実現に近づくのではないかと思います。

元手は必要ですがここは一旦置いといて、とにかく一種の地域通貨を作りだし、小さな経済圏においては生きる分に不自由しない状態にするのです。つまりある地域でクエストを達成しつづければ、そこだけでは普通に食料を買ったり、家賃を払ったりはできる。

ファイナルファンタジーの世界でギルを稼ぎ、ドラゴンクエストの世界でゴールドを稼ぎ、ゼルダの伝説の世界でルピーを稼ぐように、その地域ごとにある報酬を稼ぐことで、局所的には生活に困らないようにできる。その通貨が使えると約束された領域内では、生きることが可能になる。

自然、それぞれが、自分にあった冒険をすることになります。クエストの性質は地域によって異なり、「〇〇の町」と言った「地域おこし」に使われるフレーズは、そのままその地域で生きるためのヒントになります。

例えばそこが「写真」に価値を置きたい地域ならば、それに関連したクエストを作ります。そのクエストを達成することで受注者はその地で普通に生活を営めます。その代わりその場を出たらあまりお金は持ってないかもしれません。

好きなことで生きるは簡単に

最低限好きなことで生きることは簡単になります。

これはどういうことかと言うと、社会的な成功は必要ない!ということ。あるのは単発のクエストにおける成功と、失敗だけ。その仕事にあまり大きな意味はありません。面白いかどうか、素晴らしいかどうかだけがドライに判断されます。

もしかしたら好きなことで生きるのに成功が必要ないと聞くと反感を抱く方もいるかもしれません。

成功したくて好きなことをしている人もいっぱいいると思いますから。

ここに反論はありませんが、仮想通貨を持ち出した時点で僕はある程度「成功」という概念を頭から切り離して考えています。

だって、「成功」とは結局、円(現行の国際通貨)という画一的な価値に換算できるものだからではないかと思うからです。

いやお金なんて関係ないぞ、私が欲しいのはそういうのじゃない、というのであればなおさら、小さな成功体験と失敗体験を繰り返せるシステムの上の方が、個人的な目標(メインストーリー)を達成しやすくなると思うのです。

よって「クエストを達成しながら生きる(好きなことで生きる)」と「人生の成功」は切り離して考えます。

何が成功かは、それぞれが選ぶことです。それは他人に理解される必要はありません。

僕らの夢はリスクだ

現状、僕らが夢を持つのはリスクです。好きなことをやって生きられるのはごく一握りの、努力をした人か運のある人です。夢は生きる上で足枷である確率の方が高いと思います。

やりたいことがある、成し遂げたいことがある。それはキレイごとで言えば素晴らしいことだけど、かなりの高確率で成し遂げられず、失敗してしまい、愚か者扱いされてしまう。つまり負ける。

だけどそれはつまらない。つまらないというか、もったいない。僕らにはやりたいことがあり、何が幸せなのかが分かっているのに、価値の測り方が限定的であるが故に諦めなければならないことがある。

ときには運によってのみ成功と失敗が分かれることがある。むしろほとんどの場合はそうかもしれません。

この窮屈さや不安を解決し、一人でも多くの人が軽やかに生きる方法を考えても良いのではないかと思う。

競争から共創に

僕らが生き抜くには「競争」をしなければなりません。ある程度必要なことだとは思うけれど、それこそゲーム的なもので十分だと僕は思う。

「競争」で成長するには限界を感じる今日この頃であります。とはいえこれは偏った考えかもしれません。

特に、僕には闘争心というものが乏しく、競争となるとなんだかエネルギーが減ってしまいます。幼い頃からRPGに親しんでいたのは、それが一人でできて、友達と争う必要がないからです。格闘ゲームやスポーツゲームはできません。

野球部に所属していた高校の頃でさえ、勝ちたいと思ったことは一度しかありません。最後の試合です。負けたら終わると思ったから勝ちたいと思いました。純粋に勝ちたい、相手を負かしたいと思ったことはありません。僕は延々とノックを受けるのが大好きだった。試合はお付き合いとすら思っていました。

たぶん、人生において、こんな風にしぶしぶ闘志を燃やす方もいるのでないでしょうか。勝たなきゃ負けるし、負けたら終わりだから、勝たなきゃ、みたいな。

スポーツという競い合いが前提のフィールドですら僕みたいなヤツがいるのに、僕らは人生において、いつも誰かより抜きんでて、誰かより有利なポジションを取り、誰かより早く物事をこなさなければならない。

言い換えれば、「認めてもらうためのレース」をする必要があるのです。そのために適正な倫理観やコミュニケーション能力と言ったものを装備する必要があります。認めてもらえないと、十分なお金がもらえず、死にます。

地域も同じ競争に飲まれている

「まちづくり」や「まちおこし」に関してもそうです。あるアイディアを素早く形にできた地域は強いです。ああこんなことで良いのか、ああこっちも考えてたのに、あっちなんて俄かなのに。そんな競争心は地域どうしでどうしてもあると思います。

やっかみはなぜか安易な模倣を生みます。

結局広告がうまかったんだ、こっちにもちゃんと人に届けられる力があれば。あそこにはデザイナーがいたのが良かった。なんでも、あそこにはコワーキングスペースってのがあって、誰でもパソコンをネットにつなげて、若い人がプラッと来て仕事できるようになってるらしいぞ。デザイナーもその口で、偶然知り合ったらしい。

じゃあここのふれあい施設にWi-Fiいれて若い人来られるようにしよう。画一的な景色が生まれます。やはり僕らの人生と似ています。

なぜ勝たなければならないのかと言うと、一番の地域が利益をほぼ独占できるからだと思います。一度勝つと、その後の地位が安泰と思える。後追いではどうしても二番煎じになり、認められにくくなります。

勝ちたい、けど勝ち方が分からない。表層を真似るしかない。でも真似じゃ認められない。

まさか。真似は尊い。あらやることは真似から始まります。絵を描くとき、文章を書くとき、スポーツ、料理、語学、しゃべり方、あらゆるものが真似から始まり、真似しようとしてるのになぜかできないどうしようもない部分にオリジナリティがちょっと表れます。

だから何においても、モノになるには長い時間がかかります。

よって真似を否定するような社会に発展はない、と僕は思う。しかしこの目まぐるしい時代、真似からオリジナリティを生み出すほどの猶予がない。早く結果を求める競争の中では表層だけ真似て安易に結果を生み出そうとすると失敗する。

競争よりも共創に価値をおく

競争の意味を乏しくして、真似を肯定するシステムに作り替える必要があると思います。

真似は行われれば行われるほど良い。なぜなら、システムやクオリティの向上につながるから。ここでいうシステムというのは、クエストを行っていれば地域限定で生きる分には困らないよ、好きなことで生きるのに成功は必要ないよという性質のものです。

真似を肯定するということは、真似を歓迎するということです。

例えば「文芸のまち」ではあらゆる文字を主体にした創作が行われますが、地域によって生まれるものは絶対に異なる。なぜなら、そこで語られる物語はある程度現実の景色とリンクするからです。

地域を舞台にした小説とか映画とかも町おこしに使われるけど、主従が逆になります。地域のために物語があるのではなく、物語のために地域が使われます。

地域Aはこうだけど、こういうのが好きなら地域Bもいいぞって感じで送り出すこともできる。仮想通貨で繋がっているので、地域Aで成し遂げた成果を地域Bに引き継ぐこともできる。

適用される経済圏が大きい方がみんなにとって扱いやすくて良いので、「独占的な地位」を目指すことに意味がありません。

競争よりも共創を目指した方が結果全体の利益につながるので、そっちを目指すことになるのです。

地域差、クエストの発展の度合いも必要

例えば地域Aではあまりクオリティの高くない創作がある。それがどんなものかは説明しにくいですが、とにかく未熟と想像してください。

このクオリティを高めるのは(クエストを受注するのは)地域の外の人間である。

そもそもクオリティが高くないので、クエストの受注者はこの地域ではわりと簡単にクエストを達成できる。つまり生きやすい。ビギナーのまちのようになります。

そしてクエストは達成されればされるほど地域の「文芸のまち」としての価値は上がっていく。生きやすいまちでは自分も、まちも伸びしろが大きいのです。

一方地域Bでは、クオリティが高く、複雑な創作が営まれている。ここではそもそも全体のクオリティが高いので、クエストの難易度も高め。つまりクエストの失敗というリスクが付きまとい、そうとうの手練れか、専門性を持った人間でなければ生きるのは難しい。

地域Aで経験と通貨を稼ぎ地域Bに移動、挑戦するもよし、地域Aのような土地のクオリティを上げるのに尽力するもよし、限られた価値観に見えて、生き方には幅がある。ここでは便宜上一つの地域に一つの通貨みたいに話しているけど、規模に応じていろいろあっても良いでしょう。というかその方が良いでしょう。

ごく狭い価値観を表す通貨が流通する、狭い領域で好きなことをして暮らしながら(クエストをこなしながらレベルを上げる)生きられる。

必要なら「円」という大きな価値を取りに行く工夫もできるし、なりたい自分になる努力ができる(メインストーリー)。

こういう環境があれば、誰も競争することなく、言わば自分との闘いのみで、人生を作ることができる。

僕らが競争から解放され、もっと身軽になるために

価値の尺度も多様であれば、僕らはもっと身軽に動けるのではないか。好きなことを探すのも容易になり、好きな自分に出会う確率も上がるのではないか。

例えばある地域に入ればログインボーナスが支給されるとどうだろう。3日の食と住は賄える量。

そこでクエストをこなす。酒場やコミュニティスペースやコワーキングスペースに張り出された依頼状をはがした瞬間にクエストは始まる。端末からのアクセスでももちろんオーケー。

重要なのは楽しいかどうか。面接も何もありません。あなたが社会的にちゃんとした人かどうかなんて見定める意味がありません。殺人鬼とか来たら困るけど(笑)まあとにかく、何かクエストをやって、面白くないなら次の地域へ。

ああこの町面白い。私はファッションに興味があったのかもしれない。もう少しここで過ごしてみよう、と思うこともあるでしょう。

勘違いだった、ということもあるはず。そんなの今でも当たり前にありますよね。ずっと夢だったファッションの勉強をするために会社やめたけど思ってたんと違うって。

何子どもみたいなこと言ってんの、仕事なんだから厳しいに決まってるでしょ。好きなデザインできるのは業界でもほんの一握りの人だけなの。

夢があるなら毎日誰に見せるでもないデザインを描き続けていつめぐってくるか分からないチャンス逃さないようにしなよ。

SNSとかに投稿したら誰か目つけてくれるかも?まあそんなのごまんといるけどね。

まあでも努力できる人が結局勝つし、努力できることが才能だから。って。結局運なんだけどね。宝くじも買わなきゃ当たらないし、とりあえず頑張って。

こういう夢のつぶし合いみたいなことがなくなると良いですよね。

ちょっと変わった地域も出てくるかも。

あ、ここは「告白のまち」だって。なにそれ。どんなクエストがあるの。最高の告白を演出する町だった。ここは良いかもしれない。そういえば昔から恋の相談を受けることが多かった。でもずっといるのはつかれるかも。クリスマスシーズンとかに来たい。あ、告白にもいろいろあるのか。愛の告白もあれば、罪の告白もあるんだ。へえ。

こんな風に点々としても良いかもしれません。クエストなんて関係なく、土地の空気や身近な人が気に入ればそのまま普通に暮らせば良いし。クエストの発注者になる道もあるし、公務に勤しむ生き方もできます。

他人の価値観に嫉妬せずに生きる

僕らは他人の価値観に嫉妬せずに生きて良いと思う。他人の達成や、他人の楽しいが建前じゃなくてドライに全体の価値になるような仕組みができれば良い。

国はそんな楽しい国民のインフラや生きるために必要なハードを維持する役割があれば良いと思います。僕らの生活を良くしてくれなんてもう言わないから、楽にしてくれとも言わないから、公務に対して全力で、福祉に対しておおらかに、教育やエネルギーの活用は健全に。

妄想ついでに勝手を言うけど、仮想通貨をその日生きるために使って、円のような国際通貨は税金用にって感じの使い方になればよいなと思う。生活の中から削られるという感覚ではなく、毎日の営みの中で生じた利益を、自分の営みを守るために使ってくれる国に寄付する感覚。

子どもやご老人のような、自分の意志で動いたりアクティブに動き回るのに不向きな人が安心して過ごせるように円は全力で使ってもらって、その日その日楽しく生きてれば十分に生きられる若い世代、やりたいことがある世代はただ楽しく生きればよい。その日その日を楽しく生きて将来に不安を抱かなくて済むよう、国はドライに人を救う仕組みを作る。

別にやりたいことないという人はそれでも良いし、ここで僕が書いた内容の性質上、一定数創作者ではなく消費者も必要なので、やりたいことも行きたいとこもないなあ、みたいな、そういう人もいないと困る。

こういう風に、現在の多様な人生の多く、気分の変化、人生のステージの変化のすべてに役割があり、自然にふるまうことで回る仕組みがあれば、僕らは他人に嫉妬せずに済む。

あいつは楽して儲けててずるいとか、働かなくて良くてずるいとか、果てには夢をかなえてずるいとか。

税金の不正使用とか生活保護の不正受給も別に、倫理とか良心とか持ち出して云々しなくても、やりたいことあるならわざわざ不正なんてしないで普通にやりゃいいのに馬鹿だねで済むし、何もやる気起きないってそれは一つの不幸だよねで済む。

人が犯す不正と、それをスタジオで検証する時間を使うことに何か意味があるだろうか。それで何かが正された試しがあるのだろうか。

これとさっき話した「事件A」を解決するというクエストにどれほどの違いがあるだろう。どうでも良いことをああでもないこうでもないって嫌な気持ちになるなら、いっそ本当にどうでも良いこと(ゲーム)に時間を使った方が精神衛生上良いと僕は思う。

税金を正しく使えなんて言っても意味ないです。正しく使わなきゃ意味がなく、不正に使うと損をするというシステムを作ることを考えれば不正使用はなくなるはずと考える方が建設的です。

多分そういうものの核になるのが仮想通貨なんだろうと思ってます。

通貨を言葉に

通貨は、特に仮想通貨は言葉みたいなものだと思う。

今の時点で何百という種類があるらしいけど、言葉の数は7000近くあるとか。方言を併せるともっとだとか。

ごく狭い領域で使われている言語、広い地域で使われている言語があります。

仮想通貨もそのような差が出て、どの通貨を持つのが一番得なのかという話になりがちですが、言葉を選ぶときに、どの言葉がいちばん有利かということはあまり考えないと思います。

投資の対象になるのであればどの通貨が一番有利なのかは重要な問題ですが、そういう領域から離れ、言葉と同じように、人とのコミュニケーションに使う交換の手段として使うなら何が良いかを考えるようになればよいと思います。

私は韓国ドラマのあの俳優が好きで、よくショッピングにもいくから韓国語を覚えたい。私はロシア文学が好きで、原文で読みたいからロシア語を勉強する。私はなんとか族の言葉を覚えて現地の人と話がしたい。いろいろなところに興味があるから英語や中国語を覚えておきたい。

言語は、そうやって「使うため」に獲得すると思います。お金も本来そういった性質のもので、交換し、コミュニケーションに使うからこそ活きるのではないでしょうか。

そんな風に通貨を持つようになると良いと僕は思うし、そうなると見込んで、多くが幸せをつかみやすいシステムを作るのは重要なことのように思う。

今できることはなんだろう

現状、これだけ書いたけど実現できるかどうかは不明です。僕知識がなさすぎる。仮想通貨とか言うならちょっとは勉強してから書けって話かもだけど、勉強したら書けなくなるかもしれないから先に書きました。

それに、勉強するにしても仮説があってその検証というスタイルの方が身になると思うし。

実現できたとしてもかなり時間はかかるでしょう。現状、机上の空論、夢物語を言わざるを得ません。夢物語というほど本当に夢のようなものなのかすら疑問です。

しかし、仮想通貨とその土台となるブロックチェーン技術は革命的な事柄らしいです。そのうちインターネットを同じくらい、当たり前に普及し、多くが関わるようになるらしいです。

もしそれが本当なら、ガラリと思考を変えなきゃいけない。そういうものがある、そして当たり前に使われるということを前提に物事を考えておいて損はない。そして、もしそれが本当に革命的なものなら、大きく変わるのは田舎だと思う。

ネットがあることで、田舎でも仕事ができるようになって、田舎でも買い物が不自由なくできるようになった。娯楽へのアクセスも驚くほど容易になった。

都会ではちょっとバリエーションが増えたくらいかもだけど、田舎ではほんとうに革命的な出来事に違いありません。だから仮想通貨も本当に便利に使われるのは田舎なのではないかと思っています。

しかし、先のことを考えすぎても仕方ありません。僕はこの前提を頭の片隅に入れつつ、もっと現代的な、アナログなまちづくりをしていきます。

ここで書いた内容のベータ版みたいな環境を作りたい。仮想通貨がどうこうということが全然なくても、もう少し洗練されていないバージョンのことであればできるのではないか。

具体的には、まず自ら創作に打ち込むこと、これは小説を書くということでもあり、私設図書館や書斎を作ることも含まれます。

また、同じような性質の人と出会えて、その人が少ないリスクで何か得るものを提供できるようにすること。少ないリスクというのは、寝泊りするところと単発の仕事ができるところを用意して、ここに訪れる上で必要な費用は賄えるようにすることです。そして創作できる環境、そして放課後のような時間の共有。

みんなで一人ぼっちになって、必要であれば寄りあえる環境を作る。

僕がみんなで創作することに価値を置く理由は、ここまで読んでくれた方が仮にいれば、分かってもらえると思います。

本当に仮想通貨により革命的な変化が起きたら、するっとぬるっとそういうのが活用できるようにしておきたい。多分この状況でやるよりは数倍スマートに、楽にできるはずだから。

地域と仮想通貨と僕らの選択可能な未来について。(完)

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