諸行無常と町づくり

まちづくりを考える

諸行無常という言葉は誰しもよく知っていると思うけれど、僕ら本当にその真理を理解していると言えるでしょうか。

何事も必ず変わっていくということを前提に受け入れて過ごすなんてことは大変難しく、良いことはずっとそのまま続くと思ってしまうし、盤石な安定を僕らは目指すように人生を設計しようとすると思う。

反対に、悪い状況に陥ればまるでそれですべておしまいかのように考えてしまうのも僕らの悪い癖かもしれません。悪い状況というのもやはり常ならず、必ず変化する。

状況が変わるより先に気持ちの方が早く変化するかもしれません。悪辣な環境にいつの間にか慣れてた、ということはよくあると思います。

何事も、いつもそうだということは在り得ない。物事は必ず変化して、その場に留まることはない。絶対に絶対に変わっていく。間違いなく変化する。良いも悪いもなく、ただ変わるものである。

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町も変わっていく

あるとき、町も変わるのだと強く思いました。

僕は大学時代札幌に住んでいましたが、帰ってくるたびに何かが減っていて、誰かがいなくなっている。

町に住む人にとってはごく当たり前の、自然な変化であることが、都会から帰ってくる身ではかなり大きな変化に見える。

当然、人口が減り続けていることも、誰それが商売を辞めるということも頭では理解できていたことです。過疎地域は時間が経てば経つほど衰退していくなんて、当たり前のことだと思っていました。

そんなことは分かっているのに、やはりいざ目の前にすると、いつの間にかすごく寂びれてしまったように見える。大きな変化に見えて、不安になったり寂しくなったりする。

さてここで気を付けたいのが、良し悪しを判断するのはあくまで僕だということです。個人的な価値観や都合と照らし合わせて物事を見たときに、「生まれ故郷の衰退」という事実を勝手に悪いことのように感じているだけ。

冷静に考えれば、地域が衰退しようが僕には大きな影響はありません。花が萎んでいくように、太陽が西に沈むように、当たり前に起こる変化の一様態です。

だから僕は衰退していく地域を何とか盛り上げたいというような気持ちはあまりありません。この田舎が持つ運命たる変化に抗うのだという心意気ではないのです。

寂しいのは事実だけど、残念だなあと思うだけです。寂しいし残念だから何とかしようと考えるのは、きっとかなりヒマになったときか、力が余ってるときでしょう。きっと多くの人にとって自分の故郷ってその程度のものだと思う。

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変化を評価するのは個人的な都合や価値観があるからである

僕がまちづくりを考えるのは、寂しいとかそういう気持ちとは少し違うような気がしています。

特に、実際に地元に住んでいれば、寂しさってあまり感じません。今にも死んでしまいそうな子犬を見守りながら暮らしているみたいな心境では全然ないのです。

過疎地域はそれなりに楽しい。普通にみんな元気に楽しく暮らしてる。だけど時間の流れには逆らえないというだけで、時間の経過と共に失われるものもあって、こういう地域ではそっちの方が目立つというだけ。

僕が何とかまちづくりに関わりたいと思うのは、変化の主導権を握れないのが嫌だからです。

変化するのは当たり前です。過疎地域であれば人口減少とか少子高齢化が極端になることもある程度自然。

その変化が悪だから、歯止めをかけて町を救いたいんだなんて思いません。そうなったら素晴らしいことかもしれないけれど、あまりそこをゴールに据える情熱はないです。

変化することは決まっているのだから

僕が関心を持つのは、「自分ひとりでも変化に関われる可能性がある」ということです。

小さい町、少ない人口、広い土地、よく知った生まれ故郷。

この環境で、僕は真っ白なキャンパスと絵筆を渡されたような心境になる。もしくは新品のノートとペンを独り占めするような感覚。

これは創造的な興奮であり、口ではいろいろ言うかもしれないし、いつも気持ちが一貫しているわけではないけれど、基本的に責任感や使命感みたいなものをもって「まちづくり」と言っているわけではありません。

僕は自分の想像力が及んだ領域を作るという変化に携わりたい。その良し悪しを判断するのは他人だろうけれど、僕は僕の満足する環境を作る。僕が見たい変化を僕が作る。

もちろん、完全に自分のことしか考えないというのも難しいものです。

少なくとも、たまにここに帰ってきた友達や、偶然ここを通りすがった人に、なんか面白そうだとか、なんか良さげだと思ってもらえるようになったら良いと思う。

僕が作り上げたい変化像を面白く思ってくれて、手伝ってくれる人が現れる日もあるかもしれない。

変化するということは決まっています。誰の力でもなく、世の中は変化するようにできている。

自分がコントロールできる変化なんてたかが知れているけれど、理想を描き、視線を据えて、一ミリずつでも現実を動かす努力をすれば、きっとかなりの精度で狙い定めたところだけは僕が望む変化を見せると思う。

 

諸行無常と町づくり(完)

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