ぷよぷよ式コミュニティ論

「ぷよぷよってなんで同じ色のやつ4つ結合してしまった時点で消滅するんだろう?」

「ぷよぷよを上手に消すことを目指して遊んできたけれど、彼らは誰も消えたいなんて思っていないのではないか」

「これは発想の逆転だ。ぷよぷよは消すものではなく、増やすものだという視点で考えたらどうだろう」

「それはコミュニティを考える上で大きなヒントになるのではないか」

ふとそんな問いが頭に浮かび、はや1週間ほどが経過しました。

もちろんこんなのはただ考えることが目的の遊びでしかないけど、「ぷよぷよがもっと仲間を増やしたいと考えていたらどうだろう?」という問いに、僕は最近囚われがちでした。

ぷよぷよがもし、健全なコミュニティの増殖を目指すゲームだとしたら…。

おそらく僕らは以下のことに気をつけるだろうと思う。

①同じ性質のヤツが固まり過ぎないようにする。

②適度に異物(異色)を挟む

③一人の意思でコミュニティを形成しない

これはまんま人間のコミュニティにも応用できることだと思う、というか、これまで僕がこのブログで考えていたことをぷよぷよが分かりやすく伝えてくれるのではないかという思惑があります。

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①同じ性質のヤツが固まり過ぎないようにする

ぷよぷよのコミュニティを壊さないためには、同じ色のやつを3つ以上にしないことが重要です。

同じ性質のヤツが固まりすぎるとウザいという話

かつて上記のような記事を書きましたが、これはタイトルのままなんだけど、同じ性質のヤツらが固まるとウザいという話。

コミュニティが崩壊するというよりは、同じ性質のヤツらが固まり過ぎると視野が狭くなりがちで、自分たちの尺度で場のルールを定めがちになって、周りに不快な思いをする人が現れるんじゃないかって話でした。

周りから嫌われるとか、「なんだアイツら」って一括りにまとめられて顰蹙を買うようなことがコミュニティにとってマイナスなのだとしたら、それは十分、崩壊に繋がりうるから、同じ性質を持つ同士で固まり過ぎるのもどうなのかなって記事。

ファンが集まるコミュニティ、信者が集まるコミュニティ

こちらの記事とも繋がりがあるかもしれません。というかモロに思考が繋がってちょっとスッキリ。

②適度に異物(異色)を挟む

同じ性質のヤツが固まり過ぎないようにすると適度に異物(異色)を挟むはほぼ同じ意味なんだけど、あえて分けました。

コミュニティ内を一様にしないためにも、適度に異物を挟むことが大事だと思います。ぷよぷよのコミュニティを消したくなければ途中で適度に違う色のヤツを混ぜること。

このとき大事なのが、多分まったく違うのではなくて、ちょっと違うものを挟むことだと思います。

コミュニティ形成を考えるとき、多様性を許容するのが良いんじゃないかってことを僕も現代人っぽくこのブログでは考えてきたんだけど、同時に違和感もありました。

だってやっぱり、どれだけ口では耳ざわりの良いことを言っても、自分とまったく違う価値観の人には興味が持てないし、ほんと正直に言うと、ソリが合わない人とは関わりたくないという気持ちがあるから。

この葛藤を解消するにはどうしたら良いだろう?ということについて考えたのが、以下の記事です。

コミュニティスペースのジレンマ/コミュニティスペースが目指す公共性とは

お互いの価値観を尊重するんだけど、一個芯となる価値観の一致があると良いよね。コミュニティスペースってそういう芯で繋がれると良いよね、という話。

余談:なんでぷよぷよって4つ同じ色のやつが触れ合うと自然消滅するんですかね。

ぷよぷよでも、4つ同じ色のヤツが集まるとそのコミュニティは消滅(崩壊)してしまうから、彼らのコミュニティを大きくしたいのなら、適度に違う色を混ぜる必要があります。

一色に染まり切らないようにする。

コミュニティが一色に染まってしまうと、消滅(崩壊)のリスクが高まる。

ところで、なんでぷよぷよって4つ同じ色のやつが触れ合うと自然消滅するんですかね。

これについては仮説を考えました。

ありますよね。「あれ、なんかうまく場が回らないぞ?」みたいなこと。

人数はあまり関係ないけど、一人加わったり一人減ったりするだけでギクシャクするコミュニティってある。というかほとんどの場合そうだと思う。

不思議だけど、言いたかったのはただ、こういうことあるよねってだけです。

③一人の意志でコミュニティを形成しない

これ大事だなって僕ほんとに思う。

ここで言う一人の意志っていうのは、ぷよぷよで遊ぶ際のプレイヤーを指します。

ぷよぷよが上手な人ってぷよぷよコミュニティをデザインするのが巧い人だと思います。

積み上げて積み上げて、一気にドーンと連鎖的に消滅させるためには、高度な全体把握能力が必要になります。

こことあそこが繋がってて、こういうパターンのときはこことここが機能するっていう風にコミュニティをデザインできる。もちろんこれ以上は余計だっていうぷよぷよを排除する術も心得ている。

高度に積み上げられていて、有体に言えばキレイすぎる。

整い過ぎているコミュニティを作るのは、大きな危険を孕む。

もちろんぷよぷよで勝つためにはこれを故意に崩すことが目的になるから良いのだけど、増殖と発展を目指すコミュニティの目線で見れば、整い過ぎたコミュニティは危ない。

入り組んでいるようで互いにしっかり結びつき合っているコミュニティは、機能している間はスムーズで良いけれど、何かのきっかけで雪崩式に崩壊する可能性があります。

人間の社会に寄せて考えてみると、それは例えば「嫌われたら終わり」なコミュニティかもしれない。

「誰かがいなくなったら終わり」なコミュニティかもしれない。

そういう些細なきっかけで維持できなくなるコミュニティは、場を操作する力を持つ特定の誰か(プレイヤー)が計算しキレイに積み上げ過ぎたときに起こりやすいのではないかと思う。

「多様性を尊重する」と「多様な個性を尊重する」は違う

僕ら、高度に結びついたコミュニティを目指しがちだと思う。

こう、一致団結してというか、大きなファミリーみたいにうまく結びついた関係を、例えば地域とか、会社とか、そういう、人間が自分たちの意志で作りだすコミュニティに求めてすぎる。

だから③のように、コミュニティを上手に形成できる、強力なリーダーシップとコミュニケーション能力を持った誰かは重宝される。

もちろん利点も多いけど、危険と隣り合わせな面もあるから、多様性はやはり大事だ。

ちょっと飛躍してるかもだけど、そんな風に思い至りました。

多様性の尊重について何度か考えてきたけど、ここのところ感じていた違和感は、その言葉が「自分とは違う他者の無暗な肯定」の気配を感じるからだと思いました。

自分とは違う人の個性を尊重しよう、みんな違ってみんな良いのだ、みんなで理解し合おう。

つまりみんな違ったまま、とにかく一旦手を繋ごうよという思想。

僕もそれが「多様性を尊重する」という意味で、正しいことだと思っていたし、別に間違ってはいないと思うけど、そんな博愛的なことを考える自分はどこか嘘をついているという感覚がありました。

たぶん僕らが目指す多様性の尊重というのは、ただみんな仲良く気持ちよく暮らそうというよりは、コミュニティの生存っていうもっとドライな目的の上にある言葉なんだと思う。少なくともそういう側面から考えることは大事だと思う。

つまり些細なことから始まるコミュニティの、不可逆な崩壊を防ぐっていうリスク管理の観点から、互いに繋がり過ぎないようにしながらも、お互いが不快にならないようにするにはどうしたら良いか?と考えるのが「多様性の尊重」で、それが実現できるコミュニティを作りたいと僕は考えているのだろう。

個性を持った人間同士の繋がれない部分、分かり合えない部分、僕らの間にある見えない断絶を尊重しよう。

その尊重の方法として、「よく知る」という方法もあるし、「徹底的に関わらない」っていう方法もあるのだと思う。

まだ暫定的な結論ではあるけれど、ぷよぷよからこの辺りまで考えることができてとりあえずすっきり。

ぷよぷよ式コミュニティ論(完)

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