面白ハンターを町に呼んでみた

どうやって、ここまで来たの

譲っていただいた空き家に、『面白ハンター』を運営していらっしゃる山本哲さんを招いて、少しの間住んでみてもらうことにしました。

偶然目にしたこの記事↓を読んで連絡したのがきっかけです。

 

新卒入社5ヶ月で会社を退職、独立します。

 

一月毎に移住しながら記事を書き書き生活していきたい山本さん、この家で普通に生活したらどれくらいの生活費がかかるのかなーって考えてた僕。これはお互いに利害が一致する状況なのではないか。

意外に「試しに一か月くらい住んでみてよ」って言って、すぐにいいよって言う人なんかいないんですよね。山本さんのように身軽で、信用に足る人を見つけるのはなかな難しいものです。

もちろん山本さんが信用に足る人物かどうかなんて分かんないんだけど、『面白ハンター』の記事を一つでも読めば、少なくとも悪い人じゃないだろうということは誰にでも、何となく、分かると思います。だから連絡しました。

僕の家の正面に面白ハンターが住んでる。

不思議な感じです。

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人の気配があるっていいなあ

僕の町は人口が1500人もいないので、夜ともなれば町がまるごとひっそりします。人気のなさを痛感する。僕はその空気も嫌いではないんだけど、やはりふとしたときに寂しく感じることもあります。

僕の家は一応目抜き通りに面しているのに、シャッターが閉まりっぱなしになっているお店が並び、ところどころ明かりがつかない家がある。

我が家の目の前にある一軒家も、そんな家の一つでした。

ところが山本さんが住んでくれていることで、例えば僕が夜散歩に出かけるとき、家に明かりが灯り、誰か(っていうか山本さん)が生活している気配がする。

おおやっぱ良いなあ、と思う。

正直お向かいは立派な家なのにずっと暗くて、何となく怖く感じてたんですよね。

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住んでもらってどうするの?

山本さんに住んでもらっている理由と目的は、冒頭でも書いたけれど、ざっくり人が一人生活するのにどれくらいのお金がかかるのか?を知ることです。

じゃあなんでそんなこと知りたいのかと言えば、今後この家をゲストハウスとして活用していきたいと考えているから。

「お客さん」とか「旅人」という属性の人たちよりは、小説の執筆してる人とか、論文を仕上げたい人とか、めっちゃ絵の練習をしたい人とかが引きこもれる環境を作ってあげられるような、創作者の役に立つ場所にしたいなと今は考えています。

消費者より創作者の役に立ちたい

クリエイターが集まるような、と言っても良いんだけど、IT系よりはもっと文化系に寄った人たちをイメージ中。ニュアンスの問題であって明確に分けている訳ではありませんが。

それは単純に僕がどちらかと言うとそういう人間で、小説書いたり読んだり映画見たりしてだるっだるに暮らすのが楽しい人間なので、そういう人たちをイメージしやすいというだけ。

「新しい価値を創造します」というよりはもっと控えめな、「価値そのものを見つめるのが好きな人」がときたま訪れて、価値そのものになってくれるような空間(お向かいの電気がついてて嬉しいみたいな価値)の実現を夢見ています。

文明的な創造よりは、文化的な営みの方が僕には魅力的なのです。

塚田、民泊はじめました。まだサイトができていないので基本情報を

 

民泊をはじめるにあたって家の名前を考えました/「随」

今日も山本が面白い

今回は山本さんにライターとしての依頼をしたわけではありませんし、この町の魅力を発信して欲しいとか、面白いところを探してほしいと思っている訳ではありません。(ゲストハウスオープン時には改めて依頼させてもらいたいと考えていますけど…)

とは言え決して町をPRするようなことを書いて欲しくないと言っているわけではありませんし、ブロガーを捕まえてPR不要みたいな言い草は失礼かもしれないとも思いました。

山本さんはライターなので、思ったことや感じたことがあればどんどん書くのだろうと思うのですが、それは万人に向けた町の良さや魅力を伝えるためではなく、もし書くのであれば山本さんの価値や魅力をファンに伝えるために書いて欲しいと思う。

なんかこれはこれでお節介な物言いだけど、本当にそう思う。

「面白そうな町だ」ではなく、「今日も山本が面白い」と思われるようなこと。

僕の町での生活がそんな材料になればうれしいし、町の機能としてそういう種類の価値が育まれる土台である方がうれしい。

これはちょっと何言ってるか分かりにくいかもしれませんね。

僕は、「まちづくり」について考えたとき、切り売りできる価値を多く持つ町ではなく、ここに訪れた人が「自分」とか、「自分の人生」に価値を見出せるような、価値を深めていけるような、そんな町になったら良いなと考えているのです。

そこで得た価値は自分だけのもので、なかなか伝わらないもので、もちろん履歴書に載るようなものでも、ましてや人に自慢できるものでもなく、特別な質感がある。そういうものを生み出せてこそ、後々、訪れた人にとっての大切な町の一つになれるのだと思うから。

やはり分かりにくいかもしれませんし、わりと感覚的な話なのですが、僕の中ではけっこう大事に慎重に考えている部分です。

誰かの個性にぴったりの町

僕は自分の町が、万人にとって良い町である必要も、魅力的である必要もないと思っていますし、そこで得られる価値が理解可能なものである必要もないと考えていますが、誰かにとってぴったりの町である必要はあると思うのです。

僕にとって「町」は「人」と同じです。

誰にとっても魅力的で良い人間である必要はありません。社会ではしばしばそういう人間像を求められますが、実際の人間関係においては相性がありますし、その人の短所がどうしようもなく好きになることもある。

町はお客様を相手にする「会社」ではなく、あくまで人間の住む「場所」だから、漠然とした社会のみんなにとって良いところである必要も、魅力的である必要もないのです。それを目指せば、なんかサービス団体みたいになってしまう。

ここはどこかの誰かにとって無性にしっくり落ち着く場所で、説明はできないけど好きな場所で、誰にも伝わらないけど魅力的な場所である必要がある。

それは個性として目に見えるところであったり、雰囲気として語られるところだったりするでしょう。とにかく伝えるのはすごく難しいところだと思います。好きな人の、どこが好きかを語るようなもので、多くは他人に理解されませんし、伝わる部分は高が知れている。

だけど同時に、語る意味があるとすればそういう伝わらない部分にこそあるのかもしれないと僕は個人的に思います。何を語りたいと思うかこそが個性だと思うし、(少なくとも僕にとっての)文章を書く意味でもあるし、伝えきれない部分に同調してくれる誰かに会いたいから。

ここは絶対に誰かの個性や雰囲気とぴったり合う町です。なぜなら個性がある町で、独特の雰囲気がある町だからです。しかしそれを認めるのは社会ではなく、あくまで人の個性であり、生まれ持ったその人の雰囲気であると思う。

今、山本さんという個性がこの町にいる。自由に暮らしてもらっている。

山本さんの個性に少しでもフィットする何かがこの町にあれば嬉しいし、仮に何もなかったとしても、お向かいの家が明るいだけで僕にとっては大きな価値がある。

山本さん、僕の町に来てくれてありがとう!

11月2日追記

山本さんが士別に来て書いた記事

さよなら士別!1か月の滞在の様子を一気にまとめます

 

これは僕の記事

面白ハンターが去って、今思っていること

 

面白ハンターを町に呼んでみた(完)

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