再読ルール

再読ルールをご紹介したい。

本を読む上で、ある一定のルールを設け、再読を行うことでより深く、作品の深層に触れるためのテクニック、というものを本当は書きたいけれど、僕はそういうの書けません。

もし本を読むテクニック的なものを望む方がいたら、申し訳ないのですが期待には添えられないと思いますのでこのページは閉じた方が良いかと思います。

僕がしたい「再読ルール」の話は、誰の役にも立たない、僕が僕のために課したルールです。

しかも読む際のルールではなく、書く際のルール。

端的に言えば、「妻に二度読まれた小説は成功とする」というルール。

妻は小説を好んで読む方ではありません。

多分嫌いというわけではないんだけど、自発的に読むようなことはしないという感じ。

妻にとっての小説は、たぶん僕にとってのスポーツ観戦のようなものなんだと思う。

僕は高校まで野球部だったくせにプロ野球を一試合見るということができません。結果も気にならない。もちろんやってたくらいなんだから嫌いじゃないし見たらそれなりに面白いんだけど、自分でチャンネルを合わせることはしない。

妻にとっての小説は多分そんな感じ。

しかし僕が書くものは読んでもらっています。それほど興味の無いものを半強制的に見せられるというのはなかなか苦痛だと思うけど、読んでもらうのはほとんど短編だし、15分もあれば読み終わるので、お願いして読んでもらっている。

妻が読んで面白いかどうかは僕にとってとても大事です。

普段小説を読まない人が面白いという小説は、きっとそれなりに面白いんだと思う。

だから僕がお願いしなくても再読してくれるような小説なら、普通に面白いんだろう。成功と見なして良いと思う。

だからもし今後、妻がもう一度読みたいと言った作品、人知れず読み返している作品が書けたら、僕は自信を持ってこのブログで自慢をしようと思いますので、どうぞ読んでみてください。

残念ながらそんな作品はまだないけど。

これまで、妻が再読したと言った、世にある小説は3つあります。

『青が破れる』町屋良平

『田村はまだか』朝倉かすみ

『白い犬とワルツを』テリー・ケイ

『青が破れる』と『田村はまだか』は、「これはぜひ読んで」と手渡した本。

二度読んだと聞いたとき、改めて「すごい本だ!」って思いました。

『白い犬とワルツを』は、妻の実家の部屋に置いてあった本。

この本にはなぜか多少ジェラシーを感じていて、実はまだ読んだことがありません。この人がベッドに飾る本ってなんだよ、ってずっと思っている。

力がある本は、普段本を読まない人にすら再読を促すことができる。

本当に本当にすごいことだと思う。習慣として本を読むことがない人が、2冊読む時間を費やすのだから、これはもう文句なしに良い本なんだろう。

読書家がお薦めするよりも、ある意味説得力があることだと思う。

多分、読書家が「何度も読んだ」とある本を指して言うときには、多少の「てらい」があると思うのです。

誰でもほんの少しは、知識や感性をひけらかしたいという気持ちを持って、「お気に入りの本」を選ぶと思う。

純粋な絶賛、ファンとしてヘビロテ作品の選定ではなく、微かに「自らの表現を含んだ依り代としての一冊」を挙げてしまいがちじゃないか。

今の自分の文体に影響を与えた一冊だと思っているとか、コミュニケーションスタイルのお手本となっているとか、傷を埋めた本だとか。

「その本を読め」というメッセージより強く、「私を知ってくれ」というメッセージを受け取ってしまうことがある。

僕が人に本を薦めるときは、この呪いから逃れられない。僕はこういう人ですって思いを込めて、人に本を薦めてしまう。

だから僕は、普段本を読まない人が二度読むような話というのを、一つの指標にしたいと思っている。

僕がお願いしなくても、妻が読み返してくれるものを書くというのが、直近にして最大の目標なのです。

再読ルール(完)

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