羽海野チカ作品のおじいちゃん。日常の細部と平和なニッポン。

今、ここにしか価値はない。/今のために今やるを死ぬまでやる

とか

価値の現在性。簡単に買おうとすると(売ろうとすると)劣化して腐るものについて。

を書いてるとき、つまり、「いつかの未来のために今苦労したり今を犠牲にするんじゃなくて、まさに今このときに価値を見出しながら生きる」みたいなことって、「恋をするように生きる」って言えば分かりやすいかもしれないなって思ったけど、なんかいかにも歯が浮くような感じがして止めた。

でも、例えば僕らは人を好きになるとき、付き合えなきゃ意味がないとか、結婚できなきゃ何にもならないなんて考えずに恋をするよなって思うのです。

フラれたからってあの恋は無駄だったとか、関係が気まずくなったからあの日々は間違いだったとかいう考えにはあんまりならず、失敗は失敗だったけどそれはそれで良い思い出だよな、実らなかった恋にはそれ特有の味があるよな、みたいになるもんじゃないか。

成果とか成功とか考えずに、その真っ最中が一番楽しくて辛いみたいな感情って誰もが経験したことがあるだろう恋心に似ていて、だからこそ分かりやすいんじゃないかって。

そんな感じで考えを巡らせていると、羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』を思い出しました。

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羽海野チカ作品のリアルなおじいちゃん

最終回のはじめで、主人公である竹本君の

ずっと考えていたんだ

実らなかった恋に意味はあるのかなって

消えてしまったものは

始めから無かったものと

同じなのかなって

という独白があって、そこから話が始まるのですが、それを思い出して、そういえばあの話は真っただ中の恋心と、否応なく突き付けられる時間の進行とを軸に、自分とは何か?を問い続ける話だったなと読み返してたのです。

で読んでるうちに全然違うこと考えちゃって、この記事の本題はそっちになりました。

それは端的に言えば、羽海野チカ作品のおじいちゃんキャラってデフォルメされたキャラっぽく見えるけど実はめっちゃリアルで、むしろ花本先生みたいなどこにでもいそうな大人キャラの方が実際には稀有だよなってこと。

あくまで僕の人生観でモノを言ってるから知らないだけで花本先生とか野宮さんみたいな、ある種完成された(若いときにこの人は大人だなって感じるような)大人の男性キャラはたくさんいるのかもしれないけど、僕にとってはまさに彼らがファンタジーに見えるほど現実味がない。いねーだろこんな人って思っちゃう。

いや何と言うか、羽海野チカ作品の大人の男性って、男が自分はこうありたいというか、目指す大人像、理想の自画像みたいなものが映し出された存在のように見える。

自分はこんな風に分別をつけているとか、オンオフを分けているとか、こういう風に人のことを見て、理解しているとかって思い込んでいる姿みたいな。

そういう過剰評価の自画像が飄々とこなせてしまってる存在として(それでも茶目っ気は失わないという理想も含めて)描かれているのではないかって。

羽海野チカ作品のギャグパート担当しがちなおじいちゃんキャラ

本題はおじいちゃんキャラの方です。

羽海野チカ作品のおじいちゃんキャラって過剰に可愛いというか、危うくて滑稽で、酸いも甘いも噛みしめすぎて、開き直ってエネルギッシュみたいな、若い人が振り回されてアタフタしてしまうみたいな、ギャグパートにおいて大活躍するイメージがある。

羽海野チカ作品っていっても僕は『ハチミツとクローバー』と『3月のライオン』しか知らなくて短編とかもっと過去の作品とかあるかもしれないけど、あくまでこの2作品におけるおじいちゃんキャラの位置づけとして、上記のようなイメージを持っている。

いるかよこんなじいちゃんって一瞬思うけど、確かに漫画チックではあるんだけど、実際お年寄りってこんな感じだよな、けっこう簡単にカオス状態作るとこあるよなって思う。

あと、羽海野作品のおじいちゃんキャラは若い人に比べて表情が豊かなところがあると思うけど、実際のおじいちゃんも、僕の見た限りだけど、地顔がすごい笑顔というか、今まで一番多く作ってきた表情が顔に刻み込まれてる感じがある。

羽海野チカ作品を読んでると「行動とか表情とかリアルだなー、人の機微がこんな風に表現できるってすごいなー」とかって思うんですけど、かなりの割合で高齢者のリアルさが表現に貢献しているように見える。

一方、若い人、つまり作品におけるメインの人々は「いそうでいない人ばっか」な気がして、それはリアルじゃないって言ってるんじゃなくて、みんなの頭の中にしかないリアル、理想の自画像的なリアルで、みんなそういうの持ってるからこそ成立するファンタジーなんだろうなって思う。

高齢者大国ニッポンと日常の細部

いつだったかふと『3月のライオン』読んでて思ったことがある。

「この作品が人気になるって、日本もしかして良い国なんじゃない?」って。

既に書いたとおり、僕は羽海野チカ作品のおじいちゃんキャラにリアルさや繊細さを感じていて、実際にじいちゃんってこういうとこあるよなーって思うからクスッとしてしまうわけです。もちろんこれは個人的な感覚だけど、羽海野先生に親近感を抱く原因になってる。

あ、超余談だけどよく思い出す光景がある。

ちょっと前の冬に姪っ子が我が家に遊びに来て、ある日庭の鳥の餌場にコーンを置きに行くのを手伝ってくれたんだけど、そのとき姪っ子が、「ここんとこに雪のトンネル作ってコーン置いといたら、スズメがコーン食べながら通るんじゃない?」って激かわいい提案をしてきたもんだからやってみようかってことになった。

結果、鳥より先にキツネが食べに来ちゃって、つまり庭にキツネが入ってしまって、「失敗だったね。キツネ入って来ちゃったね」って話してたら、今は亡きじいちゃん「ぼらんといかん」とかいって窓ガッと開けて大声で吠えだしたんです。

僕も姪も一緒にいた姉もじいちゃんが大声出してるとこなんてそんな見たことないし、姪っ子に至ってはキツネでも来てくれて嬉しそうだったから「ちょっ、じ、じいちゃん?」みたいになってみんな動揺して、あとから姉と「ぼるって『追う』って意味かな、『吠える』って意味かな」って話して、その一連が何となく鮮明。

ちょっと羽海野チカ作品の日常のギャグパートみたいだなって記憶のひとつです。

ほんと何てことない話だけど、こういう類の細部の描写が羽海野チカ作品にはあるなって思うし、羽海野先生ならこういう話なんか共感してくれそうだなって思うし、そういう平和な日常の細部をファンタジーや可愛い絵に包んで見せることで、あるあるこういうことって感じでクスっとする人がいる国って、やっぱ本質的に良い国だよなって。

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