大人になれば褒め上手になる。でも茶番も増える。

僕は人を褒めるのが苦手です。

いや人を褒めるのが苦手ですと書いて気付いたんだけど、別に苦手じゃないかもしれません。

他人の長所を口に出したり文字にしたりすることはむしろ得意と言っても良いかもしれない。文章だと特に自分のペースで言葉を選んで褒めることができるからより簡単。

でも素の僕というか、少なくともこの文章を書き始めようと素朴に考えていた僕は自分が「人を褒めるのが苦手な人」だと確かに思っていたんだ。

正確に言うと、僕は「褒めることが苦じゃなくなってしまった人」が苦手なのかもしれなくて、「むしろ人を褒めることは得意になってきたなーと感じる僕」が苦手なのかもしれない。

自己嫌悪ですね。

褒めるのが苦手な方がなんか素朴でええやん?でもなんか違うんだよな最近、という戸惑い。

そういう気持ちがあるから、人が人を褒めているのを見るのがあまり好きじゃないし、滅多にないけど自分が褒められるのも苦手。

でも褒められたいと思うときはあるし、スキルとして褒め言葉を難なく扱えた方が良いのだろうなと思うこともある。

このままならなさをどうしよう、というのがこの記事の趣旨です。

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褒める練習は買ってでもしろ

多分誰にでも素朴な時代ってあったと思うけど、その状態のときって人を褒めるのが苦手なのが普通だと思うのです。

いろいろ理由はあるだろうけど、恥ずかしいからとかそんな程度の理由で、ちょっと抵抗あるのが普通だと思う。

10代の頃は可愛いと思ったって女の子に可愛いなんて絶対言わない。

だけど高校生くらいになって、そういう褒め言葉をさらっと言えるヤツがすげえと思ったりする。

褒められた女の子だって恥ずかしいという気持ちはあるだろうけど悪い気はしないどころか普通に嬉しそう。

明らかに褒め言葉は口にした方が良いんですよね。真心的な意味でも、利害という意味でも、褒め言葉は口に出すときにちょっと勇気がいるだけで、失うものは無いと言っても過言ではない。

人間褒められたら褒められっぱなしってこともあんまなくて、だいたい同じくらいの何かをお返ししたくなるもんだから、褒める習慣がある人は褒められる環境に身を置くことにもなる。

良い事だらけ。褒めない手はないし、この時代買ってでもしなきゃならないのは苦労じゃなくて褒める練習なんじゃないかとか思う。

褒めるときに躊躇してしまうのはなぜか

誰かを褒めるのは恥ずかしいっていう気持ちもあるけど、それがなくなるのは褒め言葉の「実」に気付いたときだとおもうんですよね。

褒められたらうれしいって割と誰でも知ってるじゃないですか。

あ、褒められたことない人いたらすみません分からないですよね。

いや冗談。たいていの人は最低限親、親も微妙っていう人でもおじいちゃんおばあちゃんからくらいは可愛いだのカッコイイだの優しいだの言われてるはず。

だからまだ小さい頃でも、褒められるって嬉しいことなんだってインパクトは持ってるはずで、そのインパクトは絶大だから、それを今度は自分が他人にぶつけるのだというときに躊躇してしまう。

自分だって引き金を引けばバズーカの弾をぶちこむことができるんだと気づいたらそりゃ怖いですよね。誰かに向かってそんな強大なパワーを持ったものを使いたくないです。

でもそれって人を殺す武器ではなく、人を活かす武器なのだと理解したとき、なんだ躊躇することなかったんだって気付く。

照準を合わせて、活かすための褒め言葉

でも銃っぽい感じはまだ残ってる。

褒めるという目的を誰かに向けるのは、ターゲッティングに似てる。

その弾を打ち込むときにまだ躊躇する部分があるとすれば、自分が紛れもなくその誰かに照準を合わせて、弾を食らわせることで、何らかの目的を達成しようと考えてるという部分。

だってその弾は絶対に人を活かすんだもん。どう活かすかって部分が強いと、褒め言葉は本当にただの道具になってしまう。

たとえ話ばっかする意味が分かんないけど、単純に「可愛い」と女の子に言うときは、「自分を異性として意識して欲しい」とかそういう目的があるわけで、親が自分の子を褒めるみたいに「可愛い」と言ってるワケじゃないということ。

さっきの高校生時代に褒めスキルを持ってたヤツはこの域なんじゃないか。

褒めること自体は良いこと。でもそこに目的があって、目的意識が強ければ強いほどなんかやらしくなるんだけど、そこで割り切って口にできるやつと、まだモジモジしてるやつとではリア充度が違うんだろうな。

いただきますを言うように褒められるようになる

褒めスキルはでも大人には必須らしいから、そこも乗り越えなきゃいけないんですよね。なんとか割り切らなくちゃならない。

褒めることが「ごく当たり前にこなせること」じゃなきゃならない。ご飯食べる前にいただきますって言うのが当たり前のように、女の子に会ったら「可愛いねキレイだね」男の子にあったら「お前みたいな良いヤツそういない」って言えるようにならなきゃ。

それがマナーというか、最低限大人なら身に付けておくべき嗜みとも言うべきものでこれがうまくできない人は軽蔑されたりする。

恥ずかしがりながら「か、かわいいでふすね」って言うんじゃまだターゲットとして意識しすぎてる自分が出てキモくなってしまうってのは肌感覚で知ってる。

目的意識の低い褒め言葉を扱えるようになって、自然な身に付き方をしてようやく僕らは「大人」になれる。自分が持ってるものをバズーカから扱いやすいアサルトライフルに替えるくらいのイメージなのかしら。

殺傷能力ならぬ活生能力は個に対してなら対して変わらないんだけど、気安く引き金を引けるという点に違いがある。

あと目的が自分の利じゃなくて、相手の利にうつすことができてやっと褒めスキルが完成するんだろう。「ちょっと思ったこと言うだけでその人一日がハッピーになれるなら良いよね」みたいな。これはこれで気持ち悪いですね。

似合う人なら良いだろうけど、例えば僕がこんなこと言ったらセルフ虫唾が走る状態になる。

褒める褒められるが茶番になるとき

もうなんか偏見ってかただ偏屈なだけの話で終わります。

日常的に褒める習慣がついてる大人は、確かに思ったことをそのまま口に出してるだけかもしれないけど、だんだん「相手が褒めてほしい箇所をサーチする」のが上手になっていってるんじゃないか。

この人はファッションにこだわりを持ってるみたいだから容姿よりも持ってる物を褒めるべきだぞみたいな高次元の打算が絶対あると思う。

あーやっぱ社会人たるもの色んな人に会うんだから色んなところにアンテナ広げておかなきゃな。日々勉強だなあ、学ぶの楽しいなあみたいな感じなのかな。褒めるのが楽しいって感じ。

そういう人に褒められるってなんか馬鹿にされてる気がする。

なんか素直に喜ぶのも馬鹿らしいとか思うでしょ。どうせたいして心から思ってるワケじゃないのにって、「大人」だからこそわかって、褒める褒められるの時間が茶番になる。

相棒の右京さんくらいになれば伊達じゃないよ。右京さん観察眼鋭いし知識も豊富だし物の価値が分かる人だから人のこだわってる部分にしっかり理解を示しすことができるもんね。

「お、君この味が分かるかね」とか、「お詳しいんですか?」とか返されて、「嗜む程度です」とかダンディーな返ししてまんまと重要人物の懐に入り込むことに成功してるもんね。

ここからが違うんだけど、右京さんが相手の懐に入るのってほぼ完全に「捜査のため」で処世術ってよりは捜査スキルって感じがしてかっこいいんだよな。

だから顧客を増やすために褒めスキルを会得してる人は好きだけど、相手に喜んでもらいたいという体で、その実人の懐に入る快感のためにスキルを高めてる人は嫌いだな。

これは戒めです。

自分は褒めるという目的を果たすために褒めるスキルを高めたりしないぞ、褒めるときは本当に思ったことを言うときか、白々しいくらいのビジネストークをするときにするぞと今は思ってる。

大人になれば褒め上手になる。でも茶番も増える。(完)

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