自己分析が終わった/ブログの方向転換

さてそろそろこのブログも、「明瞭さ」を持ち始めても良い頃合いである。

屁理屈並べてるけど結局何がしたいの?ってやつ。

正直なところ、僕自身そこのところがあまり明確に意識できていなかったと思います。

頭のどこかにはある。だけど言葉にするのは難しい。そういう領域を一つずつ潰す作業がブログを書くということでした。

そしてつい最近、「わかった!」という感覚を得ることができて、うん、そろそろブログの目的を明確にしても良いなと思えました。

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一番大切なこと!

僕は別に町おこしをしたいわけじゃない

って記事は以前に書いたけど、これ僕の中でとても大事です。
→(参照)「町おこししたい理由をなぜなぜ理論で考えたらものすごい初心にかえれた

僕は、町おこしがしたいわけじゃない。

じゃあ何がしたいのか。

上リンクの内容と少し違う言い方になるけれど、僕は物語を作りたいのです。

この点が、最近の僕の「分かったこと」。

なぜそんな結論に至ったのかという説明を少し遠回りになるかもしれないけどさせてほしい。

自己分析

僕は極端に内向的な人間です。

三つ子の魂百までというけれど、僕は小さな頃から本質は引きこもりであり(参照)→「履歴書に書けない経歴をつきすすめ」、一人遊び好きであり、スタンドプレーヤーであり、自分でコントロールできるもの(またはその余地があるもの)を好きになる傾向にあります。

むしろ自分でコントロールできないものに対しては極端に怖がったりします。小さい頃は離すと飛んでいってしまう風船が大っ嫌いでした。しっかり掴んでなきゃいけないというのがプレッシャーだったのです。あとスティーブンキング原作の「IT」ってホラー映画の影響らしいです。

同時に極度な寂しがり屋であり、人が好きで、他人を理解したい、理解されたいという欲求が強く、観察者タイプであり、何につけても当事者になりきれないという特徴を持ちます。

この傾向と特徴は良く出れば自分を見失わない理性と客観性を保つ道具となりますが、悪く出ればひどく操作的な性格になります。

人との会話や出来事を反芻する癖があり、シナリオを用意しながら人間関係を作ることが多いです。

つまり人間関係において予習と復習を怠らないタイプであり、自分の中で思い出すか否かでその人が好きか興味ないかを判断しているようです。

こんな気味の悪い自己分析をここで公開するメリットはあるのかというと全然ないんだけど、じゃあなぜこんなことを書き連ねているかと言うと、このような人間はすごくありふれていて、全然個性的でも特徴的でもないことだと思うからです。

5人いれば1人はこのタイプという感じだと思うから全然自分のことを書いているような気分にはならないし、なにより、この人物像に自分を重ねあわせる人がいれば、このブログを通して見つけたいと思っている僕との共通属性を持った人のための情報になると思ったのです。

人をタイプ分けするのは男性的な脳みその特徴のようで、僕も多聞に漏れずこういう話しは好きなんだけど、なんせ内向的な人間なので人の分析まではしません。

自分でさえ自分のことが分からないのに、その自分が見た一面的な他者の一部分の寄せ集めでタイプ分けをするなんて無謀だと言うことが目に見えているからです。

人間関係はあくまで組み合わせの問題であり、人によって話題が変わり、性格が変わり、出来事が変わる。

さらに環境や脈絡などで捻りが加わります。

例えば二人で話すときと三人で話すときとでは会話の運びが違う、雨と晴れとではテンションが違うというようなことです。

人間関係の予習や復習という点で言えば、そこに着目します。

そうでなければ、ステレオタイプ的な思考となり、つまり人間関係における手抜きを働くことであり、内向的で、出来事に対しては自分も含めた客観性を持つという特徴と矛盾します。

自己分析から他者分析へ

自分の特徴を踏まえ、これをこういうタイプの人間は、という風にあえて他者に当てはめてから敷衍してみます。

つまりあえてステレオタイプの思考を使おうという試みです。

こういうタイプの人間は実は感情移入が苦手なところがあります。

読書や人の話しを聞くことを好みますが、それは「他人」というものの情報を集める手段、もしくはシチュエーションの収集となり勝ちで、自分と主人公、当事者を重ねあわせて考えるということはしないしできません。

それらの情報は、人の目を借りて、物事を見るという程度の意味しかありません。

自分が当事者である感覚が乏しく、その場にいながら何故自分はここにいるのかということを考えてしまうことがあります。

分かりやすい役割があると安心なのですが、同時に何かの役割を与えられるということが生理的に不快です。

難しい感覚ですが、自分が自分として物事と関わることが非常に煩わしくて、プレッシャーです。

自分を持たないというアイデンティティがあると言っても良いかもしれません。

よって実は例えば会議などでも自分の意見などは全く考えていません。

基本的にスタンドプレーヤーであり、会議のようなその場全体が一つの脳みそになるようなシチュエーションにおいては考えることを放棄します。私が考えなくても良いという発想に極普通に至ります。

ただしその場で起こったことをおもちゃのように持ちかえって、自分の頭だけで考えることが趣味のようになっています。

そのときは考えることに意味があり面白いのであって、議題や結論、それぞれの意見については賛成も反対もなく、クロスワードパズルの一つの問題のような扱いです。

結局のところ内向的で、物事はほとんど全て一人遊びに利用するためのもので、そこに確かさや正しさを求めないから、現実だろうが嘘だろうが間違っていようが関係ありません。

それは頭の中で何かを組み立てるための素材でありパーツであり、つまり何らかの役割を担うものでしかありません。

むしろ答えのない問題、玉虫色の答えを持つ問題を好みます。

再び他者から自分へ

以上が僕の思う内向的な性格の典型です。

典型かどうかは分からないけれど、自分はこのタイプだという方はけっこういらっしゃるのではないでしょうか。

ポイントは、徹底的に内側を向いているということです。

何かを経験しても、何かと出会っても、それを外へ発信したりするのではなく、自分の巣に持ちかえって大事にするようにできています。

だからシェアが基本であるSNSは苦手です。それは仮にSNS用の自分であったとしても他者に自分を晒すということであって、なかなか何を書いて良いのか分からないし、その意味も意義も分からない。

こうやって書いていくと、占いと同じで自分に当てはまる部分が必ず見えてきますよね。僕のはインチキですけどもう少しお付き合いください。

分析が目的ではなく、ブログの方向性を定めるために理屈をこねているだけです。

シェアの意味や意義が分からないとは言え、他人に興味がない訳でも他人に認められたくない訳でもなく、むしろ自分のテリトリー内であればその欲求は人より強い方です。

作ったものや考えたことは見せたい、共有したいと思っている。

つまりありていに言えばコミュニケーション能力が乏しい子供で、自己中心的な態度から抜け出せず、引きこもりながらも誰かにはかまってほしい愚か者です。あこれは僕のことです。あなたの悪口ではないので悪しからず!

僕が作りたいもの

僕は故郷である朝日町の範囲に自我を広げ、その中でごそごそと遊ぶ仕組みを作ろうと思っていたことが分かりました。

このシチュエーションで、人が来て、何かを作って、何かが生まれてという物語を夢想して楽しんで、実際に作ってみたくなってしまった。

僕の外側で、だけど僕の自我の及ぶ範囲で、物語が生まれ続ける仕組みを作りたいと思った。

そしてその物語を眺め、物語に介入して、さらに生まれるものはないかと考える材料を集めるサイクルが欲しいと思いました。

だからこそ仕事を作ると豪語し、それは活動の前の段階からブログという形にすることで僕が介入できる土台をつくり、設定を与え、残りは鑑賞者に徹することができるようにしました。

そんな風に出来た最初のブログがこれ

ゴトーを追いながら」です。

曲紹介みたいになっちゃったけど(笑)昨日公開しました!(まだタイトルで検索しても出てこないんだよな…何か間違ってるのか、もう少し記事増やさないと無理か…)

どんな発想でできたブログなのかという話しは、「ネイチャーガイド/構想(メモ)」をご覧ください。

なぜこんな一記事目の段階から公開するのかというと、それは経緯や流れ、始まり、文脈、脈絡と言った、ストーリー的に欠かすことのできない要素を大事にしたいと思ったからです。

出来上がったものではなく、何かが出来上がるまで、出来てから始まることと言うような連綿と変化を繰り返しながら続くストーリーとして優れたものにしたいし、そこのところに着目したいからです。

物語は語られてなんぼ、見られてなんぼです。

例えばこのブログ「キキコミタウン!」もそのような仕組みになっています。もちろん皆が皆初めから読んでくれている訳ではありませんが、何かが生まれたとき、どうしてこうなったんだろう?という疑問に答える、メイキングの資料的な役割を持つことになります。

舞台設定が出来上がったら、役者の募集です。この物語になら乗っかっても良いなという人が表れることを期待して、またそう思ってくれるようなものを作りたいと思っています。

他にも創作仕事一覧がメニューに載っているけど、一旦あれ消します。新しく作ったブログのリンク置き場にするけど、残りのは行き過ぎた空想であって、まだ脈絡がありません。

また、このブログについてやNPOの設立については心境が変わった部分などがあれば色を変えて補足を書き足します。

依然NPOのような形は必要だとは思っているけれど、物語を生み続けるもっと合理的な方法があればすぐにやり方を変更します。

あとサブタイトルも変えようかな。

このような自己中心的な創作活動の隠れ蓑として、「町おこし」や「町づくり」という言葉は大変便利でした。結果的に町おこしっぽいというだけで、やっぱり目的ではなかった。コミュニティ作りや人集めというのは僕の本質ではなかったのです。

町に色んな人が来てもっと面白くなって欲しいという気持ちはもちろんあるけどね。でも決してそれが目的じゃない。微妙な違いだけど。

僕が本当になりたいものは小説家であり演出家であり脚本家であり、そういう、人の物語のコアな部分に介入できる立場でいられる何者かです。

この記事は、「自分の中の隠れた動機を隠しておくのも面倒だから。」の更に奥の話しになります。

全部本当だけど、全部本当じゃない。頭の中ってそういうものだと思います。

さて、ブログの方針を明瞭にと言ったわりには依然明瞭さには欠けるし長くなってしまいましたが、僕の中ではある種の迷いがなくなったというお話。自分が何者なのかが少し分かったという話しでした。

今後もう少し明度と彩度を上げて、ビビッドなことを書いていこうと思っています。

自己分析が終わった/ブログの方向転換(完)

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