【創作論】自分を消すために形式の鬼になれ。

自分の頭で考えることができない/枠組みに依存する人間。

という記事で、人は色々な枠組みに依存して、「それらしい」ことを考えたり、「それっぽい」ことをしようとするから、思考や行動が限定されて問題が解決できないことがある、ということを書きました。

今回は、それって例えば場とか職業とか役割とか媒体とかって大きなものではなくて、すごく小さなレベルから始まってるんだということを書こうと思います。

人は知らず知らずの内に何かに依存してしまって思考が限定されてしまっている。これは困ることもあるけれど、「創作」をする場合にはヒントになる。

つい依存してしまうのと、自分からそれにどっぷり浸かって依存されに行くのかでは大きく違って、創作は自分から「形式に依存」していく(故意に思考を限定する)ことが重要なのではないかという話です。

そういうことを感じたきっかけは、ブログのテーマを変えたことでした。

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ブログテーマを変えて気付いた

ブログのテーマ変えました。

もっと楽にブログ書けて、軽めのイメージのヤツがいいなって思ってて色々探してて、結局今のブログテーマであるsimplicityにしました。

でも、こないだ「藤村正宏さんのエクスマ思考」がなんちゃらって記事書いたんだけど、まさにその藤村さんのブログテーマがsimplicityだったんですよね。パクッた訳じゃなくて偶然なんだけど、なんか記事を書いた直後なだけに寄せに行ったみたいで恥ずかしいです笑

そんなことはどうでも良いのですが、今のテーマにして、結果的にすごくブログ書くのが楽になりました。

このテーマのここが凄いみたいな記事は他のそういう専門にしてる人のブログ見て欲しいんだけど、とにかく楽になったんです。

あ、ちなみに僕はこの記事読んでこのテーマにしようと思いました↓

だつえん! さんの

SEOに強くて優しいWordPressテーマ「Simplicity」が大切な事を全てしてくれた

僕はもともとITに疎い方だし、ブログとかも書いたことなくて、プラグインとかワードプレスとかも全く知らない人だったしSEO対策とかも見様見真似でって感じでここまでやってきました。

だからそういうところであまりせっせと頑張らなくて良いテーマはすごく助かるのですが、それより、僕がブログ書きやすくなったというのは、もっと低いレベルの話なんです。

レベルが低いって単純に背景暗いより明るい方が楽に書けるってこと。

人は色とかでも簡単に操られる

今まではデフォルトが背景暗いテーマで書いてました。

今までも別にややこしく書いたり重く書いたりするつもりで書いてた訳じゃないんですけど、多分無意識のうちにそのテーマに相応しい重さというか、こんくらい書かなきゃダメだろみたいな感じになってたんだと思います。

文字数に関しては大体2500~3000字程度っていう目安はあって、それは意識的に限定してるんだけど、そういう重さじゃなくて、もっと「感覚」とか「印象」としての重さがありました。

そんな時代に書いた過去の記事読み返すと今まで普通に見えてたものなのに、なんか新しいテーマを適応してからは異様に浮いて見えるんです。

多分普通に読む人にはあんまり分からないことなんだけど、書いている方としては明らかにしっくりこないというか、明るい背景に似合ってないという印象が立ち上ってくる。

会議室の工夫で活発な意見を交わしたいときは赤い照明?だか壁だかの部屋を使って、冷静に考えをまとめたいときは青い部屋を使うみたいなオフィスがあるという話を聞いたことがありますが、あれは多分すごい効果があるんだろうなと思います。

場とか役割とかじゃなくて、「色」一つで考え方とか感じ方は操作されてしまって、ほんと、「絶対的な自分」って一体どこにいるんだろうって思ってしまいます。

意識的に形式に依存する

ここで前回の記事である

創作物のクオリティ、その質を分かつ1番大事な要素はなにか。

の話題に重ねて行こうと思うんだけど、創作行為においては、実はそういう小さな依存の積み重ねが凄く大事なんじゃないかなと思ったんです。

上のリンクの記事では、創作においては「自分を消すこと」が大事なんじゃないのかなという話をしました。

じゃあそのためにはどうすれば良いんだろう?ってのがそこから生まれた課題でした。

今回は自分を消すためには、「徹底的に場とか媒体に依存」することが大事なんじゃないかと言う仮説を披露したいのです。

「素人っぽい」って印象って実は小さな違和感だと思うのです。

正直詳しくは説明できないんだけど、素人っぽいのは分かるってことあるでしょう。

それって「本来はこう」という絶対的な正解みたいなものをみんな頭の中に持っていて、多分その枠組みから外れた何かを見たときに、「なんか違う」という印象を持つのだと思います。

創作に限らず、あらゆる「プロ」を想像してみてください。普通にそこらのデパートで見るサービス業の方でも良いし、消防士さんとかでも良いし、テレビのアナウンサーとかでも良い。

普通日常で生活してればあらゆる「プロ」を見る機会があると思うんですけど、そういういかにも「プロ」って感じの人達ってプライベートが想像できなかったりしませんか。

役割を演じきっていて、まるでそれ以外の日常がないかのように見える。

反対に、そういう人たちから日常が垣間見えてしまうと、親しみが生まれることもあるかもしれないけど、がっかりしてしまうこともあると思うのです。

人はついつい役割とか状況とか、それこそ色とか、小さなものにいちいち依存してしまうのだけど、こちらから故意に、意識的に、「形式に依存し尽くす」というのは、プロのクオリティを生み出す上でとても大事だと思うのです。

絵本の形式

場とか役割に依存してしまって、思考が限定されるのは問題かもしれません。

だけどそれは、無自覚の状態で、そうとは知らずに、依存してしまって、操られるから問題なのであって、自覚的に形式に依存していくのは自分を消し、産み出すものに違和感を抱かせないためにはとても大事なことだと思います。

絵本を作るのであれば「絵本という形式」を理解する。

「絵本」という媒体の力を最大限に発揮する。

そして形式の鬼になる。

そのとき、意識的に依存ができていれば、例えばその他の小さな要素には引き摺られることはなくなって、結果的にムラがなくなって、「本物」になるのではないでしょうか。

僕みたいに色とかで引きずられて作る内容が変わるようじゃ未熟なんです。

そういう些細なものに操作されないために、自分は「他でもない絵本」を作っているのだと意識することで、純度の高い絵本を作ることができる。

それを、創作は自由だと言って形式を無視したのでは、絵本という創作の正解を知っている人々には違和感に見える。

もちろん、形式や要素だけでは優れたものはできません。

それは部分の総和は全体にならない。材料を揃えても最終的にはイマイチな結果になるのはなぜ?と照らし合わせてみれば分かると思います。

 徹底的に形式に依存して自分を消した上で、それでもなお自分にしか作れないものを作らなければならない。そうすればいつしか自分が形式の一つになるのでしょう。

創作って途方もなく難しいですね。

 

【創作論】自分を消すために、形式の鬼になれ。(完)

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