何度も言うようだけどまちづくりって競争じゃないと思うんだ。

何度も言うようだけどってほど言ってないしよく言ってるなあって認知もされてないだろうけど、まちづくりって競争じゃないと思う。

そもそも「まち」に関わる取り組みの呼び名はいろいろあって、まちづくり、地域おこし、地方創生、とか、そういう風に言われることがあると思うけど、現場にいる人間含め、それぞれの言葉の違いとか、自分やその地域の誰かさんが何をしているのか、自分の活動やあの人の活動が何に繋がっているのかっていう認識の部分には揺れ?があるように思う。

ほとんどの人間が、漠然と「地域のため、自分にできること」をやっているだけで、それが世間的になんと呼ばれるのか、どういう結果を導くのかは分かっていない、もしくは、自分が思う未来と世間が期待する未来に微妙なずれがある。そんな感じだと思う。

言葉の定義はどうでも良いと思うけど、僕がこのブログでいつも考えて、やっていることはまちづくりであって、地域おこしでも地方創生プロジェクトのなんちゃらでもない。

じゃあ僕にとってのまちづくりとは何なのかと言えば、きっと自分の部屋の模様替えをしたり、本棚の中身を入れ替えたり、新しい照明をつけたり、ここにソファがあったらなって考えたりする行為とほぼ一緒。

自分の部屋と自分の町では自由度に大きな違いはあるけれど、自分の居心地の良い空間ってどんなだろう?って考えているという点で似てる。

じゃあ地域おこしとか地方創生っていうのは僕にとって何なのかと言うと、仕事であり、プロジェクトであり、経済活動です。

売り上げや動員数と言ったもので評価され、失敗や成功があり、当たりはずれがある。そして勝った負けたがある。

僕が興味を持っているのはまちづくりだから、少なくとも競争ではありません。

活性とかにぎわいとかは心からどうでも良くて、評価軸は僕の満足度にのみある。

「まちづくりは競争じゃない」って僕は考えるけど、「まちづくりは競争ではないんですよ」って人に知ってもらいたいわけではないし、教えたいわけでもないです。

言葉の捉え方はそれぞれだから、僕が「まちづくりをしてます」みたいなことを言ったとき「なんとか盛り上げたいよね」「どこも大変だよね」「魅力はあるんだから絶対なんとかなるよね」って言われるのも別に気にしない。

ただ僕は、例えば自分の部屋を盛り上げたいとは思わないし、大変だと言われてもピンとこないし、魅力がどうこうも関係なく、単純に住み慣れていて、自分がすっぽり収まる「いつもの席」があって、壁にメモがぺたぺた貼ってある空間が好きなように町を想っていて。部屋に愛着があって、思い入れがあるように町を想っているだけ。

でも寒いとか、ベッドを新しくしたいとか、本棚増やさなきゃとか、床張り替えて―とかそういう欲望にキリはないから、「なんとかしたいなー」って考えてる程度のモチベーションで「まちづくり」なんて、言ってしてしまえば微妙に大仰な言葉を使っているだけ。

それってなんのため?と問われれば、まず第一に自分のためです。

そして万が一何かの理由で遊びに来た誰かのため。

そんで、何かの理由で遊びに来た誰かは、「お客様=顧客」ではなく、「お友達」であってほしいというのが大事なところです。んんカスタマーじゃなくてあくまでゲストって感じ。

「お客様とはお友達と接するように親しくなりたいと考えている」とか「フレンドリーな接客を」とかではなく、本当の意味で友達、友達ってのがちょっとグイグイでウザいってんならちょっとした知り合いくらいでも良いし、中学のときの同級生くらいの距離感でも良い。

綺麗ごとを言っているようだけど、まちづくりは自分の部屋いじる感覚でやっていきたいみたいなこと言ってるヤツの気持ちを考えてくれれば分かると思います。

お客様を相手にするって面倒くさいんです。しかも微妙に目的がズレちゃう。「お客様」を相手にしたら、僕が気持ち良い空間を目指すんじゃなくて、お客様満足度№1を目指しちゃう恐れがありますよね。

そういうのを目指す活動が好きならそれが良いと思うけど、僕の場合は違います。

個人的な視野で言えば、ぼくが興味ある「まちづくり」っていうのは決して競争じゃない。

競争じゃないって言うのは、何度言い直しても難しいんだけど、優劣や成功不成功を人に評価されないということ、かな?

ちょっと自分でもよく分からないんだけど、もっとはっきり言おうとすれば、移住者が増えたとか観光客が増えたとか税収アップとかそういう企業のプロジェクトや国策を見るかのような評価軸で「まちづくりに成功した町」とか言われることを目指さないということ。

あえて棘のある言い方をしてみよう。

もし、まちづくりが実質「金集めの方法を考えること」になってしまえば、来る人来る人お客さんになる。ある若者は移住者候補で、ある夫婦は毎年来てくれる上客になるかもしれない。

だからみんな大事にしなきゃいけない、だから魅力をアピールしなきゃいけないということになれば、やってることは会社と一緒だと思う。

例えば、地域の一つひとつがコンビニか何かみたいなもんだとしたら、どこか他の地域の取り組みが話題だ人気ということになればくそうその手があったかってなるだろう。うちも新商品作るぞみたいになるかも。

負けないぞ、アイディアを出せ、客を引っ張って来い、ブランディングだ、マーケティングだ、ブームに乗れ、発信しろ、拡散しろってそんな具合になるかも。てかなってるんじゃないの。

こういう状態が僕の言う「競争」で、そういうのには僕は興味ないですということです。

そういう取り組みが悪いって言うんじゃありません。むしろ良い。絶対誰かがそういう視点を持っているべきだと思う。てかこんなこと書いてる僕の中にもある。起業もした。

え?言ってることとやってること違くない?って思われるかもしれないし多少の矛盾は感じるかもしれないけど一旦置いといて欲しい。今度この辺は詳しく書く。

とにかく、だから、僕はそういう思考を否定しているワケではなく、それ一色になっちゃ嫌だし、くそつまんないということ。

地域の様々な価値が、地域に対する愛着や思い入れの数々が、単純な「市場価値」に収れんしてしまうのは、まるで社会に生きる僕たちみたいじゃないですか。

今度はちょっと社会的なとでも言えば良いのか、個人的な視野から離れて、社会的な視野で「まりづくり」を見てみたい。

僕ら一人ひとりの価値や魅力は、すべてに値がつくワケではありません。

そんなことはみんな分かってるけど、自分の「社会的な価値」というものは嫌でも突き付けられるから、みんなできれば「それ」を高めたいと思うに違いない。

親や身近な友達だけが知ってる自分だけの魅力では、社会を渡り歩くのは難しい。

親や友達がどれだけ褒めてくれたって、社会で価値のある人間になれるかどうかは別。ばあちゃんに「あんたは本当に優しい子だ良い子だ」って言われて育っても、満足な生活を送れるかどうかは分からない。

社会で無用ならば相手にされず惨めな思いをして、有用ならばちやほやされて、勝ち組だと認識する人は少ないにしても、「負けてはいない」、「脱落はしてない」程度の自負心は持てるかもしれない。

「まち」もそうじゃないだろうか。地元の人間にいくら愛されてたって、自分だけはこの地域の魅力を知ってるんだって言ったって、社会で生き残れるかどうかは別。

社会で生きるためには、勝つと言わないまでも、少なくとも「負けてない」、「脱落はしてない」と思える何かは欲しいって思うんじゃないか。

市場に認められなければ、誰かの役に立たなければ、誰かの心を掴まなければってそうやって考えて、あの手この手を尽くしても、思うようにいかなければそれは失敗なんだろうか。

失敗なんだろうか、と言えば、ほとんどの人は否定したくなると思う。だって失敗の方が多いんだもの。誰もが失敗して、一握りの成功者がいるのが社会の構造らしくて、勝ちが特別で、失敗が普通だから勝てなくても負けてなければ上々で、その構造が各地域という個人を離れたスケールでも適用されてる。

そんな参加意義の低いゲームは降りるという選択肢があっても良いはずだと僕は思う。

諦めるのではないし、甘んじて惨めさを受け入れるという訳でもない、潔く負けを認めると言っているのでもない。

だからってじゃあ何なんだって言われてもちょっと言葉にならなくて困ってしまうからアレなんだけど、戦い方とルールは自分で決めて良いんじゃないか、みたいなこと。

例えば僕にとっての「まちづくり」はお客さんを集めるためのものじゃなくて、友達に来てもらうためのものだってのもその一環みたいなものです。

友達が家に来て、「うおお前んちのソファめっちゃ座り心地良いじゃん!」って言われたら勝ちみたいな。そういうことってありますよね。密かに自信持ってる部分を褒められたらめっちゃ嬉しいみたいなこと。こだわった甲斐あるなあみたいな。

「しかもこの照明の柔らかい光で眠りへと誘われてしまうじゃん」とかって言われたら、お前ほんとよく分かってるね。この照明探すのにどれだけ苦労したか…って思えて、なんか、友達だ!って思う。

そういう関係を作るまちづくりがしたい。

僕には僕のこだわりがあって、自信を持ってるところがあって、僕基準の好きがある。自己満足の王国。僕という個性が居心地の良さマックスの場所。

そういう場所を居心地良く思う人がいたら、それはもうウェルカム。一人占めするもんでもなし、共感してもらえたら嬉しいし、力を合わせることでさらに磨きがかけられれば良い。

「おいこれでこの手が届くところに小さい保冷庫あって、その中にコーラあったら最高じゃない?」って言われたとき、お前がそういうなら、そうかもしれない、て心地よい場所づくりができたら楽しい。

自己満足が誰かの満足になって、満足の化身みたいな空間が生まれたら、僕のまちづくりは成功だと思う。

そんなことしてて生きていけるのかって話になるとまた長くなるから今度にするけど、僕らいい加減そういう風に生きていかなきゃならないと思う。

自己満足っていう価値の中で生きて、自分が定めたルールの中で生きて、他人や漠然とした社会に勝ち負けを決められるような環境を抜けだして、ここなら自分と戦えるんじゃないかって場所を作ったり、探したりすることができれば良い。

そしたらみんなが、勝ち負けで言ったらだけど、みんなが勝てる。失敗とか思い通りに行かないこともあろうが戦った時点で勝ちっていう綺麗ごと通りの人生になる。

自分たちの価値観とかルールとかアイデンティティとか、そういう、社会では一瞥もされないものを守るための場所に、各地域がなればすごいと思う。

だから僕にとってのまちづくりは競争じゃなくて、誰かの満足に呼応するための場所づくりです。

何度も言うようだけどまちづくりって競争じゃないと思うんだ。(完)

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