『戦争中の暮しの記録』/王道のエピソードと地方感のあるエピソード

水曜は昭和10年代の自分の故郷に興味を持った僕が、資料や人に聞いた話などから当時の研究をして、それを小説作品に仕上げるまでをコンテンツにする日です。

自分の町を主題にした勉強・取材・創作って、故郷でできる贅沢の一つだと思う。

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『戦争中の暮しの記録』は買う資料

さて今日はちょっと資料の話から。

図書館で何度か借りてた『戦争中の暮しの記録』が求めていたものにとても近く、かつちょっと読むのに時間がかかりそうなので買いました。

戦争中の暮しの記録―保存版

本来資料ってずっと手元にあった方が良いんですよね。

借り物の書物では限界がある。

だってとりあえず一読すればあの情報はあそこにあったなとか、あの本にはこういうことが書いてあったなということは分かるけれども、いつも手元にないと探してない情報を頭に入れるという作業ができません。

何気なく読んで、何気なくその日の自分の目に留まった情報が、最後まで残るということはあるでしょう。

これは多分大事なところで、普通の人が探そうそして見つかる情報なんて頭の中の焼き写しにすぎず、それ以上の、つまり自分の頭を越えた創造的な知的活動にはなかなか至らない。物事を知るという行為においては、予定通りではいけないのだと思います。

だからまずは全部読む、全部聞く、そして一塊の大きな粘土みたいなものを作ってから、おもむろに彫刻にしていくという作業が、多分何かを書くという創造行為なのかなと思います。

そして何を残すのかって、そのときになってみなきゃ分からないものなのかなと、何となくだけど感じています。

『戦争中の暮しの記録』は絵になるエピソードがいっぱい

さて『戦争中の暮しの記録』の話。

どこの図書館にもあるんじゃないかなと思う本だけど、見た目よりボリュームがあって嬉しくなっちゃう本です。

一番初めは最初の方をパラパラと見て、写真資料が多かったもんだから後回しにしてたんだけど、改めてちゃんと見ると写真が乗ってるのは最初だけで、あとは文字だらけでした。

様々な戦争体験の手記が乗っていて、これだけ読めば軍人や戦争の記録ではなく、「戦争中の暮し」が確かにはっきりと思い浮かべられそうです。

ただし、いつかも書いたけど、いわばこうして残っている手記は言わば残す価値のある資料です。

絵になる文章という感じ。

これはずっと頭の中にある仮説なんだけど、僕が住むこの辺り、北海道の内陸も内陸のこの辺りでは、戦争体験と言っても何となく中心感の乏しいものなんじゃないかと思ってます。

これを言うと怒られるかもしれないけど。

時代の主流の蚊帳の外

例えば学校祭とかを例に出せば分かるかもしれません。

学生の頃の学校祭のこととか思い出してもらうと、あのときは確かに学校祭ムードだったとは思うはず。校内全部がお祭り騒ぎで、楽しいものだったと。

それで、もっと具体的な思い出をと言うと、誰それが買い出しの途中で事故って大変だったとか、作業が間に合わなくて徹夜で衣装縫ったとか、補導されそうになったとか、そういう苦労話みたいなのが出てくると思うんです。それで当時の中心にいた、学校祭を盛り上げていたメンバーはそういう思い出に花を咲かすこともできるだろう。

だけど例えば僕みたいなリア充じゃない地方住み野球部野郎だと、学校祭ってあったにはあったけど野球の方が大事だったし、クラス対抗なんちゃら合戦とか迷惑以外の何物でもなかったし、後夜祭のときの打ち上げ花火だってグラウンドに散ったゴミ明日片づけんの野球部なんだぞ馬鹿野郎とか思いながら見てて全然はしゃげなかったみたいな記憶が勝る。

これはこれで良い思い出なのかもしれないけど、決してマジョリティな思い出ではないから、後には残らないんですよね。

何となく蚊帳の外みたいな位置にいて、大きなイベントを外側から眺めてる感じ。

これと一緒にしていいのかっていうとダメなのかもしれないけど、戦争だって中心にいてもっとも苦労した人たちとは別に、何となく地方感のある視点みたいなのがあったはず。

その方が自然だと思う。あちらさんはなんか大変そうだねみたいな。こっちはこっちで大変だけどねみたいな。

戦争と地方感

『戦争中の暮しの記録』は言わば王道のエピソードが満載されている本なのだと思う。

読んでいて、これ以上があるはず、この王道から外れるエピソードがあるはずだと思えてならない。

僕が言う地方感はどういうものなのかと言うと、例えば当時は「千人針」というものがありました。『戦争中の暮しの記録』から説明を引用します

千人針はその名の如く、千人の人が一針ずつ結び目を作って、武勇長久を願い、出征する兵に送るものだが、寅年生まれの人に限って、年の数だけ結ぶことができた。「虎は千里行って千里帰る」といって、縁起がいいとされていた。

「これって本当にやってたの?」といつか祖母に聞いてみた。

「あったはあったけど、田舎なんて千人もそこらに人いないからみんな何針も縫ってた。都会なら順番にできただろうけどね」

だって。

僕こういうとこに地方感を感じるんだけどどうだろう。

ほんとこんな言い方をすべきではないかもしれないけど、イベント事がイマイチ遂行できないみたいなとこ。

クリスマスとか節分とかハロウィンとか、都会に住んでたら嫌でもそのムード一色で七面鳥焼いたりコスプレしたりしてもなんとなく様になるけど、同じこと田舎でしようとしたら若干無理してる感じになっちゃうみたいな、そういうことがあると思うんだよな。

グローバルとか言ってる今だってそういう中心からズレてる感覚あるんだから、当時はもっとあっただろって思うのです。いや地方も都市も関係なかったよというのが事実かもしれないけど。

でも、何が本当のところかは分からないけど、そういう微妙なギャップがあればもっと知りたい。田舎の、ただ田舎ってだけじゃなくて、微妙に中心にいない感じをひろっていきたい。

『戦争中の暮しの記録』/王道のエピソードと地方感のあるエピソード(完)

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