僕は逃げる場所を作りたい。現実逃避を肯定する。

このブログでは「創造で繋がるコミュニティ」というものを想定して色々と考えていますが、「創造」という分野にこだわる理由の根底には、僕自身の「精神の脆さ」があります。

現実逃避ばかりの僕は、現実を見る努力をするのではなく、非現実がデフォルトのフィールドがあったら良いんじゃないかと考えたのです。

このように、「ネガティブな方向にやたら行動的」というのは僕の性格の大きな特徴で、諦めの良さとネガティブな自分に負い目を感じない様は、もしかしたら人から見れば楽天家に見えるかもしれませんし、自由に見えるかもしれません。

実際なんかそう見えるらしいです。

そんな僕がここで書きたいのは、「みんな、全力で現実逃避しようぜ」ということなのです。

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現実逃避大好きだけど、昔は楽しいことも現実だった

僕は小さい頃から、そして今も非常に脆い精神を持っていて、あらゆることから逃げたくなります。意外に最後まで逃げずに出来たこと(部活が一番頑張ったと思う。次にワーホリのときの家探しとバイト。あ、あと出稼ぎのバイトも頑張った)少々。

実際に全力で逃げたことも少々(就活は一切しなかった)。

多分客観的には平均的な振る舞いをしているんじゃないかと思いますが、やりとげられたことで得た少しの自信と、まだ様々な拘束に耐えられそうにない圧倒的な自信の無さのなかで揺れ動いています。

何もかも放棄して、心配事からは目を逸らし、なんの不安もない解放された時間を1秒でも長く味わっていたいと常々思ってる。

でもそんなことを考えるのは、実際のところみんな一緒なんじゃないか。

それがどれくらい切実な気持ちなのかによって、うつ病っぽくなったりするほど自分の感情に捉われてしまう人もいると思うし、ちょっと旅行に行って息抜きすれば何とかなる人もいるという感じでしょう。

ともあれ、みんな「現実逃避」は大好きなはず。楽しいことのあと「わー明日からまた現実だー」と嘆いたこと、誰にでもあるでしょう。

辛くて退屈なことは現実、楽しいことは現実じゃない。

現実と非現実に対してそんな役割分担をいつ誰がしたのかは分からないけど、小さい頃はもっとその境界線が曖昧だったような気がして懐かしくなります。

皆さんはそうではないですか?

ラーメンズのコントにある非現実性

さて、僕が創造にこだわる動機の根底にあるモノがもう一つあります。

僕はラーメンズのコントがすごく好きなんですが、「アトムより」というコントにこんなセリフがあるのです。

日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常を描く、一見すると異常な世界観だけど、その世界の住人たちにとっては、いつもの出来事って感じがするノス。

これは作中の一場面のただのセリフですが(ノスは気にしないでください)、これはまさにラーメンズのコントの世界観を端的に説明した内容だと思います。

舞台上のストーリーでは、僕らには知らないルールの中で人が動いていて、自分とは違う価値観で動く人たちの日常の一コマを垣間見れて、はじめはそれがよく分からなかったりするんだけど、その人たちはふざけておかしなことをしている訳じゃない。

大真面目に僕らと違うことをしているのです。ああ、この人たちにとってはこれが普通なんだと思ったときに感動したり、面白くなったりする。

「日常の中の非日常ではなく、非日常の中の日常」。

こんな世界観を実際に作ることができないだろうかというのが僕の「創造」にこだわる動機のもう一つの根底となっている。(そして芝居とか言ってるのもラーメンズの影響が大きい)

なぜ創作・創造なのか

イマイチここまでの内容と創造の繋がりが分かりにくいかもしれません。

日常で何か楽しいことがあっても、それが終わったら退屈な日常に帰らなければならないってすごく辛いじゃないですか。

楽しくて気楽なことは束の間で、何事もなく退屈でしんどい日々が基本設定となりがち。

だからつい逃げ出したくなる。どれくらい切実かは置いておいて、とにかく逃げたくなる。

現実逃避の方法には旅に出るとか、イベントを楽しむとかって色々あると思うけど、個人的にはやっぱりそれって現実の上にあるものだと思うし、内向的な人がマジで逃げたいときってそのレベルでは全然息抜きにならなかったりすると思う。少なくとも僕はそう。

そういうときは全く予想してなかったことを期待し、価値観の異なる何者かに連れ去られることを期待し、知らないルールに翻弄されることを期待する。

でも実際にそんなことは起こらないと知ってるから、仕方なく自分で創る。

現実とは違うルールがあること、実際には起こらないこと、よく分からないこと、そういうものを作り続けられる「創造」を日常にできたら僕はさぞ毎日楽しいのだろうと思う。

そして一人でコソコソと妄想の世界に入ることも、コツコツと小説とか書くことも楽しいし現実逃避の方法としてはとても良いんだけど、それが自分の外側(まち)で起こるってすごいことだと思う。おお、非日常が日常になった、って思えるはず。

「そんなことできる訳ないじゃん。現実を見ろよ」と言われるかもしれないけど、そういうときは、だから、現実なんて別にわざわざ目を凝らさなくたってそこにあるんだし、辛くて退屈ばかりが現実ってのも思い込みというか勝手な決めつけなんだから、むしろ非現実を見る努力をこそすべきなんだよ、と僕はそれらしいことを言う。

現実逃避パワーを使って非日常をデザインし続ける

でも、そういうことができたとしても、やっぱりそれは現実であって、日常なんじゃないの?と思いませんか。

ハリウッドで映画撮ってる人にとってはそれが現実で日常な訳だし、ハワイに住んでる人はそれが現実で日常。

だからいくら非日常を日常にと息巻いたところで、現実にからめ捕られるのが関の山だろうと。

確かにその恐れはありますけど、だからこそみんなの「現実逃避パワー」で創造行為がしたいなと思っているのです。

みんなの現実から逃げてしまいたいという気持ちが、内面的な創作ではなく、実際に発揮・解放できる場所。そういう意味で精神的にも肉体的にも逃げ場所になるまち。

所詮目の前にあるのは現実に違いないけど、世のなかの誰かにとって常に「何が起きるかわからない場所、でも絶対に何かが起こる場所」だったら良いんじゃないかなと思う。

そんな日常を作る側にも、そんな日常に浸る側にもいつでもなれる、オープンな環境で、非日常が繰り広げられる場所。

現実逃避ってネガティブなイメージがあるけど、それはこそこそするから疾しいのだし、そもそも我々が現実をネガティブなものにしてることにこそ問題があるのだし、そこから全力ダッシュで逃げるのは清々しくてなかなか面白いし楽しいですよ。

ネガティブ方向に行動的な僕は何となくその味を知ってる。

そしてみんなの楽しいが集まった場所は、きっと実際にも楽しい。

僕はそういう現実なら大歓迎なのです。

僕は逃げる場所を作りたい。現実逃避を肯定する。(完)

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