「まちづくり」の終わり?「まちづくり」という言葉が年々古くなっていることについて

グーグルトレンドで「まちづくり」というキーワードを調べると、以下のように、検索数が順調に下がっている。

感覚としてもこれは「まあそうだろうな」という感じがします。

「まちづくり」という言葉の鮮度は下がっている。

とは言えただ廃れたわけじゃないと思います。

次のフェーズに入ったというか、そもそも多様なフェーズに言葉が対応しきれなくなって、言葉が持つ意味が変化しつつあることの表れだと思う。

「まちづくり」に含まれる意味がぶち込まれすぎて飽和しはじめて、「ある事象(まちづくり)」を語るに足りなくなった。概念からはみ出すことが多くなった。つまり使い勝手の良い言葉ではなくなった。

分かりにくいので図解しますね。

図解したら分かりやすくなった!のかな?笑

こちらのnoteで購入したものを参考に作ってみました。

ちなみにこのブログでは「まちづくり」と「まちおこし」って分けて考えてるんだけど、そういうこだわりは一旦置いとく。

そしてこのあとの説明のため、図をもう1回いれよう。

「まちづくり」をしている、「まちづくり」に興味あると言えば、一昔前はだいたい図の左側みたいな感じのことなんだろうな……と世間では捉えられていたと思う。

イベントなにするべーとか、情報発信のためブログとか、高校生使って商品開発とか、地元の人では気付かない観光スポットの発掘とか、一言で言えばマーケティングもどきみたいなことを素朴にやる感じ。

実際、僕が大学卒業後に地元に帰ってきて、友達に「まちづくりに関心がある」というようなことを伝えると、以下のような反応が多かった。

「じゃあ、市役所でも入るの?あ、地域おこし協力隊とか?もあるよね!」

「どこでも探せば絶対良いとこあるんだよな、気付いてないだけでな」

「人いっぱい呼んで朝日(僕のまちの名前)潤してくれ!」

こういう発言から、「まちづくり」はこういうもの!というイメージがあったのが分かった。

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「まちづくり」という言葉の不便さ

このときから「まちづくり」という言葉は不便だ!

という気持ちがありました。

自分がやりたいこと、望んでいることが、「まちづくり」の枠の中に入らない。

「まちづくり」という枠を一度与えられてしまえば、いくら「僕は自分のまちでこんなことがしたい」と言っても「ん?それがどうなるの?バカなの?」みたいな反応になる。

「創造的な場所を作りたい、コミュニケーションが取れる文化的な土台を作りたい(という趣旨のこと)」を言っても

「いいねえ、田んぼアートみたいな感じで、なんちゃらアート的なやつ?人来そうだよね。問題は何をするかと、どうやって広めるかだよな」とか、コミュニケーションとか言うと「そのうちセミナーとかできそうだよな」

とか言う人が多かった。

「んん、いや別に人たくさん呼ぶための手段としてアートをしたいわけじゃないし、セミナー?セミナーってなんだよ!」って内心なる笑。

つまり何が言いたいかと言うと「まちづくり」という概念がわりときっちりあるせいで、「頭の中を伝えるのがめちゃくちゃ難しかった」ということ。2015年くらいの頃の話。

様相が変わり一括りにされなくなった「まちづくり」

しつこいけどもう一回。

でも今は、この図の右側のように、誰が何やってるか分からないし、そもそも「まちづくり」の枠の中に納まろうとか考えてすらいないという人が多い、ということが分かられているのではないか。

町のため、地域のため、仲間のため、そして何より自分のため、できることをやって、やりたいことをやったら、それがいつの間にかそのまちや地域の価値になってました、というケースが多いのだと思う。

はじめは比較的カチッとしてた「まちづくり」という概念が、いざ個人の領域に明け渡されるとそれぞれの暮らしや嗜好とマッチしてアレンジされ、実に多様な様相を帯びるようになった。

※このあたりが顕在化した時点で「まちづくり」という言葉の概念は半分死んでるんですよね。

よって、「まちづくり」というキーワードの衰退も、自然なことのように僕は思うのです。

まちづくりの意味もなりをひそめ、副産物扱いに

伴って、「まちづくり」の目的と思われていた「地域の活性化」や「賑わい」と言った、従来求められるべきものだった価値は、「あったら嬉しい副産物」となった。

自分の好きなものを中心にすること、もしくは避けたくて関わりたくないものを排除していくというような、暮らしのオーダーメイド感が求められるようになったのではないか。

そしてそういう暮らしのオーダーメイドが可能な地域って、良い地域ですよね。

良い地域を作るために頑張るのが従来の「まちづくり」に付属されていた雰囲気だとしたら、今のまちづくりは「そこに住んでるそれぞれが最高に幸せ!であることが良い地域の指標になる」という認識の下にあるものだと思う。

この主従の方向が大事なんですよね。

もちろんこれは僕のめちゃくちゃ恣意的な解釈だけど、はじめに示した「まちづくり」というキーワードの衰退は変化であるという意図はこんなところです。

余談;みんなの書斎を作った理由

あとは余談になるけど、ここまで読んでいただけた上で、僕がみんなの書斎を作った理由を聞いてもらえると、意味が分かりやすいと思う。

僕は小説とかエッセイとか本をいっぱい読んで、自分でも小説とかエッセイとか書いて、映画見て、コーヒー飲んで、ゲームして、そういう濃厚でインドアな毎日が送りたい。

一人は好きだけど孤独には耐えられないから、そいうことを一緒にできる人が遊びに来るようなところになれば良いと思ってる。

みんな(と言っても大人数ではなく)で読書合宿したり、創作合宿したり。夜は何人かでこっそり映画見たり、息抜きに散歩にでかけても良いし、たまにはアウトドアな遊びも、写真を撮りに行ったりするのも良い。

僕が作りたいのは創造的な場で、コミュニケーションが取れる場なのだ。そんな風に、文化的な土台をこの町に作りたいのだ。

目的はそれ以上でも以下でもないから、お前のやらんとしてることはいわゆる「まちづくり」に寄与するか?と言われれば、知らない。

でも僕が僕の理想をここで叶えられるなら、僕は自分の町がもっと好きになると思う。

そういうものを積み上げると良い町ができるはず。

2年前に書いた記事がようやく現実的になってきました↓

消費者の役に立つより創作者の役に立ちたい


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