続・なにもない田舎には何がないのか/可能性がない

何もない田舎には何がないのか

(切実に)何もない田舎には何がないのか

はずっと昔に書いておいたのですが、最近になってまだないものがあったなと思ったので続編を書こうと思います。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

小さな可能性がない

可能性がないと言うと、学校(進学先)がないとかってのが思い浮かぶと思うしそういう話はよく聞くんだけど、僕は個人的には「本当に学びたいことがあるならどこにでも学ぶ手段と方法はある」と思っているので、あんまりそういう可能性がないことに対しては何とも思っていません。

そりゃ違いがあるのは何となく分かるし、精神論ではない部分もあると思うけど、「高度な学びを得たいと思ってて、でも環境が整ってないと学べない」というのはやっぱり短絡的すぎると思う、というか環境整ってたところで言うほど学ばないと思う。

この話は今あんまり関係ないから置いといて今度また分量が達せば記事にしようと思うけど、僕がここで言いたいのは、進路とか人生の選択肢よりもっと小さな選択肢です。

それは例えば、休日の昼間、よく晴れた日、予定はないけど無下にするにはもったいないと感じるような日、外で出て何かが起こる可能性、というようなものです。

で、何かが起こると言ってもそんな大袈裟なことではなくて、「なんか別になんも予定ないけど家にいてもしょうがないし、とりあえず外出てみるか。なんかあるっしょ」の「なんかあるっしょ」の部分。

ここで言う「なんか」は別にドラマチックなものでもなくて、休みを充実させるようなイベントでもなくて、あくまで「なんか」ね。

だって都会にいれば究極に暇な日ってとりあえず外出るってあると思うんですよ。

街に行けば何だかんだ欲しいものなくたって服見たり本見たりこんな店あるんや的な、何と言うか都会に紛れることが目的みたいなそんなことってあるでしょう。

田舎にはその可能性がない。

都会ならそんな何もない日のこと、「今日何してた?」って言われても、「ちょっと外ブラついてた」で話が住むと思うんだけど、田舎で同じこと言ったら「何してんの?」って嘲笑交じりで言われると思うんだよな。

コンビニみたいな可能性

もうちょっとネチっこくたとえ話をするとすれば、都会はコンビニ的です。

別に用はなくても待ち合わせ場所にしたり、暇つぶしで入ったりするでしょう。

ドライブ中、「ちょっとトイレ、コンビニ寄って良い?」って話になることってよくあると思うんだけど、「どうする?車にいる?」って聞かれたら多分50%くらいの割合で「あー行こうかな」とかって返答するんじゃないですか?

別に買うものは無くても一応コンビニ入って、やっぱり別に何も買わないこともあれば、へえ梅サイダーなんてあるんだーってつい買っちゃったりするじゃないですか。

でも別になんも予定はないけど「郵便局」とかって行かないじゃないですか。

「あ、ちょっと郵便局寄るけど、どうする?車で待ってる?」って会話なかなか聞かない。

仮にあったとしても「一応行っておこうかな」ってならない。

何が違うって選択肢の幅が違いますよね。

コンビニって別に行ったからって何か買わなきゃいけないってことでもないし、それこそ暇つぶしのために立ち読みだけって人とかトイレだけって人も結構いると思う。

だけど「郵便局」とか、あともっとライトなところで「メガネ屋さん」とか目的がないと足を運ばないところって、無駄に立ち寄ったりしないんです。

田舎がまさにそんな感じだと思う。

目的がないと立ち寄らない、でしょ?

小さな発見とか思わぬ出会いとか無茶言わないで

田舎になにもないとかって言うと、田舎にも探せば良いところがあるとか、普段まったく気にしてなかったところにも思わぬ発見があるものだとかって言うと思うのです。

もしくは発想の転換みたいのが求められたり。特に「町おこし」的には。

それはホントそうだと思うんだけど、それ郵便局とかメガネ屋で言われたら僕なら無茶言わないでよって思う。

ましてや休みの日、何となく暇が潰せれば良いような日に、挑戦とか発掘とかほんとメンドクサイ、と思う。僕はね。

そりゃこっちからちょっと勇気出して知らないお店入ったり、普段行かないところに行ったらそれなりに発見はあると思うけど、休みだし、言っちゃえば体力とか使いたくないんよ。

なんでちょっとドキドキしなきゃなんないんだよって思う。

メガネ屋もさ、今こんなにフレームたくさんあるんだとか、度が強いのに今の技術はすごくてここまで薄くできるんだとかって発見があったらそれなりに面白いですよね。

でも何度も言うようだけど休みだからね。受け身でいたい訳です。なんでこっちから面白さ探さなきゃいけないのってなんとも言えない気持ちになるんじゃないか。

なんも考えんとぼけーっと暮らしてるだけで何となく充実してる感じが良いのさ。

そんなしんどいことしなきゃならんのだったら家でテレビ見てるって。という話。

で、繰り返すけど田舎は言わばメガネ屋みたいな専門店で、無目的に立ち寄るような場所ではない訳です。

何かが起こる町

このあたりは個人的にだけどすごく慎重に考えていて、目的を満たすための町を作るのは一方では必要だけど、一方ではそこのところを徹底的に回避したいなという気持ちがあります。

何かが得られるとか達成できるって言うのは地域としてすごく良いことだと思うし、誰かを外から呼びよせるためには分かりやすい目的は必要なんだろうけど、それってただ生きてる人にとって面白いかなって。

ただ生きてる人ってトゲがある言い方かもしれないけど、言わば休日を過ごす人、くらいの意味。

なーんかねえかなってときに、とりあえず外出てみようかなって思えるかどうかです。

何かに参加するとか、挑戦するとかって体力を使わなくても、コンビニみたいにとりあえず行けば何かを得る可能性があって、別に何も得なくても何となく見てて楽しいみたいなものって長期的には必要なんじゃないか。

街に紛れるように、田舎にも紛れられるような装置とか仕掛けが必要なんじゃないかと思うのです。何と言うか、完全に観客みたいな。

田舎は参加か不参加の二択みたいなところがあります。

そういう意味でもいつかに書いた「できるまでを見せること」って概念が大事だと思っています。

それは積極的にできるまでの過程を見せ(魅せ)情報として与えるって方法を考えることが大事って話でもあるけど、なんか分かんないけどどこかで誰かが何かやってるみたいな空気とか気配を作ることが目的です。

そういう、「なにかあるって予感めいた可能性」を作ることを考えていきたいと思っています。

続・何もない田舎にはなにがないのか/可能性がない(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク