雪遊びの思い出

写真×エッセイ

冬になると、友達と雪遊びをしたことを思い出します。

雪遊びの思い出は深い。

それは北海道の大地に降り積もる雪の深さに匹敵するほどの厚みを持っている。

雪面に反射する太陽の光は容赦なく網膜を、それも下方から抉り、眩しくて仕方ないどころかあとでちょっと目がシバシバする。深く穴を掘れば印象的な青が奥から奥から染み出してきて、ハイトーンな静寂に包まれる。ふかふか雪のクッションは僕たちにあるアクションを強制する。イエス高所からのジャンプ。

屋根の上に上っちゃ飛び、上っちゃ飛び、今となっちゃ何が面白いのか分からないけどやたらめったら飛んだり落ちたりしたもの。

雪一つで僕たちは飽くまで遊び、霜焼けを経験しては、「かじかんだ手足はまず人肌で(尻が良いと僕は思う)あたためること」と言ったような教訓を学ぶ。

一年の半分ほどを雪と過ごす地域において、大人になるまでは雪は大事な友達である。

ただし、雪にまつわる思い出の数々の、根雪の如く脳裏に焼き付いている最大の理由、総積雪量の如く目を剥く深さを持つ理由はなんだろう。

それは雪との戯れが無駄に過酷であることだと思います。

 

 

ある日僕と友人はこんなことを思いつきました。

「丸作ろうぜ」

雪だるまではありません。僕らは「丸」を作りたかったのです。丸と言えば数人は誤解してしまうかもしれませんが、僕らが意志疎通を図るにはそれ以上の言葉は必要ありませんでした。

僕らが思い描いていたのは「完全なる球体」

それも直径1メートル程の大きさの「まん丸」です。

今はそんなこと無理だと分かります。完全な球を作るということは接地面積は限りなくゼロに近い、点であるということを意味します。

僕らにはどう頑張っても丸っこい台形しか作ることはできませんでした。

もちろん最初は完璧な球を創り出すことができると信じていましたが、どれだけバカな僕らでも作業後10分の時点で無理だということは分かりました。

球の下部のみならず上部でさえキレイな丸にはなりません。僕らが積み上げて固めた雪の固まりは次第に小さくなってしまいます。

雪を足しながら、一応の試行錯誤をします。僕らはひらめきました。

「真ん中に傘をさして、上から見てはみ出た部分をこう削っていけばキレイな丸になるんじゃないか」

傘を雪の固まりの中心にさしました。そもそも僕らには中心を知る術がありませんでした。また、傘の柄はJの形をしておりますので、何とか中心と思われるところに傘をさしたところで傘自体の重みによってJのカーブに沿って棒の方向へ、傾きます。

僕らはそれを見て見ぬフリをして、そもそも中心を捉えられていないことも無視して、片手で傘を抑えつつ、片手で雪の固まりを撫でるように削り、理想の丸を目指して作業を続けます。

見る角度によって「傘からはみ出てる部分」が違うことにも一瞬で気付きましたが、僕らはそんなことを続けたのです。少し前と同じように、雪の固まりは少しずつ小さくなっていきます。

 

 

僕らどちらも、無駄なことだと分かっていました。不可能なことだと分かっていました。大きすぎる望みでした。

球というのは素晴らしい技術によって作られるものなのだ、ということを僕らは学んだり学ばなかったりしました。

この日から、僕らの球崇拝の日々が始まったというのはまた別の話。

うそ。バカな僕らにそんな日々が始まる気配は微塵もなく、どちらも「もう止めようぜ」とも言えないまま約1時間半、球でもなければもはや台形でもないただの雪の固まりの周囲で足踏みをしながら、無暗に手袋を濡らしていたのです。

両手両足のつま先は冷たい。足先は特に冷たい。地面から伝わる冷気は脅威的です。足踏みをしていたのは完全な球を作るためではなく、足が冷たいから。感覚はないのに冷たさだけは骨まで染み込んで、痛みに近い感覚を味わい続けるのです。

手袋の手首の部分に雪が入り込む不快さを覚えていらっしゃるでしょうか。手首の熱で溶けた雪が内部から染みて、次第に中からぐちょぐちょになっていく。

不愉快極まりない遊びです。完成は望めず、達成感もなく、いたずらに手足を凍えさせながらも、さながらチキンレースのごとく、「無理だからやめようぜ」とも言えない。地獄の石積みの方がまだマシなんじゃねえのみたいな遊びに僕らは時間を費やしました。

 

雪の思い出は深い。

いいや深いというかもう言ってしまえば不快であります。

不快な思い出ばかりが根強く脳裏に焼き付いている。

だけど不快を共にした友達のことは嫌いになれないのだから不思議。

大人になって、雪はすっかり敵になってしまったけれど、それでも嫌いにはなれないのは不思議。

あの日はどうやって終わったんだったか。うろ覚えだけど、僕らはバカみたいに飛んだはず。そんな気がする。何しろあんなにバカみたいに、屋根に上っては飛び、上っては飛びして喜んでたんだから。

友達が代表して、物置の屋根に上り、歪な丸、いや漠然とした雪の塊の中心めがけて飛び降りた。垂直なドロップキックを受けた雪の塊は笑っちゃうくらい簡単に粉々になった。

雪遊びの思い出(完)

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