全然注目されない小さなコミュニティで誰も知らない冒険をしよう。

人生は旅のようだというのは、それが出会いの連続であり、冒険に満ちていて、目的地があるからなのだと思います。

人生はゲームだと言われることがあるのもきっと同じような理由からでしょう。

ところで、ゲームの主人公たちってあんま誰にも注目されてないよなって思ったのですがどうでしょうか。

多くの場合ゲームの目的は世界を救うことだったりするのに、僕らが動かすキャラクターは基本どの町に行っても、どの村に行っても別に特別な注目を集める訳でもなく、関心を集める訳でもなく、おそらく動向を報道されることも、サポーターが追っかけてくる訳でもない。

仮に設定上は注目を集めていたとしても、外野が実際に冒険に関わってくることなんかほぼない。

もちろん特別扱いなんてありえない。普通に宿屋では金を取られるし、武器も支給じゃなくて自分で買わなきゃならないし、全滅したら「情けない」とか言われることだってある。

彼ら(とゲームをプレイする僕ら)にとっての重大事が、まるで当のあの世界の人間たちはどうでも良いことかのよう。

僕らが主人公だと思ってるあいつらは全然注目されないコミュニティです。

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僕らもゲームの主人公と同じ

僕らの人生もゲーム的なのだとしたら、誰にも注目されないものなのだし、注目されなくて良いのだと思う。

僕らそれぞれが最も重大だと思っていることが多くの人にとっては大したことではないのなんて考えてみれば当たり前で、実際に魔王とかが出るならともかく、この世のほとんどのことは他人事です。

誰もが自分は日々頑張ってますって思ってるし、超大事なことをしているかのように錯覚しているけど、実際は誰も本人ほどそれが大事なことだとは思っていない。

目の前のボスを倒すために血の滲むような努力を僕らは誰でもするんだけど、その他大勢の人にとってみれば、そもそもそんなのわざわざ倒す必要のないことだったりする。

何熱くなってんの?っていつ言われてもおかしくない。

自分だけは自分のことを主人公だったり勇者だったりヒーローだったりだと思ってるんだけど、他の人は誰一人そんな風に見てくれない。

みんながみんな自分のゲームをしていて、自分だけの目的を果たすため、別にしなくてもよい冒険をして、倒さなくても良い敵を倒して、自分だけが自分の成長を感じては、立派になった気でいる。

そんな主人公が腐るほどいる。

難易度を上げると楽になり、下げると辛くなる僕らの人生

こんなことを言うと感じ悪いかもしれないけど、僕らの人生は言ってしまえば自己満足の連続で、趣味のようなもんで、勝手にやってること。

人生はゲームだと言うのであればそう言い切っても問題はないでしょう。

だってゲームって究極面白いからやってるのだし、趣味ですもんね。

ただ堅実に生きていくだけなら、大きな野望とか障害とか成長とかと言った要素は必要ありません。そんなものない方が良いくらいです。

でも僕らの人生は野望やら目的意識やらを持って真剣にやればやるほど冒険とか障害とか出会いとかってのが増えてゲーム性が増していくのだから、その方が趣味的で、面白くなっていくということになる。

難易度を上げて生きるほどゲーム性っていう「遊びの要素」が増えていくなんて、これは奇妙な逆転現象です。

極端な概念同士は限りなく同じ意味になる/まちづくりの哲学

と重なるところがあるな。

「最も充実した人生はゲームのようだし、最も退屈なゲームは現実のよう」って感じで。

RPGのフルメンバー感について

僕はRPGゲームが好きです。

RPGのフルメンバー感が大好きなのです。

フルメンバー感っていうのは、「こんなに頼りになるのはこいつらしかいない」とか「こいつの代わりなんてどこにもいない」って思い込む感覚です。

一度仲間になったらそのキャラクターだけ世界から浮いて見えて、他のモブとは全然違う愛着が湧く。

この現象って現実の人間関係と同じで、誰でも自分の人間関係の中で、勝手に他人を自分の冒険に巻き込んだり、いつのまにか成り行きで巻き込まれたりしながら生きている。

大きな視野で見ればどこにでもいる人間なのに、自分の身近にいるというだけで特別になる。

全然誰にも注目されてない一人ひとりのコミュニティだけど、小さな世界だからこそ充実してるという感じ。

なんか、RPGで仲間が吐いて捨てる程いたらドラマとか生まれなそうですもんね。(あ!例えばサガシリーズは仲間にできるキャラ多い傾向にあるけど、少なくともパーティの数には制限があるから、選択肢が多いというだけで、無数に人間関係が広がる訳じゃない。おーあぶなかった)

必死に生きることが僕らの生存戦略?

小さなコミュニティで、誰にも注目されない目的を持って冒険するのって現代の生存戦略なのかもしれないと思います。

僕らの住む世の中は淡々と生きるにはあまりにもハード過ぎて、遊びの要素の一つでもなければやってられません。現実的に生きるほど人生は過酷になるって皮肉です。

誰でも、ゲームができる余裕がある人生と、ゲームもする余裕がない人生だったら前者を選ぶと思いますが、不思議なことに、僕らは毎日必死こいて頑張った方が楽しいし楽なのです。

「目的を持って毎日努力しろ、人生を充実させろ、夢を持て」というと暑苦しいかもしれないけど、実際、その方が楽だからそういうこと言う親とか先生とか友達がいるのかなと。

ゲームを勧めてくれるような気安さで、「ほんと悪いこと言わないから夢を持て」って言ってるのかなと最近では思います。

小さなコミュニティを目指せ、パーソナルな目的を持て

僕らはついつい、目的とか野望って言うと「世間一般にとっての」って置き換えてしまいがちなのではないでしょうか。

つまり、一般的に目的とか野望と呼べるもの、達成できたら褒められるようなこと、価値のあること、人のためになること。それこそ魔王を倒すみたいな。

でも人生はゲームだと言うなら、どうせ魔王倒すとかそういうレベルのこと言ったって誰も相手にしてくれないし、まあ頑張って、応援してるよと口では言うけど誰も武器なんてまけてくれないし、ピンチになったって誰も駆けつけてなんかくれない。

うわこれ大事だと思ってんの僕だけだったー!ってどうせ何したって気付くときが来るんだから、野望も目的も自分だけのスモールなもので構わない。

目的は小さくても、結果や道程は同じですもんね。

頑張れば頑張るほど障害が生まれるし、倒さなきゃいけない敵みたいなのが出てくるし、成長なんかしてしまうでしょう。良い仲間もできるかもしれない。

でもこの仲間って、世間的にはどうであれ、自分の冒険にとってのフルメンバーなら構わない。それで僕らの人生は充実できてしまうんだから、僕らは今、大勢の人にとって有益なことをしようとするよりはむしろ、積極的に小さなコミュニティを意識する必要がある。

小さく、注目されないコミュニティだから、価値観で繋がるのが大事

心を守るためのサバイバル環境で僕たちが形成すべき「コミュニティ」の形について

そして志と言えば大げさかもしれないけれど、そのコミュニティには価値観を同じくする仲間が必要。

だって少なくとも同じ奴を倒すべき魔王だと思ってないことには仲間になんてなれないから。え、そっち行くのお前っつって。あいつ全然魔王じゃねえよ、みたいな。

世間一般を相手にすると、共通する価値観なんて利害関係程度のものでしょう。

現実社会では「縁」とか「繋がり」とか「人脈」とかってさも生き抜く知恵かのように名刺交換とFacebookの申請だけして念のためみたいな人間関係を広げ続けるけど、その実お互いモブ扱いの村人A扱いで、味気ないことこの上ない。

実際に利害の一致があるから馬鹿にできないし、何にせよ出会わないことには仲間だって増えないのだから社交は必要なのだとは思うけど、RPGが好きな僕にとっては、いたずらに交友関係を広げるよりも、全然注目なんかされなくていいから、価値観の合う少数の仲間と冒険がしたい。

仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本

全然注目されない、小さなコミュニティで、誰も知らない冒険をしよう。(完)

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