【鋼の錬金術師】キンブリーさんの中立性/中立キャラが物語を動かす

キンブリーさんについて記事を書こうと思います。

キンブリーさんとは『鋼の錬金術師』に出てくるキャラクターで、フルネームで言えばゾルフ・J・キンブリー。爆弾狂、「紅蓮の錬金術師」の異名を持つ、名脇役的なキャラクターです。

そもそもあまり『鋼の錬金術師』って知らないなという方は、このブログで以前書いた

人は優越感なしでは幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

を読むと少しは参考になるかもしれません。が、ここではストーリーを細かく追う訳ではないので作品を読むのが一番のおすすめ。27巻で完結なので漫画喫茶にでも行って一日で一気読みできないこともない量です(僕が読むの遅いので無理だけど)。

ここで話題としたいのは、『鋼の錬金術師』という物語のことではなく、あくまでキンブリーさんという脇役キャラの中立性と、そんな中立キャラが物語を何倍も面白くする役割を負ってるんじゃないかってこと。

ひいては、僕らの現実の人生にも物語的な要素があるのだと仮定すれば「中立な人間」という存在が物語を面白くするようになっていくのではないかという話です。

※記事内には作品のネタバレ要素を含みます

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キンブリーさんは敵?味方?

キンブリーさんは物語において敵キャラなのか、味方キャラなのかと問われると、どっちかよく分かりません。

実際「キンブリーさんは敵とか味方とかじゃねえんだよ!」って言うのが一般的な認識なのではないでしょうか。

とは言え初出の単行本4巻は拘置されているシーンからスタートで明らかに悪役ですし、外から聞こえる「爆発物で建物が崩れ落ちる音」を聞いて機嫌良くなっちゃうというマッドさを持っています。

幾度となく主人公であるエルリック兄弟の脅威になりますし、殺戮兵器として錬金術を使うことにもまったく躊躇しないところなんかを見ると、全然敵に回したくないけど絶対味方にもなりたくない人でもある。

誰にとっても敵であるし、誰にとっても敵じゃない。

もちろん逆も然りで、誰にとっても味方だし、誰にとっても味方じゃない。

そんな不思議なキャラクターで、僕も含めファンもさぞ多いんだろうなと思います。

キンブリーさんは美的感覚でしか動かない

キンブリーさんは敵でも味方でもないとすれば何なのかと言えば、キンブリーさんでしかありません。

キンブリーさんはご自分の美学に則って行動をするだけで、正義と言ったものには興味がないのです。

IMG_2889

鋼の錬金術師15巻より抜粋

いまいち美しくない…

仕事なのですから美しく!完璧に!!!

大絶叫を伴い

無慈悲に

圧倒的に!!!

鋼の錬金術師の世界では、かつて大量の国家錬金術師が兵器として罪もないイシュバールの民を殲滅するという紛争がありました。

その紛争の真っただ中で誰もが人道に背く行為に疲弊している中、一人だけ涼しい顔で任務を全うしたのがキンブリーさん。

誰もがこんな葛藤を抱える中 鋼の錬金術師15巻より抜粋

鋼の錬金術師15巻より抜粋

誰もがこんな葛藤を抱えますが、キンブリーさんは「仕事として割り切れませんか?」と云い放ちます。

鋼の錬金術師15巻より抜粋

そして残酷なことを。

キンブリー ホークアイ

鋼の錬金術師15巻より抜粋

相手を倒した時「当たった!よし!」と自分の腕前に自惚れ

仕事に達成感を感じる瞬間が少しでも無いと言い切れますか?狙撃手さん

人として最低だし、人間らしい心を持ち合わせていないのではないかと思いますが、キンブリーさんの意見は否定しきれないものでもあります。

美学とは「好き・嫌い」だ

美学に則って行動するということがどういうことかと言うと、それは正しさとか合理とか都合ではなく、単純に「好き・嫌い」で物事を判断するということ。

ご自分の仕事もその一つですが、キンブリーさんにとってその美学というものは生き様全体に当てはまりますし、他人に対して敬意を払う基準にもなります。

例えば、政府による理不尽極まりないイシュバール殲滅戦において、最後まで戦地でイシュバール人の治療に当たっていた医者夫婦に対して、キンブリーさんはこうです。

鋼の錬金術師15巻より抜粋

この人達は本分を貫き通したのですよ

私は意思を貫き通す人が好きです

残念ですね

生きているうちに顔を拝んでおきたかった

この夫婦は殲滅対象であるイシュバール人ではなく、むしろ殲滅する側の人種に属する人間ですが、医学の精神に則り、自分の命も顧みずに治療に当たりました。

その姿を偽善と罵るイシュバール人もいたし、当然付き合いきれず逃げた協力者もいますし、政府にはあからさまに迷惑がられています。

しかしキンブリーさんは医者としての本分を貫いたこの夫婦のことは素直に評価していることが分かります。(キンブリーさん政府の命令で夫婦を殺しに出向くとこなんですけどね)

ここでのキンブリーさんの言動は読者の気持ちを代弁するとまでは言いませんが、読者の気持ちに寄り添うものであることは間違いありません。

こういうところも、キンブリーさんっていい人なの?悪い人なの?っていう判断ができないポイントでしょう。

良くも悪くもないのです。キンブリーさんはただ自分の本分に従って動いているだけで、良し悪しを判断するのはそれぞれの立場によるのですから。

キンブリーさんは自分の本分(紅蓮の錬金術師としての能力)を全うするために一番適した場所を選ぶので、卑劣な政府の命令に従いもするし、エルリック兄弟の最大の敵であるホムンクルスの協力者としても行動します(だから物語上は敵の立場になる)。

中立の立場で物語の方向に影響を与える

詳しくは作品を読んでいただきたいのですが、キンブリーさん、最終話付近では重症を負い、協力していたホムンクルスの一人(プライド)に飲み込まれる形で生き続けることになります。

ウィキペディアに鋼の錬金術師の主要な登場人物という項目があったので、詳しく知りたい方はぜひキンブリーさんとホムンクルスについて参照してみてください。

で、ホムンクルス(プライド)の一部となっていたはずのキンブリーさんですが、このプライドが窮地に陥り、依代である肉体をエドワード(主人公)に変更しようとしたときには、内側からこれを制します。

キンブリー プライド

鋼の錬金術師26巻より抜粋

ええまあ あなたがそのまま戦っていれば何もしなかったのですがね

人造人間の矜持だのとのたまっておきながら自身に危機が訪れたとたんに下等生物と見下す人間の容れ物に逃げ込もうとする・・・

貴方 美しくない

もちろん、主人公のピンチに際してキンブリーさんが寝返り、正義を助けたワケではなく、あくまで彼は自分の美学に則り行動したまでです。

この状況で自分の本分を貫けていたのはどちらか。つまり、キンブリーさんの美学に適っていたのはどちらかと言えば、エドワード・エルリックだったということ。

ここでは結果的に主人公を助けたことになりますので味方のように見えますが、キンブリーさんの行動原理は一貫して「美学に則る」というものでした。

キンブリーさんの中立性/観察者・鑑賞者としての立場

キンブリーさんは敵でも味方でもありませんでした。

言うなれば完全なる中立です。

物事を良し悪しとか正誤で判断・評価するのではなく、自分なりの美学というどんな場面でも揺るがないものを軸にして動く。

中立であるが故に、悪いヤツと一緒にいるから敵、良いヤツを助けたから味方ということにはなりません。

都合とか損得とか合理とか情とか、そういう人間的で現実的で世俗的なものに影響されることなく、まるで自分自身を捨てているかのように生きているから、ひらりひらりと立場を変えることができるし、そもそも立つ場所が違うからこそ、肩入れした方にすごい力がかかる。

立つ場所が違うというのは、例えば天秤があるとして、僕ら一人ひとりが天秤のどちらかに配置されているとすれば、中立な人間というのは、天秤を眺める立場にいるのだと思います。

夏目漱石が至った境地「則天去私」は客観性を保ちフラットな思考をするための創作論

日和見主義なんて言うときっと重い方(マジョリティや優性)に飛び乗ろうとする人なんだろうけど、中立な観察者はそんなのどうでも良いから、好きな方に好きなだけ力を加えることができる。

創作における中立なキャラクターの価値

中立なキャラは一般的なキャラクターとは全く違う立場で動きます。

パワーバランスを天秤で例えるとすれば、中立なキャラはもともとどちらに置かれるでもなく、勘定に含まれない。

だからこそ、どちらかに肩入れすれば大逆転も可能な重さを持ったキャラになる。

もしかしたら、中立と言うからにはバランスを重んじるのかもしれません。

実際、キンブリーがいなければ主人公たちの旅は生ぬるくて詰まらなかっただろうし、キンブリーがいなければ主人公はあっけなく体を乗っ取られていたでしょう。

そういう「順当にいけば圧倒的な状況(先が見えている状況)」を打破するためのジョーカー的な役割として、中立なキャラクターというものは重宝するのでしょう。こういうキャラクターがいると物語は面白くなりますよね。

※参考までに、少ないけれど僕が思いつく限りの中立キャラクターをメモしておきます。(思いついたら増やしてく。いずれもキャラクターとして傑作だと思います)

『化物語』   忍野メメ
『るろうに剣心』比古清十郎
『相棒』    小野田官房長

現実の世界での中立。例えば政治に参加しない若者

キンブリーさんの話はこれくらいにして、また創作から離れ、現実に即して考えてみても、中立な人間とはどちらの立場にとっても脅威的な存在となるし、どちらの立場にも頼もしい存在となり得ます。

こう考えてみれば、実は中立で「自分」を持たない人間こそが物事の成り行きとか、物語の転換するタイミングを握っているのではないかと言うところに行きつきます。

「自分の意見を持たない」という個性が面白くする社会。/僕らが「普通」なのはなぜだろう

余談になるけど、例えば分かりやすいところで言えば政治。

今は若者の投票率が低いってことだけど、これって選挙のルール上、意見を持ってないってことですよね。政治的な土台において「自分を持ってない若者が多い」と言えると思います。

投票率の悪さってのは社会にとってはマイナスだし、政治に関心のない若者は問題視されるし、何も分かってないバカだと思われる。

しかし、冷静に考えれば考える程、「正しさなんて選びようがない」ということはありますよね。年を取るに連れて政治に関心を抱くようになるのは、年を取るにつれて守るべき立場とか生活とか家族とかっていう利害が増えるからっていうのはあると思います。

この辺りは今どうでも良いですが、しかし、この意見を持たない若者が急に全員投票することになれば、政治の在り方や政治家の在り方はガラッと変わることは間違いありませんよね。

これって意見を持たない中立な立場の人間が実はことの成り行きを握っているという好例になるのではないでしょうか。

問題は、政治が利害や都合や損得で評価・判断しなければならないものであること。つまり、政治参加=何らかの意見を持ち、当事者になり、天秤の片方に乗っかる1パーツとして、どっちの味方なのかはっきりして!という答えられない問いに無理やりにでも答えなきゃならないこと。

意見やポリシーではなく、それぞれの美学を選ぶようになれば、政治はもう少し参加しやすくなるかもしれませんよね。

しかしここで強調したいのは政治のことではなく、あくまで現実においても中立キャラは物事を面白くする可能性を秘めているということ。それどころか、支配的な立場にさえいるかもしれないということです。

【鋼の錬金術師】キンブリーさんの中立性/中立キャラが物語を動かす(完)

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