田舎に住むのがおススメな理由/価値観の違いや文化の違いを知るために海外に行く必要はない

よく、海外に行くと色々な価値観に触れられるから、視野が拡がって成長できるみたいなことを言うと思うけど、僕は国内の田舎の方がずっと成長できると思います。

なぜって、価値観の違いが浮き彫りになるのは、価値観が同じはずだという思い込みがあってこそだから。

価値観や文化が違って当たり前のところでは、違いに敏感になるのは難しいと僕は思うのです。

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価値観の隔たりが大きいのは

僕は比較的にはだけど色々な人と生活を共にしたことがあるほうなんじゃないかなと思ってます。

オーストラリアにワーホリで行ったときは色々なバックパッカーズに泊まることになるから色々な国の人と同じ部屋で過ごすことになるし、部屋貸してくれる人見つけて数か月間よそ様の家に住まわせてもらうことにもなる。

日本で季節労働みたいなものにも行ったことがあって、そこでは夢追い人やらさすらいの旅人やらがわんさかしてて、しばらく、と言っても二か月とかだけど、一緒に生活をしたのです。

同世代の人の家では、そりゃ長くても一週間とかだけど泊めてもらうこともあるし、同棲のような経験もある。

そして今は実家でじいちゃんばあちゃんと三人で暮らしています。

僕程度の経験値ではとても語れないですが、一応海外、国内、世代問わず様々な人と生活を共にした経験があると言えるとして、その中で一番価値観や文化の隔たりを感じたのはどこか。

まさかの実家です。実の祖父母との生活が一番、価値観の違いを痛感する経験が多い。

だから、異文化とか価値観の違いを学びに海外とか行く必要ってホントないと思う。

みんな実家帰れば良いと思う。
田舎のじいちゃんばあちゃんに会いに行けばいいと思う。

そっから学べることが腐る程あって、それで飽きたら海外行けば良いんじゃないか。

いや海外あちこち行ってて旅慣れててすごい経験してますって訳じゃないから決してエラそうなことは言えないんだけど、正直、海外の異文化って覚悟してる分すんなり受け入れられてしまったりして、あまり衝撃がなかったりすると思うんです。

郷に入っては郷に従えってことなのか分からないけど、少々ショッキングなことがあっても、まあ、そうだよね、みたいな気持ちになることが多かったような。

それかああこっちの人は●●ってホントなんだ…みたいなつまらない感想になってしまって、ネットで得た知識の確認みたいな感じになる。

むしろ、何かを見て面白いって思うタイミングが同じで一緒ににやって笑ったり、初対面同士でナーバスになってる雰囲気とかを感じて、みんな同じなんだなあって部分の方が衝撃的だったりしました。

実家のじいちゃんばあちゃんって、基本的にはよく知ってる人だし、一応同じ文化にいるわけだし、言葉も通じまくる訳です。

だけどええっ?ってことが頻繁にあると、どうしてこんなに違うんだろうって気持ちがすごく大きくなる。

大抵はフラストレーションという形で

基本的には同じ人だと思ってるから、自分と違うところを見せられると驚くしまあ身内だし大抵イラッとします笑

簡単に状況説明をさせてもらうと、新年早々うちのおばあちゃん風邪ひいてしまって、去年だかはけっこう酷い目にあったものだから今回はちゃんと安静にしてて欲しいのって状況なのです、今うちは。

さらに状況説明をすると、家は朝とか昼とかのご飯はお腹空くタイミングも食べるものも違うもので、それぞれセルフサービスみたいな感じ。夜は三人で食べるのですが。

で、お昼は大体僕もお腹が空くのが遅いもので、じいちゃんよりは後になるんだけど、台所に降りていくとばあちゃんがじいちゃんの食べた食器を洗おうとしてる。(じいちゃん食べ物出すことは出来るけど片づけ一切できない)

ちなみにばあちゃんは普段からお昼は食べないことが多くて、このときも風邪で食欲もないから食べてない。

つまり完全にただじいちゃんの食器片づけようとしてただけなのです。

いやいやじいちゃん!ばあちゃんが風邪ひいてるときくらい食器自分で洗えよ!じいちゃん元気だろ!って思うのは僕が現代人だから。

ここでじいちゃん信じられん!って怒る前に一旦冷静になることで大人になれるんじゃないかって思うのです。

それにしてもフラストレーションのはけ口としてブログがあるってのはいいですね笑

「王様の優しさ」にピンと来ないレベル

いつか聞いたんだけど、じいちゃんはむしろ台所に立つなって躾けられたんだそうです。じいちゃんはって言うか、じいちゃん世代(80代)は男が台所仕事なんかしたらみっともないっていう価値観がマジであるみたい。

ばあちゃんの方だってこれくらいサッと洗えんもんかねって言ってるけど顔を見ると別に不満はない様子。

現代の若い夫婦なら風邪ひいてつらいのに旦那が何も協力的じゃないとか喧嘩もしくはストライキが勃発してもおかしくないと思う。

ばあちゃんが特別我慢強いって訳でもなくて、もちろん世話のかかる旦那に母性がくすぐられるって訳でもなくて、ただいつもいつでも奥さんが台所仕事をするのは普通だということなのです。

風邪ひいてる奥さんに、今日は外で食べてくるからご飯は良いよっていうような旦那さんの言動を指して「王様の優しさ」って呼ぶらしいけど、じいちゃんは多分そういう「王様の優しさ」って言う概念にもピンと来ないレベル。

どう間違っても、ばあちゃんが風邪ひいてるから今日は俺がごはん作ってあげようかなんてことにはならないし、ましてや何か買ってこようか?なんて話にはならないのだから。

人のフリみて我が価値観を疑え

じいちゃん世代の人たちにとって、台所は女が立つもの、洗い物なんて男の仕事じゃないって価値観があるのはまあ分かるっていうか知ってるのですが、それを目の当たりにするとやっぱり違和感がすごい。

その価値観ってそんなに揺るがないものなの?

とか

僕が台所に立つことはじゃあどう思ってるの?

って疑問がすごい。

反対に、僕らの世代が当然こうするべきって思うことって、実はそれほど正しくないのかもしれないとも思う。作られた価値観なのかもと思う。

だって、ばあちゃんに食器洗うから置いといて!って言っても絶対粘るもの。これくらいは出来るとか言って。具合悪いのに働く必要ないだろ!って何故かばあちゃんを怒ってしまったりして。

そしてそういうやりとりを見て、じいちゃんって何も思わないのかなって疑問も。じいちゃんの食器の話ししてんだぞ!って思うけど、二人にしてみれば僕がムキになってることの方が不思議だったりして。

価値観に触れるとか、視野を広げるって、けっこうこれくらいのイライラとはモヤモヤが必要で、グッと我慢して、あれ、もしかしたら自分がおかしいんじゃないか?って疑うプロセスが大事なんじゃないかって思います。

価値観が同じはずと思える場所へ

海外は普通こうするとか、海外ならこれが当たり前みたいな知識を得ることはあると思うけど、それで価値観が変わるとか視野が広がるっていうのは何か違うような気が僕はするのです。

価値観の衝突がなく、いわば葛藤がなく受け入れてしまったものはただ選んだというだけで、つまりファッションであって、自分の本質が変わるという訳ではないのではないでしょうか。

価値観が違ったり文化が違えば、一種のアレルギー反応が起こって、とても辛いしイライラしてしまうものだと思う。

だけどそんなときに見つめた価値観こそが、自分を映す鏡となる。

そして自分を疑うことで、その自分を映す鏡とやらを磨くことで、やっと成長できるのではないか、というようなことを、じいちゃんやばあちゃんを怒っても仕方ない、黙って自分が食器を洗えば解決なのだと割り切ったときに思ったのです。

これで一つ大人になったと思えば、怒りやイライラもひいていきます。

これだけ小さなことと言えば小さなことでイライラしてしまっているのですが、これも家族だからこそです。

他の家庭で同じようなことがあっても、じいちゃんってそういうもんだよねとか、男ってそうだよね、みたいな感想で終わってしまうと思う。

異文化や違う価値観が学びたければ、価値観が同じはずと思っている場所に行った方が良いと思います。価値観や文化が違って当然だよねってところでは、イライラするのが難しいから。

田舎は多分都会に住んでいる人にとってはコミュニティが狭い分そういう価値観の違いが浮き彫りになりやすいところだと思うし、こうしてじいちゃんばあちゃん世代との接触も多くなって、他人相手だとしても色々なフラストレーションが溜まる場所だと思います。

一回り成長しようと思って海外に行くのも良いし、海外でしか得られない経験は確かにあると思うんだけど、基本的には同じはずの国内で異文化や別の価値観に触れるっていうのもまた、良い経験だと思いますよ。

※じいちゃん世代とか僕らの世代って一括りにして申し訳ないです。もちろん色んな人がいると思うんだけど、世代論として便宜上括らせてもらいました。

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