アイディアが浮かばない/間違った制約

アイディアが浮かばない。

どこかで制約によってアイディアの質は高まるだか、アイディアを生み出すきっかけになるだかと読んだことがある。

ブログに書くことが尽きることは多分ないんだけど、金曜日のコンテンツである「旧佐藤医院」を利用した謎かけを作るという制約の中でものを考えると、「書くべきこと」が見つからない。逆立ちしても出てこないとはこのこと。

不思議だ。制約があり、考えるべきことが決まっていて、漠然と「考える」よりは「これを考える」の方が楽なはずなのに。

謎かけ自体にも自分の中でなんとなく決まってる制約があります。

ブログで読める程度のボリュームであること、写真を見せること(再現性があること)、架空でも殺人などの犯罪は犯さないようにすること、などなどあって難しいながらも、抜け道みたいなのがあるはずだと考えてきました。

そもそもなんでこんなことやってるのかというと、コミュニティスペースとして利用している「旧佐藤医院」の宣伝や紹介ということもあるんだけど、たぶんやってる感じ8割方は趣味で、なんとなく僕に必要な考え方だと思ったからやっています。

正直宣伝になんてならないしね。検索で(期待して)問題にたどり着く人は皆無だろうし、定期的に見てくれている人にとって面白いコンテンツにするためには何かが足りない気がする。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

アイデアを産む制約の捉え方

「アイディア 制約」で検索すると、以下のような記事がトップにありました。

アイデアを生み出す制約とアイデアを殺す制約

なんてこった。僕が課している制約はアイデアを殺す制約だったのか?と思いさっそく読みます。

雑にだけと都合よく本文太字のキーフレーズを抽出させてもらうと、

条件の「解釈の仕方」次第ではうまくいく場合とそうでない場合がある

のだそうです。

制約を制約として捉えていなければ、それは制約としては働かないし、逆にあれこれ余計なことまで制約として執着していれば、課題はどんどん複雑なものになる

これは制約に対する当事者の捉え方の話。

話を理解できているのかは不明ですが、今回の件で考えてみれば、僕はいろいろ自分で課した制約を「あれもできないしなあ、これもできないしなあ」という感じで捉えていたと思います。

数ある制約の中から、乗り越えると面白いアイデアにつながりそうな制約を選び出し、それを乗り越えるべき課題として参加者に提示する。

参加者というのはワークショップのということなので、この記事とは関わりません。

制約に対する姿勢、制約の捉え方。

僕はこれがいまいちだったので、アイデアを殺していたのではないか。ということは、制約を捉えなおすことでアイデアが生まれるのではないか。

そんな希望が湧いてまいりました。

では具体的にどうやって考えるか。

制約がどこにかかるのかは、一旦分けて考えよう

制約で以てアイデアを生み出すため、具体的にどうすれば良いか。

また都合よく、「アイデアを生み出す制約とアイデアを殺す制約」から太字部分を引用させていただきます。

革新的なアイデアを考えるためには、いったん実装上の制約はある程度無視して、これまでに無かったコンセプトのアイデアの候補を拡散的に生成していく段階をつくる必要がありそうです。

どういうこと?

若干難しいし引用だらけになってしまうので自分の話に引き寄せますが、たぶん概念的なレベルでの思考と、現実的なレベルでの思考を、同じ制約の中でいっしょくたに考えるのをやめた方が良いということでしょう。

「旧佐藤医院を利用して謎かけをする」という行為は課題で、それに伴って制約がありますが、なまじ現物の建物を利用しているもので、「無理がある発想」とか「物騒なこと考えるわけにいかない」とか、「3000字に収まらない」とかっていう現実的な都合に捉われすぎていた。

もしかしたら、「ありえねーだろそんなの」っていう理屈を、ブログ上だけででも再現できれば面白く見えるかもしれない。長くてもしっかりしたものなら問題ないかもしれない。

作り物ではあるし、画像とか文章が既にトリックだらけなんだけど、謎が成立してるみたいなことができるかもしれない。

それは多分作り込まれている分だけ面白い。

今ある制約をそのまま使うのではなく、固定観念の逆から考えてみることで、既存の制約の外側に新しい制約を再定義する

って大事だと書かれているのですが、僕の都合で解釈させてもらうとこんな感じです。

旧佐藤医院の謎かけコンセプト

僕が「旧佐藤医院」というコミュニティスペースの紹介に謎かけを選んだ初めの動機は、謎めいた何か(一種の不快)が魅力になることもあるかもしれない、という感覚からです。

僕のあまのじゃくなところなんだけど、「みんなで使えるコミュニティスペース」みたいな字面を見たとき、みんなが笑顔でワイワイしてる写真なんかを見て、うわいいなあ、僕もあそこのお仲間になりたいって思わない。

もしくは「いつもの仲間であそこ行こうぜ」ともなかなかならない。僕はね。

ほんと個人的な意見で無責任なこと言うけど、「旧佐藤医院」を利用する人にはこっそり忍び込んできてほしいって気持ちすらある。

わりと猫派なもので、どこかの隙間からするっと入って、こそっと落ち着く場所見つけて、おおいたのかいみたいな感じで親しんでくれたら良いなと思ってる。

言っちゃえば僕自身が謎かけを考えに行くとき完全にこっそり一人でごそごそしてる不審者ですからね。

だから僕と親和性のある人にとって、謎かけとかこっそり悪さみたいなことって魅力的に映るんじゃないかなと期待しているのです。

さて「コンセプト」の段階をそう考えると、もしかしたらまだ方法はあるかもしれない(全然思いついてないけど)。

来週(か再来週)からまた頑張ろう。

アイディアが浮かばない/間違った制約(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク