シャーマンキングで「我不迷(われ迷わず)」の大切さを学んだはずなのに迷いっぱなしだ

発想と行動を記録する

迷わないって大事だ

好きなマンガの一つに『シャーマンキング』があって、これは力より技術よりもっと「こころの強さ」を大切にするマンガだった。

迷うと人は弱くなる。迷いが生じると心が脆くなる。オーバーソウルという、心を纏う方法で戦うあの世界では、一瞬の迷いが命とりになる。

強さとは迷わぬ心で、迷わぬ心があれば強くいられることを知った。

迷わないって大事だ。

そのことをこんないい大人になって痛感する。

Contents

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だいたいは選ばされてきた

僕らは常に選択をしなければならない。

小さな頃から何がしたいの?何になりたいの?と聞かれ続けて、その度に自分が欲するものを選んできた。

だいたいは選ばされてきた。

本当に欲しているもののことなんて考える頭も経験もないままに、とりあえず示されたものの中から、消去法で欲するものを選んできた。それは誰かが先に選んで僕の前に並べたもので、僕が選んだものじゃなかった。

自分が欲するものを選べない状況があること、自分が欲したとしても向こうから選ばれないことがあることも知った。

成人する頃には本格的に自分とは何か?自分は何を欲するのか?という問いを抱き続けた。

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自分探しの旅もした

海外で当てもなく過ごしたこともあった。

自分探しと言えば笑われがちだけど、あれは確実に自分探しと呼べる時間だった。

なぜ他の人は迷わずにいられるのか。なぜ決められるのか分からなかった。

自分のことを知らない人だらけの土地で、今日も明日も自由な時間を過ごしても、自分が何者なのか、何をしたいのかは分からなかった。

帰国後、少なくとも書くことは苦ではないといううっすらした確かさを頼りに一応ライターになった。

ライターになったものの世の中のほとんどのことに興味はなく、特に主張すべき意見も、信念もなかった。

僕は現実のほとんどに興味がない。興味の範囲は非常に狭い。

まちづくりが一応の答えになった

自分の町がもう少し元気になれば良いと思いながらブログを書き始めた。

まちづくりに関するブログ。このブログ。

この気持ちは海外で得たものだった。発信しなければと思った。町が衰退していることは自明だった。

よく掘り返すと僕は地元の思い出や記憶に愛着があるのだった。それらがなければ土地に関心はなく、やはり心こそが大事だった。

ブログは書き続けたし楽しかったけれどプロブロガーになりたいわけでもなかった。

ブログで稼ぐと言えばアフェリエイトが王道だけど、商品を売ることにもほとんど興味がなく、興味がないのに売れそうなものについて調べて書くという行為が浅ましく思えた。

とは言えアフェリエイターさんに依頼されたものを使って、調べて、記事を書いて過ごすことが多かったから主体的かそうでないかの差しかなかった。

名刺を作ってみたけれど、どうやって名乗れば良いのか分からず、ライターと一応書いたそれは一度も人に渡していない。

自分が何者なのかと名乗るのは非常に怖いことだった。

まちづくりじゃ収まらなかった

まちづくりに興味があると言えば、役所に入ることや、地域おこし協力隊の入隊を勧められた。

まちのことを考えているのであればと、まちづくりに関する集まりに出席するように促された。

意見を交換すること、他の地域で頑張っている人から学ぶこと、積極的に参加することが大事だと言われた。

否定はしないが、それらに興味があるかと言われば違った。

良いものに興味はなかった。面白いものが必要だった。面白いものは総じて良いものだ。だけど良いものが面白いとは限らなかった。

まちづくりも、地域の持続も、コミュニティも、そんな類のものだった。

良いまちを作ることが共通テーマのように見えたけど、ほとんどの良さに興味がなかった。

夕方6時のニュースで報道されてる世界みたいだなと思った。マイルドで当たり触りがない。誰も傷つけない代わりに誰も救わない。

そんなニュースはBGMにもならないほど興味がないのに、まちづくりに興味があると言えばそういう世界に放り込まれる感覚がしてた。

そういうことを話すとじゃあ何がしたいんだ、何に興味があるんだと言われた。

小説

僕は書くことが好きだけど、その好きがどこに向かっているのかは長い間分からなかった。というか分からないふりをした。

海外にいる頃の日記を見ると、小説のプロットがたくさん書いてあった。

小説だ、物語だ、虚構こそを愛しているのだと思った。そこには謎があり、解釈や答えがあり、カタルシスがあり、世界を変えるフィルターがあった。

町にも、物語があるから好きだった。

プロットは身近な人の目がないからこそ書けるものだった。日本語のメモが読まれる心配がない環境だからバスの中でも宿の中でも空想が書けた。

最初に小説を書いたのは二十歳の頃だった。

海外に行くより前から小説を書いてはいた。

だけどそれは本気にしてはいけないことだと長い間考えていた。

何に興味があるのだと聞かれて、小説だ、虚構だと答えると、そういうんじゃなくて、という反応がされる。

これは言葉にされないけれど、ほらもっと意義があることがあるだろう、役に立つものがあるだろう、という顔をされた。

また選ばされるのかと思った。既存の、すでに価値があるものから選びなさいと言われているような気がした。

違うのだ、新しい価値を作りたいのだ、と言えもしなかったけれど、実際はそうしたいのだった。新しい価値を作りたいのだった。

小説と生活

人生について考えた。いつからか考えた。ほとんどはブログを書きながら考えた。

僕の興味の範囲は狭く、所属を好まず、頑固で、寂しがりで、こんな自分の価値観と性向を満たす生き方はないかと考えた。

田舎にいる家族の側で、自由に時間を使いながら、興味のないことはせずに生きたいと考えた。

誰もがある程度そう考えるはずだけど、僕ほど意固地になってそう考える融通の利かない人間はいないようだった。

ダメだなあ、みんな自分を見つけて、もしくは自分に折り合いをつけて頑張ってるのに、僕だけいつまでも決めきれないままだなあと自責した。

小説を書いて生きる方法はないかと考えだしたのが最近。

いや、考えなければならないと思ったのがようやく最近。

結婚して、子どもももうすぐ生まれる。

僕はいい加減、100%やりたいことをやって、作りたいものを作って、迷わず進まなければならない、という覚悟が芽生えた。

認められそうもないこと

初めて小説を書いて10年が経ってる。

何より小説を書きたいのだ、虚構を作りたいのだと言えるようになったのが最近。

この点に迷いはようやくなくなった。遅すぎるようだけど心に決めさえすればできそうだ。

創作に軸がある。

ではこの町をもう少し元気にしたいという願望は嘘だっただろうか?

嘘じゃなかった。

こちらも捨てられることじゃなかった。

創作の日々を過ごしたいこと。

田舎に引きこもって嘘くさい日々を過ごしたいこと。

家族とたくさんの時間を過ごしたいこと。

不要な話し合いをせずに済むこと。

虚構の中で過ごすような日々を送りたいこと。

それは非現実的で、なおかつ認められそうもないことで。

そんなこんなで本当にやりたいことの周りをウロウロした。

椅子に座りたいのに椅子取りゲームに本気になるのは嫌な子どものようだった。争うくらいなら負けようとする子どもだった。

椅子に座りたいだけで勝ちたいわけじゃなかった。

しかし椅子に座るにはとにかく座ることを目指すしかないのだった。

そこには少なからず覚悟が必要だった。

心の強さのためには覚悟が必要

迷いがなくなれば達成できることなんじゃないか、と思えたのが最近。

力でもなく技術でもなく、迷わぬ心が僕らには必要だと思う。

大切なのはこころだ。

シャーマンキングを読んだのは中学生の頃。

マタムネという猫の幽霊が「お前さんの進むべきみちはいつも心で決めなさい」と主人公「葉」に伝えるシーンがあった。

大切なのはこころだと知っていたけれど、皮肉なことに、自分のこころを大事にしすぎたが故に迷いすぎた。

大切だから迷う、ということもある。

僕と同じ状況にいる人がいるかもしれない。

つまり、小説、虚構、物語を愛し、それらに生かされているという感覚があるのにそれを口にするのは憚られたり。

小説じゃなくても、何かに心を奪われているけれど、それを隠さなきゃならないと無意識に思っているとか。

とにかく、そんな願望を語るとき、慎重に相手を選ばなければならなかったり。

本気にされなかったり。

興味を持たれなかったり。

本気を出して認められなかったらどうしようと考えてしまったり。

実力がないままでは好きとも本気とも言えないと思ってしまったり。

いずれの不安もきっと当たる。さまざまな障害がある。それを避けるのは無理。無理だった。

目に見える障害がなくても、不安にしろ、怒りにしろ、焦りにしろ、自衛のために発生する刺々しく張り詰めた心は僕らを弱くする。

取り乱せば僕らは僕らしくいられなくなり自滅する。

『シャーマンキング』の主人公たる麻倉葉の強さは柳に風のごとく「力」を受け流すセンスにあった。

力を求めればキリがなく、力をふるえばやり返される、あらゆる圧力や不安を受け流していられる力は心の強さで、心の強さを得るためには覚悟が必要だった。

 

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