ある人にとっては自明のことが、ある人には謎になる

金曜は「旧佐藤医院」を舞台にして、もしくは材料にして、ちょっとした謎を仕掛けようという頭の体操的な日です。

ですが、今週と来週は例外的に趣向を変えて、普通のブログ記事を書きます。

別に誰に望まれてる訳でもないけど毎回必死に更新する金曜日のなぞなぞの類を考えるうち、備忘録的に書いておきたいことがあるのです。

メモだからとても短くなります。

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ある人には当たり前、ある人には謎

ある人にとっては謎でも不思議でもなんでもなくごく当たり前のことが、ある人には大きな謎になるということは、実によくあることです。

老人が老眼鏡をずり下げて新聞を読むのはなぜかとか、左利きの人がカウンター席だと躊躇するのはなぜかとか。

少し考えれば分かることから、言われなきゃ絶対に分からないことまで、本当に色々、世の中には謎めいたことが溢れています。

謎を作りましょう、ミステリーを考えましょうというとき、奇抜なことや奇妙なことを考えるよりも、「ある人にとっての普通」を考えた方が早いんだなと、いつのタイミングだったかで思いました。

でもある人にとっての普通って衝動的な考え方や行動ではなく、習慣的な考え方や行動です。

これは点ではなく線ということであり、つまりストーリーを考えることであるから、金曜日、僕が作っているなぞなぞみたいなヤツは謎を作ることよりもストーリーを作ることを楽しんでいるんろうなと思います。

そして僕は多分これと同じ感覚で、自分の町でのまちづくりとかコミュニティの形成を考えている。

どう人を呼び込むかとか、どう活性化させるかとかには興味がなくて、色んな普通が交差して生まれる物語的な何かを見たいという好奇心が強い。

そのスケールが小さい版のモデルみたいな機能を、「旧佐藤医院」というコミュニティスペースでシュミレーションしている、というのが、金曜日に僕がやってることなんだろうな。

10000分の1スケールのまちづくり

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