調べものはきままな一人旅のようなものです

水曜日は自分の町の歴史、文化史、風土と言ったものの研究をもとに小説を仕上げるまでをお見せする日です。

対象とするテーマは昭和10年代の朝日町一帯の地域のこと。

とても想像がつかないばかりではなく、どうすれば僕の期待する情報にたどり着けるのだろう、そもそも僕はどんなことを知りたいと思っていて、それをどうしたいと思っているんだろうという段階。まるで雲をつかむような感覚の中にいます。

さて、例えばあなたが小説を書くとして、何かそのための調べものをしようというとき、網羅的な情報が必要だというとき、いったいどこから手をつけるでしょうか。

そしてどうするのが一番スマートなやり方なのでしょうか。

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調べものの王道的な手段。検索、図書館、人に聞く

調べものって言えばその手段として思い浮かぶのは

①検索

②図書館

③人に聞く

とかそんな感じでしょう。だいたいこの三択を思い浮かべるはず。

そしておそらく①から③に進むに従って、情報の価値が高まると思われているのではないかと思います。

何となくパソコンで検索するのは一番手軽だけど信ぴょう性がなく、図書館で紙の本を繰って調べたことや、人に会って聞いた話は、得るまでの苦労が伴う分、情報の価値が高いと思われがちなのではないか。

だけど冷静に考えれば、情報の価値に違いはないと僕は思う。苦労して得たもの(汗をかいて得たもの)の方が価値があると思いたいのは分かるけれど、情報を集める上では、そういった感情論は一旦脇に置いておくべきなのではないでしょうか。

どこから得たどんな情報なのかというににはそれぞれ特性があって、意図に応じた価値が引き出せるというだけの話なのです。

その意図とはなんだと考えるのが、つまり、調べものをする上での必要な準備なのかなと僕は思いました。

明確な意図があるからダイレクトに適切な方法で情報を得られる

こんな情報が欲しいと思っている(意図)→だから検索をする(意図に応じた手段)

こんな情報が欲しいと思っている→だから図書館にいく

こんな情報が欲しいと思っている→だから人に聞く

情報の探索においては、このような流れがあるのではないかと思います。

ところが、これは僕が先週から今日くらいにかけておかしてしまったミステイクなんだけど、検索をすれば何か情報があるだろう、図書館に行けば何か得られるだろう、人に話を聞けば疑問が発生するだろうという感覚がありました。

自分の町を舞台にした小説を書くためのファーストステップ/問題意識、疑問、問いの発生

で、ある程度僕の中から発生した「問い」や「疑問」や「仮設」のようなものを披露しましたが、それでも調べものをする上では全然具体性がなく、とても効率の良い情報の探索などできないのです。

はっきり言って、集めた情報のばらつきというか、一貫性のなさに、大変疲れてしまい呆然としました。

情報探索は旅のようなものだ

この記事を読んでくれている人には大変気持ちの悪い思いをさせてしまうかもしれませんが、ちょっと話の流れをひっくり返したいと思います。

ここまでの僕はとち狂っていました。

要領の悪い情報探索、ばらつきがあって、一貫性がなくて、疲れてしまう情報探索。

これがまるで悪かのように書いたし、ブログの記事としてはそういう「間違ったやり方を改めスマートに情報探索をこなす方法」をこそ考えるべきなのかもしれませんが、実は「要領良く情報を得ようとする精神を改める方法」を論じなければならないのではないかと思うのです。

だって僕は無知なのだから、何を知らなくて、何を知ってるのかも分からないのだから、狙いを定めて欲しい情報を得るなんてことはできなくて当然です。

今僕が認識できる範囲で僕が知っているもの、僕が想像できるもの、僕が理解できるものを寄せ集めても、せいぜい無知な僕の体現に過ぎません。そんなのを僕は望んでいません。

この営みは、僕が新たに知ったり考えたりするための知的好奇心を使った一人旅であり、あらかじめ予定が設定されているツアーなんかではないのです。

贅沢な調べものをしよう

調べものをしているとあらゆる情報が錯綜し、まとまりがなく、「ある年代に絞った小説を書く」という目的には程遠いような気がして疲れてしまうけれど、さくっと必要な情報を必要なだけ手に入れれば満足というのでは、とりあえずガイドブックに載ってるとこ巡りをする旅行と似て「こなす」作業になってしまいます。

あっちに行けば何があるだろうとか、ここに行くと危険だろうかとかいうワクワクを好ましく思えないならこんなことをする必要はないのだろうなと思う。

目的地に着くことに執着して旅程を急ぎ景色を堪能しないようなことはしたくありません。

だから調べものも贅沢にします。

必要ないけど一応行ってみるかとか、ちょっとこの辺でぶらりとするかとか、もう食べれないけど食べておこうとか、予想外のところに来てしまったとか、大いに無駄と思われることをやっていくという方針にします。

目標を達成するには必要な要素を揃えてもダメ。「無駄」が要素を繋ぎ、目標を達成する鍵となる

って昔自分で書いたのに、調べものがあまりに雲をつかむような行為すぎて、さっそくダメになるとこでした。

もちろん、昭和10年代に絞ってとか、この地域のことを調べるというメインディッシュ的な指針はいつも念頭に置いた上で、寄り道をいっぱいしよう、という話です。

調べものをする上での準備というのであれば、がっつり寄り道をするための下調べや体力の維持や計算などなのだと思います。

調べものはきままな一人旅のようなものです(完)

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