松本人志と言えばダウンタウンのあの松本人志で、この記事では主に松本人志の話をしたいのだけど、僕は松本人志もしくはダウンタウンの熱烈なファンだというわけではないです。
決して嫌いではないし面白いと思うけれど、ファンというのとは少し違う。
お笑い界の重鎮で、第一線で活躍していて、人気と実力を兼ね備えた存在だと思うけれど、僕はyoutubeでダウンタウンのネタを探して見たりはしないし、笑ってはいけないシリーズのDVDを借りたりもしない。
Amazonのプライムビデオで配信している「ドキュメンタル」があることも知っているけれど、あんまり見ない。トップページのスライダー部分にいつも載ってたので存在は知っていたけど、ずっとシカトしてた。
なんか、うまく伝わるか分からないけど、それくらいの存在です。
そんな僕なんだけど、最近松本人志の見る目が変わってきたのです。
ドキュメンタルを見た
ドキュメンタルを見ました。
シーズンが進むにつれて気になりだしはじめました。シーズン着実に重ねるくらい面白いのだろうか?なんて思って。
ファーストシーズンは酷かった。お笑い芸人の笑わせ合いというよりは中高生がふざけてるだけにしか見えなかった。「大学生が調子に乗ってるみたい」という印象よりなおひどい。
でも、これはまっちゃんのせいじゃないよなあ、と変にかばう僕がいました。
まっちゃんが望んでるのはこんな笑いじゃないぜって、ナニモノだよ僕はって感じなんだけど、もっとこう、笑いの化学反応というか、別の可能性みたいなのが生まれる仕組みを探してたんだよな、と思ったのです。
別のシーズンは評価を見てから再生しました。面白い回もあった、というかどの回も面白かったです。
松本人志はプレイヤーから離れつつある
松本人志はプレイヤーからコマンダー、もしくはファシリテーターになったんだなあって最近よく思います。
ファシリテーターというのは若干意味をはき違えてる感があるけど、他にもっと相応しい言葉があるのだろうか。
イメージとしてはコマンダーとかディレクターの方が強いし相応しい気がするんだけど、場を整えて、それぞれのプレイヤーの力を引き出すために苦心する人という意味ではファシリテーターというのがもっとも近いのかなと思い使ってみました。
ドキュメンタルにしても、最初は後輩芸人で遊んでるというか、本当に実験をしているように見えて、横暴な印象があったけれど、見方を変えれば、まっちゃんは「多様な笑いのスタイルを披露できる場」を作ってるんじゃないかと思ったのです。
『火星人の殺し方』という書籍があることを最近知りました。
大喜利の書籍版みたいなもので、お題に対して何人かの芸人が答えを披露し、それをまちゃんが監修して採用されたものが本になっているようです。
ああ、いろんな笑いの場を提供してるのだなと思うと、見る目が変わりました。『火星人の殺し方』のAmazonレビューは散々な言われようだったけど……。
「IPPONグランプリ」でもMCを務めているし、ずっと前から「すべらない話」のチェアマン的な位置にいる。
意外にそういう人って少ないなあ、とふと思ったわけです。
まっちゃんが作る場の中には、その枠組みの中でそれぞれ活躍できる芸人がいる。
ネタ見せでは不利だけど、フリースタイルならあいつがダントツで面白いぞとか、知能戦ならあいつが生きるぞ、みたいなのがあって、そのための場づくりを試行錯誤しながら実行しているという印象が強いのです。
色んな種類の笑いを生み出し、活躍の場を作る松本人志
どれもまっちゃんが主体的に作ってるかどうかは分からないんだけど、少なくともまっちゃんが色んな「おもろい」を見たい人なんだろうなとは感じるわけです。
「お笑い」と言えば「漫才」とか「コント」が基本だけど、テレビと掛け合わせると自ずと他の側面も出てくる。実際に芸人さんの活躍の場として、色んな側面があることが視聴者にも分かる。
テレビから離れて、舞台だったら、本だったら、Amazonビデオみたいな、視聴者が濃くなる場だったら、さらに可能性は広がる。
可能性が広がるということは、僕らは色んな面白さを見るチャンスだし、活躍する芸人さんが増えるということだとも思う。
それに、まっちゃんの構想の下で力試しみたいな側面もあるから、中堅芸人のレベルアップにも貢献してるんだなあと思うと、松本人志ってすごく偉い人なんじゃないかと思いました。
お笑いに対して愛情があるし、次に繋げたいという気持ちがあるからできることなんじゃないかって、ここ最近、好意的な印象がすごいわけです。
小説家が生きる場づくり
急に自分の話になるので我田引水な感じがするけれど、文芸の世界も、活躍の場が多様になれば良いなと思っています。
いや、次第に多様になってきてるんだけど、もっともっと可能性があると思う。
小説を披露するプラットフォームなどは増えているし盛り上がっていると思うけど、多様な場の一つとして「地域」と小説家の組み合わせを作ることができるのではないかと考えています。
ネットの中では誰でも簡単に小説家になれる。だけどもっとアナログで三次元の世界で「小説家という人間」が生きる場は作れないだろうかと思ってるのです。
小説家というアイデンティティを持つ人が活躍できる場はまだ作れるはず。
「ホラ話を本気で作る人がいる地域」というのが、見せ方によってまるごとコンテンツにまで昇華されて、これまでの観光とかとはちょっと違う側面から、まちに深みを、面白みを与えることができるのではないか。
僕がしたいまちづくりはそういう意味での「場づくり」で、松本人志の活躍が参考になるのではないかと思ってこの記事を書いてみました。
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