一途(いちず)の効用/僕らは他人の行動を変えることができない

インドア派のまちづくりで少し自分の性格に触れたんだけど、ついでに僕は一途だという話をしようと思います。

一途と言えば聞こえは良いかもしれませんが、言い換えれば「冒険をしない」ということです。

もちろん僕は好きでそうしてるのですが、傍から見ると詰まらない人間に見えるかもしれないです。

こんなの誰も興味がない話題だということはよっく分かっています。

しかし、僕らは他人にある種の一途さを求めてる。まちおこしとかまちづくりとかって考えるのであればなおさら、僕らは誰かにファンになって欲しいと思っていて、多くの選択肢の中から安定して選ばれる存在になりたいと考えてる、ハズ。

だから、こじつけ感は否めませんが、「一途さ」について考えるのは無駄じゃないと思います。

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僕はリピーター体質。同じものを食べる。

僕はあまり冒険をしません。

ラーメンはしょうゆ、ハンバーガーはテリヤキ、(ミスター)ドーナツはゴールデンチョコレート、ここのパンはオレンジパン。

それにしてもこのパン、全然食べてないんだよな最近。

お気に入りの地元のパン屋さん「パン工房 羊と雲と」のパンはデスクワーカーにぴったり

って記事を約1年前に書いたんだけど、地元と言っても隣町だし、週末限定ってこともあってなかなか…。

それはさておき、僕は冒険をしません。言っても食事なんで絶対これしか食べないよという程のこだわりではありませんが、基本的に僕は迷わずいつも同じメニューを頼みます。

食事以外では、例えば散歩コースを変えないとか、図書館ではいつも同じ席に座るとか、美容室も変えない、どころか髪型も変えない、同じ動画を何回も見ますし、本やネット上の記事に何度も読むものがあるしと言った感じで、僕の行動パターンは割とガチガチに決まっています。

こんな人別に珍しくも何ともないでしょう。

リピーター体質というだけですし、無難なものを選びがちなだけ。まだ見ぬ未来の無限の可能性などクソ食らえ!です。

思いがけない未来はありきたり

ここからは盛大な屁理屈が始まります。

まず思うのは、可能性は無限と言うのであれば、どこにいても同じだと言うことです。

どこで何をしていても、可能性は無限なのだから、僕が毎回同じように選ぶものの中にも、無限の可能性が広がっています。

可能性が無限なのは僕たちではなくて、僕たちの周りの世界の方です。

よく分かんないかもしれませんがフィーリングで理解してもらいたい。

僕らが思いがけないものを求めて、無限の可能性が広がる外の世界や新しい出来事、新たな出会いのことを考えたとき、そこに広がるのは思いがけない未来という、思いがけてしまう未来です。

僕らは思いがけないことは簡単に受け入れます。何が起こるか分からないというのは、とてもありきたりな未来だからです。

逆に僕たちにとっては、知れ切った未来の方が非現実的でエキサイティングです。だって夢に見たことが現実で起きたら怖いでしょう。デジャブを見ると変な感じがするでしょう。

僕らにとって、思いがけない未来の中にいることはすごく普通です。

それは相対的に、思いがける未来がごく限られたものであるということでもあります。

一途(いちず)の効用

毎回同じことをしていると、変化に気づくことができます。

味が変わったとか、家具の配置が変わったとか、大きさが変わったとか、人であれば言動が変わったとか、考え方が変わったとか、道であれば特に思うのは季節が変わったと気づきます。

これは、「いつもと同じである」という前提がなければいけません。

ベースとなる基本形がなければいけません。

大切なのは安定感であり、前提条件です。

しかし、既に言ったようにこれは屁理屈であって、別にいつも注意深く辺りを観察しているワケではないのですから、後付けの効用でしょう。

実際にはただ単に安定感を求めているのだろうし、冒険して失敗したくないんだろうし、社交性がないし引っ込み思案だし人見知りなので外に出るのがめっちゃ怖いのです。

もしくは、単純に新しい出来事が押し寄せてくると頭が疲れてしまうから、安定を求めているだけかもしれません。

「いつも同じ」、「安定感」ってこの上ない癒しです。

 活動的か非活動的かの差はあるけど、僕らの行動パターンが決まってるのは一緒

引っ込み思案で臆病で冒険を知らない僕は、保守的だと笑われても仕方ないでしょう。活動力がなく、ノリが悪く、怠けもので愚鈍なクソ野郎です。

しかし、そう思われるのは悔しいので、最後に、本質的にはみんな行動パターンなんて決まってるだろってことを書きます。

僕はたまたまインドアなタイプなので地味な行動パターンですが、そもそも人の行動パターンって決まっています。

無意識に安定を求め、好きなものは繰り返し、「いつもの」に憧れる。

安定して活動的な人もいれば、安定して非活動的な人もいる。

いずれにせよ、人間が自分の暮らしの中で思いがけないことをすることなんか、ほとんどありません。

どれだけ意識的に新しいものを取り入れようとしても、結局は主体的に自分の好きなものを選び、自分の思考パターンに当てはめ、自分の行動力の中で生活するので、どうしても一定の癖が表れます。

わだちの上を行くように、少々意識的に道を変えようと思っても、僕らはなぜか元の軌道に戻されてしまう。行動パターンを変えるのには、大変な時間と労力を要する。

世の中は思いがけないことで溢れているけれど、自分はそれほど思いがけないことをしないということです。

まちづくりはトンネルを掘る作業

こう考えると、僕ら一人ひとりには既に決まった形のレールというか、ある程度限定された形の道筋を持っていることが分かります。自分なりの道というか、交通ルートみたいなもの。

あらゆる可能性は無限だけど、対して人の行動は限定的で、既にある程度の筋道ができている。

まちづくりとかまちおこしなんかに興味があると、いつか見知らぬ誰かが「ここ」に訪れてくれるだろうと考えると思います。ここが魅力的であれば、人が来るだろうと。そういう劇的な未来を思い描いてしまう。

しかし、人の行動は常に地続きです。一足飛びにびゅーんと飛んでくるワケではないですし、わざわざ自分を曲げて行動する人は稀なはず。強制でもしない限り、人は自分の意志で思いがけないところになんて行かない。

僕らの町は誰かの通り道であるという意識が必要です。僕らには見えない道を通ってくるのです。それは言い換えればストーリーや文脈と言ったもの。

過去があり、今があり、そして未来がある。

それは全て繋がっているから、未来の可能性は無限大とは言え、過去と今が作ったレールから逸脱することは基本的にあり得ない。僕らは脈絡なく動かない。

だから僕らは脈絡を作らなければならない。

まるでトンネルを掘るように地道で泥臭い作業ですが、誰かの行動パターンの一部になるということはその人の人生の一部になるということですから、やる価値はあると思います。

誰かにとって決まりきった選択肢になること。そんな安定感や、いつもの感じ、を作るのが、珍しさや真新しさを作るよりずっと大事なんだと、僕の個人的に嗜好に照らし合わせて言えばですが、思います。

一途(いちず)の効用/僕らは他人の行動を変えることができない(完)

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