人間の材料からヒトを作れないのはなぜか。部分の総和は全体にならない。

文脈が大事だという話をしつこく書いていこうと思います。

まず、創造社会論(3回目)という講義中、松川昌平先生が仰っていたことですが、「部分の総和は全体にならない」ということを頭にいれておく必要があります

この部分は

点と丸を意識する文章を書く。/あらゆる思考は世界の一部で世界の全部

と重なるところがあると思います。個人的にはすごく触発されて面白かった。

このままでは全然意味が分からないと思いますから、僕なりに咀嚼したことを書いておきます。

これ人生のあらゆるところで応用できる重要なことな気がする。

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材料はそろってるのにできない

材料は揃ってる。でもうまくいかないことってある。

人生のあらゆる場面でこういうことは起きますよね。

材料は揃ってるのに全体で見るとなんか残念。

例えば僕がまっさきに思い浮かぶのは、『鋼の錬金術師』で語られていた疑問。

人間を構成する材料は分かっているけど、それを集めてこねくり合わせたところで「人間」にはならない。

錬金術と言えば料理ですね。

材料は間違いないし、分量もあってる。だけどなんか美味しくない。

こういうことがある。

こういう風に、なんか出来上がりをみると違うなーってとき、何が問題なんでしょうか。

繋ぐ何かの欠落

人間の材料を集めても人間は作れない。

レシピ通りに作っているのに料理がおいしくない。

完璧なデートプランを立ててその通りに実行しても告白は失敗する。

人生はおおむねうまく行ってるのにパッとしない。

町おこしっぽいことはやってるけど町起こらない(何を持って町おこしが達成できたとするかによってちがうけど)。

大きなことから小さなことまで、「部分の総和は全体にはならない」という現象を垣間見ることができます。

逆になんでそうなる?

きっと、繋ぐ何か、がないからだと思うのです。

繋ぐ何かってなんだ

「繋ぐ何か」って部分を解明できれば、建築だろうがコミュニティの形成だろうが人生だろうが、うまくいくんじゃないでしょうか。

 

例えば、すごいミステリー小説を書こうとして、でもやっぱり難しいから、それぞれ切り離して考えようとしたとします。

トリック、動機、登場人物、舞台、などなど。

それぞれは超面白そう。

よしこれで完璧だと思って、それぞれを辻褄の合うように組み合わせてみると、思ってたより面白くない。なんで!?となる。

なんでって、その登場人物がその舞台に辿り着き、ある動機を抱き、奇抜なトリックを実行する意味がないとそりゃ面白くないです。

この意味にあたる部分が繋ぎであり、この繋ぎというのはコンテクスト(文脈)と呼ばれるものだと思います。

繋ぎや文脈はいわゆる成り行きってヤツなんじゃないか

繋ぎとか文脈と言うと堅苦しい感じがするけど、僕はこれ、「成り行き」ってやつだと思うんです。

自然発生したものじゃなくて急ごしらえの文脈だと、どうしても最低限の100均で買ってきたジョイントみたいになって、繋がってるんだけど遠目に見るとまとまってないという感じになる。

成り行きと言うとそれはそれで頼りない感じがするし、漠然としてるんだけど、実はそんな捉えどころのないものが全体の核になってたりするんじゃないか。

そんなことを、今までの人生を考えても思います。

見えるんだか見えないんだか分からない。あるんだかどうかも分からない宇宙のダークマターみたいな存在。

もうそんなのないって言ってもいいんだけど、ないって言っちゃうと説明がつかないんだよなってことです。

で、その辺のダークマターみたいな繋ぎの部分こそが人間だからこそ生まれることで、人間同士の関係性の中に芽生えるんじゃないの?っていうことを創造文化論の井庭先生は言ってたと思います。

文脈が大事だとこれまでにも何回か書いてきましたが、その要素を繋ぐ文脈って意外につかみどころがないぞ、と。ただ理屈上辻褄が合ってたら良いって訳じゃないぞ。

長くなってきたから次回にまたいでもう少し考えます。

続き→目標を達成するには必要な要素を並べてもダメ。「無駄」が要素を繋ぎ、目的を達成する鍵となる。

さらに続き→形が先と言っても、とにかくやってみるとは違う。/毒舌キャラの作り方

人間の材料からヒトを作れないのはなぜか。部分の総和は全体にならない。(完)


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