『小指の話』から始まるトラウマと結婚観について

『小指の話』がすべてのはじまりだと思う。

『小指の話』をご存知だろうか。

おそらくご存知ないだろう。

『小指の話』は、僕が幼いころ、多分5歳かそれより小さい頃、少し年上のお兄さんから聞いた怖い話です。

お兄さんは押し入れの中に僕を引き入れて、扉を閉め、暗い中でまず「小指をしっかり握れ」と言う。

言われるがままに小指をギュッと握ると、「今から『小指の話』を始める」と言われる。

『小指の話』とは恐ろしい話で、それを聞いている間、小指を握り続けなければならない。小指を放すと、小指が必ず取れる。

どんなに怖くても話を最後まで聞かなければならない。小指を握ったまま話を最後まで聞くことができれば、小指は無事。途中で怖くなって耳を塞ごうとすれば、小指を失うことになる。

暗い押入れの中でそのように説明されると、幼い僕はパニックになった。

『小指の話』の内容自体はまったく覚えていないです、というか多分、これが小指の話の全てで、シチュエーションで脅かす以外の話ではない、子供だましだったのだと思う。

でも「小指を放してはいけない」というルール1と、話をしっかり聞かなければならないというルール2に極度の拘束感とプレッシャーを感じ、僕はパニックになった。

以来、手放してはいけないもののことごとくが苦手になった。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

風船嫌い

風船が嫌いでした。

ヘリウムガスでぷかぷか浮いてる風船は、手を放すと飛んで行ってしまうからです。

たいてい、しっかり握ってるんだよと言われます。

僕は怖くなる。そんなものいらない。しっかり握ってなきゃいけないものなんていらないと思う。何を好き好んで、自分から拘束されにいかねばならないのだと思う。

変わった子だと言われるけれど、子どもがみんな風船好きなんて思うなよと思ってた。

母親は僕が『IT』を見たせいだと思っているっぽいけれど、違います。風船が無条件に怖いのではなくて、しっかり握っていなければならない風船が嫌いなのです。

『IT』後は大量の風船を見るのも嫌いになったからあながち間違ってないけど。

派生してパステルカラーも好きになれないのです。

拘束嫌い

少し大きくなってから、男の子同士の遊びでは、野蛮な感じになることだってあった。

今でも覚えてるのは、プロレス技のジャイアントスイングを順にかけるという遊び?をしたとき。

今思うとどうかと思うけど、確か武道館みたいなところで、先生が一人ずつやってくれる感じだったと思う。

両足を脇に挟んで、ぐるぐる回すヤツ。

「腕を頭の後ろに組んで、肘を耳につけて、頭をちょっと上げておへその辺りを見る」というような指示があったと思う。

僕はこれが嫌だった。しっかり、手を放してはいけないと言われると無条件に過度なプレッシャーがかかる身体になっていた。

痛みには、割と強いんじゃないかなと思う。痛いだけならけっこう耐えられるし、言うほど怖くない。

でも手を放しちゃいけない。これはいつもきつい。

無くしちゃいけないものは嫌い

しっかり持ってなさい、無くさないようにしなさいと言われるのは苦手。

切符とか、ハンコとか、パスポートとか、大事なものに限って、しっかり持って、無くさないようにしないと行けない。

こういう大事なものが純粋に嫌いな人は多そうだけど、僕のような経緯の人ばかりではないと思う。

今さら怖いとは思わないけど、なんでしっかり手に持ってなきゃいけないんだって、変な拘束感もしくは束縛感を感じる。無くしちゃいけないものなんかそもそも無きゃ良いのにって思う。

新婚旅行から帰ってきたばかりなんだけど、無くしちゃいけないものばかりで大変だった。

飛行機も嫌い

飛行機も嫌い。飛行機は飛び続けなきゃいけないから嫌い。飛行機が力を抜くと落ちるわけだ。

実際一瞬エンジンを切れたとても速度と揚力の力学的ななんちゃらですぐさまストンと落ちることはないんだろうけど、あれはその場で浮遊し続けることはできない訳で、基本的には飛び続けなきゃいけない。

飛行機が嫌い、怖いと言うと、よく、交通事故に遭う確率よりずっと低いとか言われるけど、僕が怖いのはそういうことじゃない。

僕は「飛び続けなきゃ落ちてしまう乗り物」に乗ってるのが怖いのだ。

僕がマグロだったらパニックで死んでるだろう。マグロは泳ぎ続けなきゃ死んじゃうらしいから。

その点船は、力を抜いたって浮いてられる。だから新婚旅行の行先を考えるとき船旅は良いね!と思ったのだけど、シンガポールまで行くのに結局飛行機に乗るんだから意味がない。これは笑った。乗るわ、結局、飛行機は。なんなら行きと帰りで2回ずつ乗るわ。

札幌千歳から東京、そして東京羽田からシンガポールへ。

そして結婚観

そして結婚。

結婚なんて束縛と拘束の最たるものじゃなかろうか。

僕が結婚するとは思わなかったし、まだ向いてるとは思わない。

でも妻は所有物じゃないし、そもそもモノじゃないし、自律した生き物なわけです。

妻という存在はしっかり握っておかなければならないモノじゃないはずだし、放しちゃいけないものでもない。そこに責任はない。

精神的な意味での話をすると、たぶん一昔前の結婚観であれば、配偶者はしっかり抱きとめて放さないみたいな覚悟が必要だったのだろうけど、たぶんもうそろそろそれも違うんだと思う。うまく言えないけど。

モノを指すような言い方で妻を扱うことがナチュラルに時代にそぐわなくなってるからこそ、僕にとっては楽なんだと思う(『あなたには帰る家がある』の茄子田先生みたいなのは今おそろしく古く見える)。

フェミニストとかってことじゃなくて、僕に所有は荷が重い。なんにせよ。自分の妻は自分のものじゃない。

だから僕は結婚できたわけだし、もしくは妻がそういう負担を感じさせないようにしてくれているだけというケースも考えられるけど、いずれにせよ拘束間も束縛感もない。

妻はこういう考えに寂しさとか物足りなさを感じたりするんだろうか。

結びつきを感じたりはするし、妻より僕の方がよっぽどロマンチストだと思うんだけど笑、それでも、こういう話を面と向かってするのはちょっと勇気がいる。

スポンサーリンク
スポンサードリンク