まちづくりに関心があると言えないのは人の輪にぶち込まれそうになるから

まちづくりを考える

僕の場合のまちづくりって、文化的な、創造的な営みが楽しくできる場づくりなのです。

没頭や熱中ができる場を作り、かつ、ふとしたときに感じる孤独に打ち勝つ場づくりなのです。

田舎の牧歌的な風景や生活に、毒にも薬にもなりえる刺激を生み出したい。安定を突き崩す力のある空間を作りたい。

小説やドラマアニメ映画を求める気持ちと同じと考えてくれたらよいです。刺激的な面白さを現実的な空間に生み出せたらと思う。

もっと噛み砕いて言えば、映画館に向かうような気分、芝居小屋に向かうような気分、図書館に向かうような気分で町に訪れてくれる人のための場づくりがしたい。

この、映画館に向かうような気分というのはみんなに共通なわけではないと思うけど、最少公約数的な共感は得られると思う。そういう、騒ぐとか参加するとか言うとのは違う興奮があるはずだ。

僕は小説を書きたい。ひたすら書きたい。だけど砂糖菓子の弾丸をいくら打ち込んでも仕方ないのは分かるから、それを少しでも実弾に近づける努力をしなければならない。

その現実的な努力に対しては、他者が必要だと思う。応援とか励ましとか愚痴とか。僕にとっても、誰にとっても。結局現実に生きているのだから。

第一、小説を書きたい、という欲求が何より他者を求める行為だから。

そういう意志を根底に、僕は創作について考えたり、まちづくりについて考えています。

思考を現実に写す以上、「まちづくり」という言葉に納まりそうなので「まちづくり」とこのブログ上では言ってるけれど、僕にとってはそのまちづくりも創作活動の一環という認識です。

創作活動なので、ごく個人的な営みです。

しかしやっぱり創作活動であるがゆえに砂糖菓子の弾丸を打ち込む作業にほかならず、これを実弾にすることを考えると、いよいよ、いわゆる「まちづくり」らしい様相になります。

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まちづくりに「人の輪」はつき物だ

ところが、現実で「まちづくり」に関心がある、ということを口に出すのは難しいです。

なぜなら、まちづくりや地域を考える活動は、往々にして人の輪に入ることになりがちだからです。

僕は祭りにも観光にも興味がないし、人との交流だって実はそんなに好きなわけではありません。

人との約束は直前になって超めんどくさくなって、なかったことにできないだろうかとお布団の中で考える人間です。

一対一(もしくは少数)で、しかも不意に、じっくり話すみたいなことは好きだけど、みんなでワイワイは苦手、というかはっきり言って嫌いです。消耗してしまう。

これはサウナには暑くて辛いので好き好んでは入りません、くらいのテンションで言ってると思ってくださると丁度良い感じに伝わると思います。

「賑やか」を眺めるのは良いんですけどね。僕がいないという設定でみんな楽しくやってくれたら良いのにいつも思います。石ころ帽子がアマゾンで売ってたら速攻で欲しいものリストにいれます(買わないのかよ)。

賑わいや人との交流の後、反動で本を読んだり映画アニメドラマを見るのが捗るから良し悪しではあります。労働のあとのご飯が美味しいみたいなもので、人混みに疲れたあとの虚構の世界の甘美なことったら筆舌に尽くしがたい。そういう価値は認める。

これも「サウナで耐えたあとのコーヒー牛乳はうまい」くらいのテンションで言ってます。

しかし、まちづくりという文脈ではほぼほぼ100%、作り出されるべきものは賑わいだという共通認識のもとに行われるわけです。偏見かもだけど。

しかしそれは僕にとってはお風呂に入る前にどうやって身体を汚すかを考えるようなもので、積極的に考えてまでやることではないです。

だから僕は人一倍「まちづくり」に関心があるけれど、こうなればよいという姿が頭にあるけど「まちの未来を考える会」みたいなのには参加しないっす。

ここに行けば人脈が得られるかもとか、みんなで語り合えば思わぬヒントが得られるかもとか、その可能性については認めるけれど、興味があるかと言われば無いっす。

そもそも「みんなで考える」というところからして僕には不向きなのだ。

それぞれ深層に潜って考えた意味不明のあれこれを持ち寄るなら(それも文章で残してくれるとありがたい)面白みを感じるけれど、みんなで考えるために集まるなんて面白くない。

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いざというときに助けてもらえないかもしれないけど

こういうことを言うと感じが悪いわけです。

ブログに書くのも控えるべきです。

第一、現実的に誰かの手が必要になったとき、こんなスタンスの僕に手を貸してくれる人はいないだろうなと思います。拒絶してるわけだから不愉快ですよね。自分で自分の首を絞めることになりかねないことを書いてるなと思います。

しかし、人の輪に興味がないのは事実で、誰かにどこかの輪にぶち込まれそうになったら拒絶してしまうのは小さな頃から変わらない僕の性質なので仕方ない。

こういう性質を持っている人は世の中にたくさんいるはずだから、言うなれば、そういう人たちに負担にならないコミュニティを作りたいという半ば矛盾することを考えています。

ここまで読んでくれた人がいたら多分ある程度似ている人なので伝わると思うけど、僕らは一人が好きで、少数の信頼できる友人や家族がいれば満足で、だけどたまに人一倍寂しくなるじゃないか、と思う。

人の輪の中にいればいるほど寂しくなって、不安定になって、落ち込んでしまうんじゃないのか。

人といればいるほど、壁にぶつかって、気味の悪い粘液を吹き付けられた気分になって、くたくたになってしまうんじゃないか。

そういうときに逃げ込みたくなる場所があるでしょう。静かで、明かりも必要最小限で、他人の呼吸とか、苛立ちとかが気にならない場所。何より人に見られない場所。

そういうときに思い出される場所を作りたいし、思い出される人になりたいのです。

このエゴは小説を書きたいという気持ちと一致している。うまく言えないけどとにかく一致していて、僕なりの、人と繋がる意思がそこにある。

 

 

人と関わりたい気持ちと、関わりたくない気持ちが混在していて、自分でも何なんだろなと思います。

きっと僕が常に思っているのは以下の記事で書いたようなことだと思う。

全然注目されない小さなコミュニティで誰も知らない冒険をしよう

 

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