価値観を守る準備をする人々/田舎は価値観で繋がったコミュニティを作る場所?

よく「お金をもらうんだからちゃんとやろう!」とか、「仕事なんだから四の五の言わない!」と言った具合に、本来僕たちが持つ怠慢さや、無気力さ、そして無関心さと言ったものを乗り越える、もしくは窘めるための方便として、「お金」や「仕事」が使われることはありますよね。

「僕たちはお金をもらう立場なんだから、そういう自覚を持ってやろうね」とか、ちょっとひねりが入るけど「遊びでやってんじゃないんだよ」みたいな言い方をされるとき、やっぱり無条件で「ちゃんとしなきゃな」って思うし、自分の怠けたい気持ちとかを殺さなきゃなという感覚になる。

でもよく考えたらちょっとよく意味わかんないですよね。

「お金をもらう」ことがいつも真剣に物事に当たる理由になるとは限らないし、「仕事」は何を置いてもまず優先すべきことな訳ではない。

でも「お金をもらうこと=仕事」と言って良いと思うんだけど、一般的これは何よりも重要だという価値観、少なくとも、そういう価値観を最も優先すべきだという認識が僕たちには根付いているのではないでしょうか。

それはもちろん健全なことだとは思うんだけど、実際「○○だからちゃんとやる」、「○○だからこうすべき」という事柄は、人によって違うよなと思うのです。

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常識とは社会の価値観です

例えば、「映画見てんだから話しかけんなよ!」みたいなことを言われたら、きょとんとしてしまう人もいるでしょう。

なんで映画見る=話しかけちゃダメになるの?みたいな。

ものすごい飛躍を感じる、という。

当然これは、「意味わかんないね」って思う人もいれば、「いや映画見てるとき話しかけられたら普通腹立つじゃん」って思う人もいるでしょう。

この辺りが価値観の違いってヤツで、つまり、「お金もらうんだからちゃんとやる」というのもただの価値観のひとつでしかないんだけど、社会でそれが根付いているということは、それは僕らの社会の価値観なのです。

社会の価値観の前では、個人の価値観は(規模の違いで)いつも劣るから、みんな自然に「仕事」=「一番真剣にするもの」という、よく考えたら飛躍してる理屈を受け入れてしまっている。

そういう社会の価値観のことを常識とかって言うのかもしれないけれど、小さなコミュニティを作り生き残るためには、この常識を乗り越える準備が必要なのかもしれないなと、漠然とですが考えています。

映画を中心に生きるコミュニティ

僕らにとって、お金や仕事よりも大事なことっていくらでもあると思います。

つまり、お金をもらうことをいつも一番ちゃんとやるかっていうと違うだろうし、仕事だからって最優先かというとそういう訳ではないということ。

例えば別にお金もらえなくたって一日釣りばっかしてる人もいるだろうし、本をずーっと読んでたいって人もいるでしょう。お金とか関係なく多くの人に自分の歌を聞いてもらえることに喜びを感じる人もいるはず。

趣味のために仕事をしてるという人だっているんだから、そんなのわざわざ改めて言うまでもありません。

でもやっぱり僕らの中には、仕事ありきの趣味だって認識があるでしょう。まず食ってかないことには好きなことなんかできねえだろっていう。

それは常識だし事実です。

でも、仮に、例えば、「映画を見ることを中心にした生活をしたい人が集まったコミュニティ」があったとしたら、この常識は乗り越えられるのかもしれないなと思うのです。

常識にたいして挑発的なコミュニティ

これは極端な話だと分かってるけど、極端に考えなきゃ分かりにくいですからね。

例えば「映画を見ることを中心に暮らすことに幸せを感じる10人」が集まったとしたら、「食っていく」ことはそんなに難しいか?と考えてみる。一人で映画三昧はしんどいかもしれないけれど、10人一緒だったらいけるんじゃないか?

人並みに働かなきゃなーとか一応考えるけど、そんなにやる気出ない。一日8時間働くならその間に映画4本くらい見れる。無理無理、働くことに時間あてるなんてもったいない。そこで、その「人並みに働かなきゃ」って本当か?って考える。

10人いるんだから、畑で食べ物作れば良いんじゃない?だって食えれば良いんでしょ?って。

いやいやいや「食ってく」ってのはそういうことじゃなくて、「世間並に生活できて、ちゃんと結婚して、子ども作ってってことができるって意味だよ?」って言われるかもしれません。そんなの常識だよ、って。

そこできょとん、としてみるのです。

「それは常識かもしれないけれど、我々の価値観には合いませんね」ってちょっとムカつく顔で言ってみる。

それぞれの常識と価値観

映画を見ることが中心の生活に幸せを感じるコミュニティにとって、人並みに生活することに大した意味はありません。

だって、本当に映画が中心だったら以下のような思考になるからです。

結婚しないと見れない映画なんてあるの?子どもがいると集中して映画見られないかもなあ。人並みの生活って、みんな週にどれくらい映画見てるんだろう。え?月に1,2本!?それで良く生きていけるね。

そんな風に考えてもおかしくないでしょう。もちろん極論だけど、そのコミュニティのメンバーにとってはそっちの方が常識。え、映画って最低月30本でしょ?って。

いやいや月30本って、そんなに見るお金どこから来るのさ。

んーこれはあくまで例えだからアレだけど、でも昨今はhuluとかの動画配信サイトが充実してますからね。月1000円で見放題。デバイスを共有するとして、10人で割れば一人月100円。絶対映画館で見なきゃ!って言うなら制約はあるかもしれないけど、「映画が中心の生活」にそれほどお金はかからないです今日び。

でも、細かく疑問をあげつらうなら、10人もいるんだからいい映画見ていい雰囲気になって何となく意識してしまってカップルになった二人がいてもおかしくないですよね。自分たちの常識とか言ってられない「一般的な出来事」が起こる。

そして、いつの間にか子どもできて結婚することになりましたってことになるかもしれない。

でも、それこそみんなで力を合わせれば子供の一人や二人なら育てられるのではないかなと思います。

それで本当に人並みに育てられるの?って言う疑問はあると思うけど、このコミュニティにとって、やっぱり人並みに育てる意味なんかそれほどないでしょう。

人並みって言うのは、例えば当たり前に大学まで通わせるとか、いつの時代も人並み以上の教育でなければそれほど価値はないでしょう。それならば生まれたときから映画という分野の英才教育が受けられる環境を羨ましく思う人もいるのではないでしょうか。

映画と言っても関わり方は多岐に渡りますから、「それしか分からない人」にはならないだろうし。

田舎はコミュニティを守るのに適している

さて実際にそういうコミュニティを作るとしたら、それに適したのが田舎なんだと思います。

社会の常識から遠ざかるということはある程度のセーフティネットを自分たちで確保しなければなりませんからね。

例えば畑で野菜でも作るかって言ったって都会のどこで畑するのかって話だし、大勢で暮らせる家(しかも家賃が安い家)も都会ではそもそも見つかりにくい。

田舎に行けばこの畑使って良いよってところが簡単に見つかったり、おっきな家が空き家になってたりして、すごい低価格で大勢が住める可能性が比較的高い。

今は何となく移住ブームになってると思うけど、それは裏返してみれば、というか逆算的に考えて行けば、ある特定の人々がこれまで話してきたような「自分たちの価値観を守るため」の手段を求めているからこそ、田舎への需要が高まってきているのではないか。それがどんな価値観なのかは分からないけどね。

仲間で固まりやすく、生活コストがかからず、良い意味で文明から隔絶されている。自分たちで協力して、自分たちの小さな世界を守ることができる。

ただ漠然と田舎って良いよねー、素朴でー、空気おいしくて―って言ってる訳じゃないだろうそういう人たちは。

地域が発信すべきは価値ではなく価値観

いやそういうことも既に改めて語るほどのことではないようですが、どちらかというと田舎の方にその認識が足りない地域が多いのかもしれないなと思います。

田舎の魅力に溢れた生活を求めてやってくるのではなく、自分たちが魅力に感じる生活を守るためにやってくるのでしょうこれからの人たちは。

誰かが常識を乗り越える準備をしている。

それは非常識に生きる準備ということではなくて、自分の価値観を持って生きるための準備ということです。

だから、この地域は一体どんな人の価値観とマッチするのかなと考える。この地域はどんな極端な価値観を受け入れる土台があるのかなと観察する。

そしてある種常識を越えた価値観を松明のように振りかざし、こっちだよ!って言ってあげなければならないのではないか。

価値観を守る準備をする人々/田舎は価値観で繋がったコミュニティを作る場所?

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