恥ずかし気もなく生きて

恥ずかし気もなく生きて、憂いなく歳を重ねると心に決めて、自分が、まるで人畜無害の植物か何かであるかのように振る舞いさえすれば、多分明日の朝からでも幸せになれる。

太陽の光を浴びることにも、透き通った水を飲むことにも、綺麗な花を咲かせることにも疑問を持たず、恥ずかし気なく、ただ自分はそう在るべきだと決めさえすれば、僕らが日々を満足して生きることはそんなに難しいことじゃない。

根元では他を押しのけていても、毒で人を殺したことがあっても、そんな憂いを引き摺ることなく歳を重ねると決めさえすれば、いつかそれなりの花が咲いて、誰かには褒めてもらえて、正しさで塗り固めた造花のような顔をしていられる。

それはやっぱりそれほど難しいことではないかもしれないけれど、僕らにとっては簡単なことでもないと思うのです。

比喩80%みたいな迂遠な言い方をしてしまって申し訳ないです。

申し訳ないと言いつつこの後も掴みどころのない書き方を貫く予定なんだけど、言いたいことは単純で、僕らが「堂々と生きる」というのは口で言うほど簡単なことじゃないってこと。

もしくは「楽に生きる」とか、「幸せになる」とかって、誰もが当然できて然るべきことが、誰もがそう在るべきだと社会で信じられていることが、僕らにとっては全然簡単じゃない。幸せになるには勇気がいる。堂々と生きるには勇気がいる。

だって僕らはあのとき「やってしまった」こととか、「言うべきだったのに言えなかったこと」とか、「気付けなかったこと」とか、そういう天知る地知る我のみぞ知るような恥ずかしさをいっぱい持っているでしょう。

周りの誰がなんと言おうと、何もなかったフリして、幸せそうな顔して、いっそ誇らしげにすら見える顔で、立派に咲き誇ってる自分を疑問に思ってしまう気持ちなんて簡単に拭えるものだとは思わない。

それは、見る人によってはすごく不健全な発想に感じるかもしれません。

だからか分からないけど、「健全な社会」にはまともに見つめたら恥ずかしくて仕方ないものを肯定するノウハウで溢れているようです。

小さいことを気にしていたら社会では生きていけないし、過去を悔んでいても何も始まらない。なんせ社会ってところは厳しいのだから、そこを生き抜くためには大人にならなきゃいけない。

勝手にウジウジして、色々とままならなくたって助けてくれる人なんかいないんだから、甘えないで、人のせいにしないで、どんだけ後悔したって反省したって、生きてるってことはそれだけで自分の生を肯定してることに他ならないんだから、ろくでもない過去も含めていっそ全部肯定し続けなきゃダメじゃないか。

肯定できるようにならなきゃダメじゃないか、大人になれよ、良い感じに鈍感になれ、お前以外は大して気にしてないよ、割り切っちゃえ、そのうち忘れるよ、そんなちっちゃいこと、誰にでも経験あるよ。完璧な人間なんていないんだよ。

どうしても後悔してるっていうならそれをバネに成長すればいいし、誰でも失敗するんだから小さいことは気にしないでまた挑戦すればいいし、いや失敗したってことは挑戦したってことなんだからそれだけで大したもんだって思えば良い。

謝りたい人がいるならちゃんと口に出した方が良いよ、きちんとそれは清算して、かつての自分とは違うってとこ見せなきゃダメだよ。許してくれなくても良いよ、お前は挑戦したんだから、それはすごいことだよ。大丈夫、誠意は伝わる、絶対伝わる。

こんなの何もかも方便だし、都合よく毒を薬に変えるようなやり方が姑息にも見えて、あんまり上手にできるようにもなりたくないと思う。僕がこんな風に誰かを励ますようになったら最悪だ。

こんな風に生きてしまったら、それこそ恥ずかしくて恥ずかしくて生きた心地がしないと思う。自己嫌悪でたまらないと思う。

そりゃ完璧になんて生きられると思ってないし、ずっと悔やんで悩んで引き摺っていれば良いとも思わない。それは確かに不健全だと思う。

結局のところどうしたいのかは分からない。書いてるうちにそれっぽい着地点が見つかるだろうと思って書きはじめたけど、「こうすれば大丈夫、僕はこんな風に生きたい」みたいなのも今ここで書くべきことは思い浮かばない。

言ってしまえばそういう、とりあえずの解答を見つけて、こうすれば万事つつがなく、この先ずっと楽ちんポンで生きていけるみたいなものを探してしまう気力の無さを肯定するようなことはしたくないという話をしている僕は多分。

そういうのつまんないなって言いたいだけな気がする。

だってそれって大人になるっていうか老化だよね。

幸せになるのなんて簡単かもしれないし、楽に生きるのだって簡単かもしれない。

ただ恥ずかし気もなく生きて、憂いもなく歳を重ねると心に決めて、毒も棘もありませんよって、人畜無害な造花みたいな顔して、年がら年中、枯れもせず散りもせず腐りもせずへらへらしてれば良い。

その代わり水をあげようと思わない、光を当てようとも思わない、わざわざ摘むようなものでもない、ただ都合良く配置されて、そのあとは見向きもされない。そんなのお話しにならない。

そんな人間になる勇気は別になくても。

恥ずかし気もなく生きて(完)

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