正解を自分で創る時代。/このブログは創造性を刺激する情報を発信できるだろうか。

これからは何でも自分達で作る社会になる。

それは単純にクリエイティビティが今よりもっとブームになるということだけではなく、自分たちの力で物事を解決する方法がより必要になっていくということだと思います。

なぜなら、これはもうずっと前から始まっていたことかもしれないけど、グローバル化に伴い国境とか人種の壁に意味がなくなってきて、こう生きるべきとか平均値とかいう指針が全く当てにならないってみんなが気付いているから。

それは情報社会の終わりとまではいかなくても大きな変化には違いなくて、意見は好みでしかなく、事実は幻想的なパッチワークであり、よって正しさなんてものは存在せず、未来は本当の意味で自分たちで選び、コツコツ作り上げていかなくてはならない社会です。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

問題を解決する創造力

創造社会というのは、単純にモノ作りがブームになる社会のことではなくて、必要なものを自分達の力で作り上げることができる社会ということだと思います。

というか単純なモノ作りにしたってそうですよね。

例えば、ここに手頃なイスが欲しいなと思ったとき、イメージにぴったりのものを探すのも良いですが、自分で作っても良い。

作った方が安いなら、作った方が早い。

そもそも、このイスが欲しいなというのは「問題」ですよね。プロブレムとまではいかなくても「ミッション」くらいのノリはあるでしょう。

イスをこさえることで解決することがあるのであれば、イスがあれば良い。今までは手頃なイスを探していたかもしれないけれど、これからはイスくらい作っちゃおうよという話です。

もうちょっとモノ作りっぽい話題から離れれば、例えば結婚式とかだって、何もホテルで何から何まで用意されなくても、自分達で用意できるものは自分達でアレンジしてっていう風にもできる。

実際こないだ出席した結婚式は、司会を新郎の友人がしていて、ああこういうのも全然アリだなって思ったし、考えてみれば披露宴とかだって別に家でしても良いですもんね。

人入るならだけど、神父さんだけ雇うとか、そういう絶対はずせない系はプロに任せ、あとは自分たちでってのも良い。

何も形式にこだわらなくても、結婚を誓うとか祝うという目的が達成されればオーケーさというならどこまでも柔軟になれる。

問題が解決できるコミュニティ

でも結婚式ってまだ「問題」っぽくないですね。

しつこく行きます。

例えば老人の孤独死が問題だったり、若者の雇用が足りなくて問題だったりしたとき、国がどうこうしてくれるって時代じゃもうなくて、てか国は国でやるんだけど、考えてみればそういうのって自分達の力で解決できるんじゃない?というのが創造社会でしょう。

別に年金とか保険とか介護システムとかなくてもさ、老人に寂しい思いをさせないとか独りで病気と闘う不安を取り除くって方法はあるでしょ。

若者の雇用ったって、働く場所がないのが問題なのか、十分な賃金が得られないのが問題なのか、希望する仕事がないのが問題なのかって入り組んでて、正直もう国がどうこうするレベルのことじゃない程繊細なことだと思う。

仕事して結婚して子供作って学校やってって、今までのいわゆる平凡な幸せを成し遂げようとしたらコストがかなりかかるから十分な賃金が稼げないのはキツイけど、共働きは珍しくないし、家にいながら稼ぐ方法もあるし、子供も「良い学校」なんていかなくても十分に学ぶ手段はある。

あれじゃあ別に世間で言うほどお金って必要なくない?何歳で何円以上稼いでないと人生詰んでるとかって発想が乏しい人だけの運命だよね。

老後?いつの話し?だからそれはそれで自分らで解決できるから良いんだって、別にいくら持って退職しなきゃいかんとかそういうのもう良いんだってって言えるのが創造社会でしょう。

問題があれば解決すれば良い。みんなの普遍的な問題ならみんなで解決すれば良い。

「コミュニティを創る」を考える

いやみんなって言うけどそりゃ理想的だけどみんながみんな協力的な訳じゃないし、町内会とか自治体とかってコミュニティにそんな力ないよ、それにみんなで頑張ろうって感じの雰囲気じゃないよ。

うんだからそのコミュニティも自分達で創ろうよという話。町内会とか自治体とかそういうのじゃないと示しがつかないとかってのは放っておいて。

気が合う人同士が自然に集まれる仕組みを作って、たまたまそこにいたから無理やり参加させられてる運命共同体なんかじゃなくて、自分から蜜に寄って行く蝶や蜂みたいに、あくまで自分の好みや自然なライフスタイルに溶け込んだとき近くにいる共同体。

そういうのがいくつかあれば、少しの調整で問題の規模に応じて更なる問題が解決できるようになる。

それぞれのコミュニティが健全なコミュニケーションをはかり問題を解決する能力を持つ、柔軟でいて強固な共同体であれば、大抵の問題は自分たちで解決できる。

そういうことができる場所は魅力的だから、自然に人が集まるようになる。創造社会に適応するってそういうことだと思う。

創造社会における情報

今までの情報の価値とは、いかに多くの人が触れられるかだったかもしれません。

例えばブログ記事にしても、価値のある情報って、多くの人の悩みを解決したり、多くの人を面白がらせたりってところが重要ですよね。

役に立つと思う人が多い記事ほど、価値のある記事となる。

これからもそこの部分は変わらないと思うけど、考えてみればこれだけたくさんの人がいて、価値観の多様化とかって言ってんだから、それぞれが抱える問題ってすごく個別具体的なもので、応用できませんってことばっかりのはずですよね。

そりゃ普遍的な部分は往々にしてあると思うし個別具体性と普遍性はいつも意識したいところだけど、やっぱり僕が人生で抱える問題は僕だけのものな訳で、基本的にその解決法は僕だけにしか適応されません。

だけどその方法を発信することでどこかの誰かが応用して、自分の問題に適用してくれるとすれば、普遍的なものとなり、価値のある情報だったことになる。

さあ何が言いたいんだって話ですが、言いたいのは「それぞれが正解を持っている」ということなのです。

それぞれが抱える問題はそれぞれが解決するしかなく、ヒントや前例を探して、応用できるところ、まるまる真似できるところを選んで自分だけの正解を作り出さなくちゃならない。

今までの情報は「正解を探す」のが目的だったかもしれないけれど、創造社会における情報とか「正解を創るため」の情報です。

だからこそ逆説的な話ですが、多くの人のための情報とするために、超個人的な問題を細かく細かく刻まなくてはならないとブログを書いていて思います。

うん、まあ書き終わってみれば特に真新しくもない考え方ですよね。そもそもブログブームはニッチな部分に手が届く感じとか、共感とか、その個別具体的なノウハウとか、他のメディアではなかなかカバーできないところを発信する個人メディアとして有益な部分が多い訳ですからね。

少し頑張って抵抗して、このブログにオリジナル性を加味するとすれば、「創る」ための情報と言うからには0から1を産み出すための情報、「人の創造性を刺激する」ための情報を発信すると良いんじゃないかな、ということで、これからしばらく「創造社会論」の勉強をしていきます。

正解を自分で創る時代。/このブログは創造性を刺激する情報を発信できるだろうか(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク